南北朝の写真
             湊川の戦い


大楠公湊川陣之遺蹟 の碑
 名 称      : 会下山(えげやま)公園

 所在地      : 兵庫県神戸市兵庫区会下山町

合戦の舞台
    建武 3年・延元 1年(1336年) 5月、湊川の合戦
    において、楠木正成 が布陣した山(丘陵)。

合戦の沿革
    九州より東上して来た 足利尊氏 の軍勢を迎え
    討つべく、後醍醐天皇方( ゙宮方" )の 楠木正成、
    新田義貞 らは摂津国湊川(兵庫県神戸市)に
    陣を構えます。

    水陸の両方面から攻める 足利軍( ゙武家方" )
    に対して、海岸線を固め 尊氏 率いる水軍の上陸
    を阻む 新田軍と、標高85mの丘陵 会下山で
    水軍の動静を睨みつつ、尊氏 の弟 直義 率いる
    陸上軍と対峙する楠木軍。

    太平記によると、このときの楠木軍の総兵力は
    わずかに 700余騎で、対する 直義 の陸上軍は
    数万騎を数えていたと云うことです。

    この絶対的な兵力差の中、戦闘は開始されます。


     地図はこちらから → 地図(Map)
大楠公湊川陣之遺蹟 の碑

 会下山公園の山頂部にある 東郷平八郎 筆による
 「大楠公湊川陣之遺蹟」 の碑です。

 この写真撮影後、突然の大雨が襲って来ました。
 心なし画像が暗いのはそのためです。
 碑の文字が見づらくて申し訳ありません。

会下山公園よりの眺望 会下山公園の遊器具
会下山公園よりの眺望 会下山公園の遊器具

 山頂部より、瀬戸内方面を望んだ一枚です。
 木々が邪魔していますが、遠くまで見えます。
 湊川合戦の当日、楠木正成 が見たのは海を埋め尽くす
 ばかりの 足利方の軍船団 だったことでしょう。


 現在の会下山は、遊器具や休憩場所などがある公園と
 して、市民の憩いの場となっています。
 また、桜の名所としても有名で、春には沢山の花見客が
 訪れるそうです。


楠木正成の像
 名 称      : 湊川(みなとがわ)公園

 所在地      : 兵庫県神戸市兵庫区

合戦の舞台
    湊川の合戦において、楠木正成 と 足利直義
    (尊氏の弟)が、激戦を繰り広げた場所。

合戦の沿革
    建武 3年・延元 1年(1336年) 5月 25日、早暁より
    開始された湊川の合戦でしたが、尊氏 率いる
    水軍が 新田軍 の後背を衝く動きを示したため、
    新田軍もそれに合わせて後退をし、新田軍 と
    楠木軍 の連携は断たれてしまいます。
    やがて、数に勝る 足利軍は 楠木軍を包囲します。

    孤立した 楠木軍 でしたが、阿修羅の如く奮戦
    する大将 正成 を筆頭に、決死の戦いを展開。
    一時は 直義 を追い詰めることに成功しますが、
    衆寡敵せず、次第に人数を減じて行きます。

    死力を尽くしての激闘は 6時間にも及び、最後の
    刻が迫ったのを知った 正成 はわずかに残った
    73騎とともに死に場所を探します。


     地図はこちらから → 地図(Map)
楠木正成の像

 湊川公園にある躍動感溢れる 楠木正成 の像です。

 愛馬を自由自在に操り、敵陣を翻弄する様が目に浮かび
 ます。 ただ一言、「カッコ良すぎ!」ですね。 (^^)

旧湊川址 の碑 湊川公園
旧湊川址 の碑 湊川公園

 湊川公園にある「旧湊川址」 の碑です。

 合戦があった当時の 湊川 は、現在地より東方の、この
 付近を流れていたそうです。


 緑に囲まれた 湊川公園 です。

 公園は色々な人の憩いの場となっており、およそ 667年
 前に繰り広げられた激闘を感じられないほど、静かな
 雰囲気をたたえています。


〜 ken-you史跡巡り記 〜

   「太平記」 のクライマックスの一つである 楠木正成・新田義貞 と 足利尊氏 の激戦の舞台となった 兵庫県神戸市
   の 会下山 と 湊川 の地の写真です。
   地図を見ていただければ分かりますが、楠木正成 の陣跡 会下山、激戦地 湊川、正成自刃の地 湊川神社 と
   東方向へ移動しており、正成 が次第に追い詰められて行ったことが分かります。
   両場所は現在、公園として整備されており、像や碑が無いと古の戦場跡といった雰囲気はあまり無いです。
   また、両公園は、歩いて 20分前後の距離にあるため、歩いて 楠木正成 の気分を味わうのもイイかも知れません。



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