南北朝の写真
             宝林寺(ほうりんじ)


宝林寺
 名 称      : 宝林寺(ほうりんじ)

 所在地      : 兵庫県赤穂郡上郡町河野原


 由 緒      :
    赤松円心 の三男 則祐(そくゆう) が師である
    雪村友梅(せっそんゆうばい) を開山として、
    貞和元年(1345年)に創建しますが、その数年
    後に戦火で焼失してしまいます。
    則祐 は、文和 4年(1355年)に河野原一帯に
    再建しますが、天文 7年(1538年)にまたして
    も焼失してしまいます。
    なお、則祐 の作った寺規に 「当家の盛衰は
    当寺の興廃によるべし」 と述べられており、
    氏寺として重んじられていました。
    現在の 宝林寺 は、江戸時代に再々建された
    ものだそうです。


     地図はこちらから → 地図(Map)
宝林寺
 宝林寺 の本堂です。

 この隣には、赤松円心、赤松則祐、別法和尚、覚安尼
 の ゙赤松三尊像" が保管されている資料館 「円心館」
 があります。 南北朝ファンは必見です!

宝篋印塔 赤松円心像
宝篋印塔 赤松円心像
 境内にある 宝篋印塔 です。

 向かって右側のものが、自らの還暦に作ったと云われ
 ている 則祐の宝篋印塔 です。
 資料館 「円心館」 のパンフレットより 赤松円心像 です。

 独特な風貌で、見る者を圧倒する迫力があります。
 本像に関する ゙逸話" は下に詳しく書きました。


【 播磨源氏 赤松氏 】

 南北朝史にこつ然と姿を現す感のある 赤松氏 ですが、祖を 村上天皇(村上源氏の祖) に持つと云われています。
 しかし、赤松円心 の生まれた弘安 2年(1279年)は 佐用庄地頭職代官 として播磨国の僻地に逼塞していました。
 混沌とした政情の中、先見性に富み野心満々たる 円心 は、鎌倉幕府打倒に動き出す 後醍醐天皇の皇子 護良親王
 の元へ三男の 則祐(そくゆう) を派遣し、情報収集に努めます。

【 幕府打倒の挙兵 】
 元弘 3年(1333年) 1月、護良親王 の令旨(りょうじ)を奉じて挙兵した 円心 は、幕府軍から寝返った 足利高氏 を大い
 に助け、京都の 六波羅探題 を攻略するなど多大な功績を挙げますが 後醍醐天皇 による ゙建武の新政" で賜ったのは
 僅かに 播磨守護職 だけで、その 播磨守護職 もほどなく解任され、元の 佐用庄地頭職 のみとなってしまいます。
 原因は、にわかに表面化した 後醍醐天皇 と 護良親王 の対立に 円心 が巻き込まれたもので、護良親王 を支援して
 来た円心 にとって痛恨の出来事でした。

【 赤松氏の隆盛 】
 郷土の赤松に帰還した 円心 は時代の流れを読み、この頃、後醍醐天皇 へ反旗を翻した 尊氏 の下へつき、白旗城
 へ攻め寄せて来た 新田義貞 を撃退し、尊氏 の武家政権(室町幕府)樹立に大いに貢献します。
 この功により、赤松氏 はその後、播磨、備前、美作 の 3ヶ国の守護に任じられ、また 円心 の後に家督を継いだ 則祐
 のときに 室町幕府 における侍所頭人の四職家の一つ( 赤松氏の他は 京極氏、山名氏、一色氏 )にも就任し、山陽道
 隋一の勢力を誇ることになります。


〜 ken-you史跡巡り記 〜

   南北朝時代が好きな人が、一度は本などで見たことがあると思われるのが、゙赤松円心像" です。
   宝林寺境内の資料館 「円心館」 にあるその像は、一度見れば忘れられない異相で、法体でありながら刀を帯びて
   いるという不思議な出で立ちをしています。
   『太平記』 の物語中での活躍振りが想像できる姿を表現していると言えます。

   「円心館」 の管理人であり、宝林寺、松雲寺 の住職さんから興味深い話が聞けましたのでここにご紹介します。
    「 ゙赤松円心像" は室町時代(1300年代)の作であり寄木造りです。
     制作から 300年ほど経った江戸時代(1600年代)に、保管状況 (住職さんが資料館 円心館 を建てて空調・湿
     度を管理されるまでは屋外の堂に展示されていたとのこと) が悪く、虫食いなどが進行していたため、像の一部
     を新たに造り直すことにしたそうです。
     このとき、゙室町時代の部分" と ゙新たに造り直した部分" の違いが分からないように像の全体を塗装してしまい
     ました。
     時代は下り、文化財の調査として人が訪れましたが、江戸時代に手を加えられているという理由で、文化財の
     指定を受けることは出来ませんでした。 」
   赤松円心の像は、他にないと思われるため残念だとも仰っていました。
   ( もし違っていましたら住職さんごめんなさい・・・ )

   これを読んで興味が出た方は、「円心館」 で是非、本物の像を見て欲しいと思います。
   なお、「円心館」 は公共施設ではないので、事前に 松雲寺 の住職さんへの連絡が必要になります。
   私は知らなかったので、側でゲートボールをしている年配の方に話を聞き、松雲寺 へ歩いて行き、挙句の果てに
   住職さんの車に同乗して 「円心館」 まで案内してもらいました。 そのおかげで貴重な話が聞けたのですが。(^^;;
   それにしても、重要文化財の指定って厳しいんですね〜。



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