南北朝の写真
             湊川神社(みなとがわじんじゃ)


湊川神社 本殿
 名 称      : 湊川神社(みなとがわじんじゃ)

 所在地      : 兵庫県神戸市中央区多聞通

 土地の伝説   :
    建武 3年・延元 1年(1336年) 5月、湊川の合戦
    において、楠木正成 が戦没した地に創建。

 由 緒      :
     明治元年(1868年) 4月、楠木正成の御神霊を
    奉斎したいという気運が高まり、明治天皇の神社
    創祀の御沙汰書により、明治 5年(1872年) 5月
    24日に 「湊川神社」 は創建されました。

 御祭神      :
   主神  楠木正成公 (大楠公)
   配祀  楠木正行卿 (小楠公) 及び湊川の戦で
        殉節された 楠木正季卿 以下御一族16柱
        並びに 菊池武吉卿。

 国指定史跡   :
     楠木正成戦没地 (大楠公殉節地)
     楠木正成墓碑 (大楠公御墓所)


     地図はこちらから → 地図(Map)
湊川神社 本殿
 湊川神社の 本殿 です。

 戦災により焼失したものを、昭和27年(1952年)に鉄筋
 コンクリート造で新築復興されたものです。

 近代的な建築物に、楠木氏の家紋 「菊水」 が要所に
 打たれています。
 威厳を感じる一枚です。
湊川神社 表神門 楠木正成戦没地
湊川神社 表神門 楠木正成戦没地
 湊川神社の 表神門 です。

 JR神戸駅から歩いて 3分、高速神戸駅下車すぐ に目
 に飛び込んで来る大きな 燈篭 と 社号標 を見ながら
 表神門 をくぐると、そこは 湊川神社 の境内です。

 写真では分かりづらいですが、燈篭 と 社号標(写真
 右側にある ゙湊川神社" と書いてある柱)は本当に大き
 いです。
 境内西北部にある 楠木正成戦没地 です。

 湊川の合戦で最後の刻が迫ったのを知った 楠木正成
 はわずかに残った 73騎とともに、この地にあった民家
 に入り、弟 正季 と刺し違え、その生涯を閉じます。
 そのときに 正成 が語ったと云われている 「七生報国」
 (七度生まれ変わり朝敵を滅ぼす)は、様々な解釈を
 され、現在に至っています。

 朝陽に包まれた厳かな雰囲気の一枚です。

楠木正成墓碑 水戸光圀の像
楠木正成墓碑 水戸光圀の像
 境内東南部にある 楠木正成墓碑 です。

 楠木正成、弟正季以下一族16柱及び菊池武吉を葬った
 所で、最初は五輪塔が建っていたそうです。

 元禄 5年(1692年)、正成 を深く尊敬していた 水戸光圀
 は家臣 佐々介三郎宗敦 をこの地に遣わして碑石を建て
 光圀 自ら表面の 「嗚呼忠臣楠子之墓」 (ああちゅうしん
 なんしのはか) の文字を書き、建立しました。

 歴史を感じる碑で、味わい深いものがありました。

 楠木正成墓碑 を見守るように側に建っている 水戸光圀
 (水戸黄門)の像です。

 水戸藩主を辞して西山荘に隠居した後も、「大日本史」
 の編纂を行い、また 楠木正成 を大変尊敬し、左の墓碑
 を建立し、その盛徳を天下に顕彰されるなど、偉大な
 事蹟を残しました。

 本像は、楠木正成 崇敬の多大な功績を追慕して、昭和
 30年(1955年) 7月に造られたそうです。
 独特の風貌をしていますね。

〜 ken-you史跡巡り記 〜

   湊川の戦い で戦死した 楠木正成 を祭神とした、兵庫県神戸市中央区多聞通の 「湊川神社」 の写真です。
   広大な境内には、写真の他にも 神能殿 や 宝物殿 などがあり、特に 宝物殿 には 正成 着用と伝えられる 「段威
   腹巻」 や 正成 真筆と伝えられる 「法華経奥書」 、また 楠木正成像 や絵画などが収蔵されており、楽しめます。

   一番のオススメは 「戦没地」 で、そこだけは独特な空気が流れているような不思議な感じを受けました。
   鎌倉幕府軍、足利軍を寡兵でありながら天才的な戦術で翻弄し、後醍醐天皇 に最後まで忠節を尽くすという、
   その生涯を知っているからかも知れません...
   また、水戸光圀 筆による 「墓碑」 も歴史を感じることができて、一見の価値はあります。



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