源平の写真
             壇ノ浦の戦い


壇の浦古戦場址の碑 御裳川碑
壇の浦古戦場址の碑 御裳川碑
 山口県下関市の みもすそ川公園 にある、船の形を
 した 「壇の浦古戦場址の碑」 です。

 この地を舞台に源平死力を尽くした最後の戦い
 壇ノ浦の戦い が繰り広げられ、武運つたなく平家武者
 の多くが海底に沈みました...
 写真には、本州と九州を結ぶ中国自動車道と関門海峡
 を横断する船が写っており、壇の浦の戦い が行われた
 800余年の古より、刻の流れを感じる一枚です。
 公園内 にある 「御裳川碑」 です。

 壇ノ浦の戦い は、この地の海流を熟知している平家
 方が、最初は優位に戦いを進めます。
 しかし、潮の満ち引きにより海流が変わり、源義経 の
 奇策による攻撃が効を奏し、源氏方が優勢になるや、
 味方の裏切りや戦線離脱が起こり、平家の敗北は
 決定的となりました。
  地図はこちらから → 地図(Map)

安徳帝御入水之処の碑
安徳天皇阿弥陀寺陵
安徳帝御入水之処の碑 安徳天皇阿弥陀寺陵
 公園内 にある 「安徳帝御入水之処の碑」 です。

 平家の敗北は決定的となり、今はこれまでと、二位の尼
 (平清盛の妻)は、孫の 安徳天皇 を抱き、
 『今ぞ知る みもすそ川の御流れ 波の下にも都ありとは』
 とうたい、海に身を投げます...
 安徳天皇 は、二位の尼 に抱かれて、この場所で海に
 沈んでしまったのでしょうか?

 山口県下関市にある 「安徳天皇阿弥陀寺陵」 です。

 赤間神宮境内にあるこの陵墓は、入水した 安徳天皇
 の尊骸が漁師 中島四郎大夫正則 の網によって揚げら
 れ、この地に手厚く葬られたのが始まりだと伝えられて
 います。
 また、西日本では唯一の御陵としても知られています。

赤間神宮の 水天門 赤間神宮の 外拝殿
赤間神宮の 水天門 赤間神宮の 外拝殿
 山口県下関市にある 赤間神宮の 「水天門」 です。

 赤間神宮 は、平清盛 の娘である 建礼門院徳子 と
 高倉天皇 との間に産まれ、僅か 8歳の幼い命を海の
 底に沈めてしまった 安徳天皇 を祀っています。

 赤と白の鮮やかな、さながら龍宮の城門を思わせる
 水天門 は、゙その玉体は水底にあっても、御霊は天上
 にある" ということから、その名が付けられたと伝えら
 れています。

 赤間神宮の 「外拝殿」 です。

 水天門 をくぐり抜け最初に目にするのが、ここ 外拝殿
 です。
 朱塗りで美しいこの建物の奥に、「内拝殿」 があり、
 さらに奥には 「御本殿」 が控えています。
 また、この西側にある 「宝物殿」 には、数々の重要
 文化財が展示されています。

  地図はこちらから → 地図(Map)

耳なし芳一の像 七盛塚
耳なし芳一の像 七盛塚
 赤間神宮境内にある 「耳なし芳一の像」 です。

 ギリシャに生まれ、後に日本に帰化した 小泉八雲
 (ラフカディオ・ハーン) がまとめた 「怪談」 の中で
 記した 「耳なし芳一のはなし」 は、壇ノ浦の戦い に
 まつわる逸話として、有名です。
 この像は、七盛塚 の入口にあります。
 赤間神宮境内にある 「七盛塚」 です。

 壇の浦の戦い で散った、知盛、教盛、教経ら平家一門
 の供養塚と、大小無数の五輪塔が並んでおり、芳一が
 平家の亡霊に囲まれて見事な琵琶を披露した場所とも
 云われています。
 800余年の刻を越え、平家一門の無念やるかた無い
 気持ちが伝わって来る一枚です。



源平の写真 前へ 次へ