鎌倉の写真
          武家の都 鎌倉  鶴岡八幡宮


一の鳥居 二の鳥居
一の鳥居 二の鳥居
 JR横須賀線 鎌倉駅 を降り、由比ヶ浜へ向かう途中にあります。
 源 頼朝 が鎌倉に武家政権を樹立し、都の都市計画を参考に
 造ったのが、鶴岡八幡宮より海へ一直線に伸びる、若宮大路
 (段葛)でした。
 一の鳥居 は最南端に位置し、当時はこの付近まで浜辺が
 広がっていたらしいです。ちなみにこの 一の鳥居は 、1668年
 に再建(木造から石造にした)されたものだそうです。
 ところどころにあるヒビが時の流れを感じさせます・・・

 JR横須賀線 鎌倉駅 を降り、少し歩くと目に入るのがこの鳥居。
 この 「二の鳥居」 から、八幡宮入口にある 三の鳥居 までの、
 一段高い参道を 「段葛(だんかずら)」 と言い、国の指定史跡
 になっています。
 ちょっと分かりづらいですが、両脇は車道です。
 今でも、この 「段葛」 は歩道として機能しています。
 (でも、車道を渡るときちょっとドキドキする・・・)

平家池 太鼓橋
鶴岡八幡宮 平家池 鶴岡八幡宮 太鼓橋
 太鼓橋の東西には、西を「平家池」、東を「源氏池」 と呼ばれる
 池があり、これは西側の 「平家池」 の写真です。
 蓮がたくさん浮かんでいますが、その由来は・・・
  「西の池に紅蓮を植えて四(死)つの島を造る」
    「東の池に白蓮を植えて三(産)つの島を造る」
 だそうです・・・  
 源平の 紅白 の旗色と島の数にかけて、「平家の滅亡」と「源氏
 の繁栄」を祈願しているそうです。
 なお、「源氏池」 の中央の島に 「旗上神社」 があります。

 鶴岡八幡宮の境内に入って直ぐ中央にあり、両脇にある源氏池
 と平家池をつなぐ川に架かっています。
 当時はこの橋を渡って参拝したのでしょうが、現在は通行禁止と
 なっており、左右にある新造された橋を渡って境内を進みます。

 ここから 鶴岡八幡宮探索 の第一歩です! \(^o^)/

舞殿 大銀杏
鶴岡八幡宮 舞殿 鶴岡八幡宮 大銀杏
 都を追われた 源 義経 とその一行は、奥州平泉までの逃避行
 を続けます。その途中で、愛妾 静御前 は鎌倉方に捕まります。
 そして、頼朝 より舞いを命じられます。

 「吉野山 峯の白雪ふみ分けて 入りにしひとの あとぞ恋しき」
  「しづやしづ しづのをだまき くりかえし 昔を今に なすよしもがな」

 このような舞台で、静 は歌いつつ舞ったのでしょうか・・・
 義経への変わらぬ愛を自らへ確認するために・・・

 三代将軍 源 実朝 が、甥に当る公暁(くぎょう)に殺された際に、
 公暁が隠れていたとされる 「大銀杏」 です。
 樹齢1000年余と云われるだけあり、その大きさに驚かされます。
  (階段を歩く人と比較してね)

鶴岡八幡宮 楼門
鶴岡八幡宮 楼門
 大銀杏を左手に見ながら、長い階段を登ると見えるのがこの 「楼門」 です。
 楼門をくぐると豪壮華麗な 本殿 が現れます。
 本殿内には 「宝物殿」(拝観料 \100!)があり、小さいながらも源氏所縁の品々が展示されています。


鶴岡八幡宮の由緒
 神奈川県鎌倉市に鎮座する 「鶴岡八幡宮」 の歴史は古く、康平 6年(1063年)に 源頼義(みなもとの よりよし)が 「前九年の役」 を奥州
 に平定した帰途、都にある 岩清水八幡宮 をひそかに勧請して社殿を建てたのが始まりだそうです。
 その頃は、゙材木座" と呼ばれる場所に鎮座しており、現在は 鶴岡 と区別するため、「由比若宮」 とも 「元八幡」 とも呼ばれています。

源氏の野望
 奥州における戦乱 「前九年の役」 を平定した 源頼義 の狙いは、奥州の地に源氏の根を張ることでしたが、朝廷からは ゙伊予守" を授か
 るだけという不本意な結果に終ってしまいました。 (この頃、朝廷の権威は絶大で、武士は公卿の 番犬 的な扱いでした)
 その 20年後、頼義 から子の 義家 の代のとき、またも奥州の地に戦乱が起きます。後に 「後三年の役」 と呼ばれている戦いです。
 陸奥守として下向した 義家 は戦いを平定し、父が成し得なかった宿願を達成しようとしますが、朝廷からは 「私闘への介入であり、恩賞
 はない」 との回答と、義家 の陸奥守解任の報がもたらされました・・・
 憤激した 義家 でしたが、自分のために働いてくれた武士達のために、自腹を切って恩賞を与え、絶大な信頼を得ることが出来ました。
 これにより、東国における武門の棟梁 「源義家=源氏」 を大いに印象付けたことは、後の 頼朝 にとって幸いだったことでしょう。

現在の姿へ
 鶴岡八幡宮 はその後、源義家 が修復を加えたのち、治承 4年(1180年)から養和元年(1181年)にかけて、 源頼朝 がおおよそ現在の
 場所 (鎌倉市雪ノ下) に整備をしたということです。
 しかし、創建からおよそ10年経った建久 2年(1191年)、鎌倉府内を襲った大火により、そのほとんどの建造物が灰燼に帰してしまいます
 が、頼朝 の意志は強く、新たに大臣山の中腹を切り拓き、楼門 と 本殿 を造営した現在のかたちに復興を果たしました。
 そして、復興から一年後の建久 3年(1192年)、頼朝 は朝廷より 「征夷大将軍」 任命の拝受をここ 鶴岡八幡宮 で盛大に執り行い、以降
 武家政権の中心地 鎌倉 における ゙ シンボル " 的な存在 として、北条、足利、後北条、豊臣、そして徳川と時の権力者が遷り変わろうと
 も手厚く保護を受け、現在に至っております。

古への回想
 広い境内には、写真の他にも様々な施設(なぜか幼稚園もあります!)があり、沢山な観光客で賑わっております。
 また、「鎌倉国宝館」(観覧料 \300)には、国宝や重要文化財といった 鎌倉時代の宝物が多数展示されております。
 さて、鶴岡八幡宮と言えば、やはり 上杉謙信 の 「関東管領就任式」 が挙げられますね!!
 満座に居流れる諸将を前に、由緒正しき 「上杉家」 の家名と 「関東管領職」 を、頬を紅潮させ背筋をピンと張りながら、譲り受ける姿が
 思い描かれます。

  地図はこちらから → 地図(Map)


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