源平の写真
             福原京(神戸市)


平相国廟

 名 称  :  平相国廟

 所在地 :  兵庫県神戸市兵庫区北逆瀬川町

 由 緒  :  平相国廟 がある 能福寺 は、清盛 との所縁が深く、仁安 3年(1168年)
         に 清盛 が出家をした際に剃髪した寺だと云われています。
         また、京都で病死したときの遺言で、当時の 能福寺住職 円実法眼 は
         清盛 の遺骨を持ち帰り、寺領内の 八棟寺 に墓所として 平相国廟 を
         造立したとも云われています。
         しかし、平家滅亡とともにことごとく破壊され、能福寺も灰燼に帰してしまい
         廟 は再建されることもなく、位置も定かではなくなってしまいました。

 復 興  :  昭和55年(1980年)、清盛 の800回大遠忌を迎えるに当り、建立復興し、
         併せて、左側に 忠快(清盛の弟 教盛の子)の法印塔(九重塔) と右側
         に 円実法眼の宝篋印塔 を合祀したと云うことです。
         なお、忠快法印塔 と 円実法眼宝篋印塔 はともに鎌倉時代の作りと
         云われています。

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清盛塚 十三重塔 平清盛の像
清盛塚 十三重塔 平清盛の像

 名  称   :  清盛塚十三重塔 と 平清盛像

 所在地   :  神戸市兵庫区切戸町

 由 緒    :  弘安 9年(1286年) 2月、平家一門の栄枯盛衰を哀れんだ 時の鎌倉
           幕府執権 北条貞時 が、清盛 の遺骨が納められていたと云われて
           いる 能福寺寺領内の 八棟寺(平家滅亡時に破壊され、灰燼に帰して
           いました)の跡近くに、清盛 の菩提を弔うために高さ 8m50cmにも及ぶ
           清盛塚 十三重塔を建てました。
           なお、十三重塔 では全国で三番目の大きさを誇るそうです。

 移転問題  :  大正10年(1921年)、神戸市の都市計画において、清盛塚 とその東
           にある 琵琶塚 が道路(線路)上に位置することとなり、移転が計画
           されますが、当時は 「墳墓」か 「供養塔」 かが判然としておらず、その
           ため 「墳墓をあばく」 ことに非難が集中し、陳述書が神戸市長に提出
           されるなど大問題に発展しました。
           神戸市はこれを機会に国に調査を依頼し、その結果、「供養塔」 で
           あることが判明。
           大正12年(1923年)12月に現在の場所へ移転が行われました。

 平清盛像  :  清盛塚 と並んで建つ像は、昭和43年(1968年)10月に神戸開港百年
           祭を記念して、開港の祖 平清盛 の功績を顕彰する目的で建てられた
           ものです。

 県指定重要文化財

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琵琶塚
 名  称 :  琵琶塚

 由 緒  :
   当初、清盛塚 と小道を挟んで北西
   の位置にあった 前方後円式の古墳
   であり、その形から 「琵琶塚」 と呼ば
   れていました。

 琵琶の名手 平経正 :
   「平家物語」 における琵琶の名手
   平経正(たいらのつねまさ : 清盛の弟
   経盛の長男であり、経俊、敦盛の兄)
   に結び付けて、琵琶塚、つまり 経正の
   塚 とも云われていました。

   明治35年(1902年)11月、有志の手に
   より塚の周辺に大石を積んだ上に、
   大きな自然石に 「琵琶塚」 と彫って
   建て、大正12年(1923年)に清盛塚
   の隣の場所へ移されました。

萱の御所跡
 名  称 :  萱の御所跡

 所在地 :  神戸市兵庫区今出在家町

 由 緒  :
   「牢(楼)の御所」 とも云い、平清盛 が
   後白河法皇 を幽閉した建物があった
   場所と伝えられています。
   運河の拡張工事によって水中に没して
   しまうため、藥仙寺内に移されました。
   なお、旧碑が破損していたため、現在
   の碑に再建したそうです。

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【 福原京とは 】
   兵庫県神戸市の周辺を含む広範な地域を指します。
   「雪の御所」 に代表される 清盛 の別荘や平氏一門の別邸がある景勝の地であり、
   清盛は若くから 大和田泊(おおわだのとまり:現在の神戸港) の整備などを行い、
   日宋貿易の拠点として大いに栄えていました。

【 4ヶ月間の都 】
   治承 4年(1180年) 6月、平氏一門の棟梁であり、時の権力者でもある 平清盛 は
   挙兵した源氏への牽制、寺院勢力との決別などを図り、自らが永年開発を続けて
   来た 福原京への ゙遷都" を行います。
   しかし、性急な遷都は公卿たちの理解を得られず反撥を招き、また全国的な反平氏
   の気運の高まりもあり、同年 11月には京都へ還幸することとなりました。
   僅か 4ヶ月間ですが、都の機能は 福原 にあったのです。


〜 ken-you史跡巡り記 〜

   2003年 7月に散策して来ました 兵庫県神戸市 の史跡の紹介です。
   前回の 「一の谷の戦い」 のときと異なり、平清盛 に焦点を当てています。
   と言っても当初からの目的は、「清盛塚」と「琵琶塚」だけであり、他の史跡は散策
   しながら見つけたものです。 (^^)
   それほど、神戸市には ゙源平" 関連の史跡が多いということが分かると思います。
   主要な幹線道路に 史跡MAP みたいなものがあるため、喜んで見て廻っていると
   足が棒になっていたという事態に陥ってしまいますのでご注意を。 ← 自分のこと



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