“余暇の多様性を求めて”
「生涯現役かなざわ会」代表 門口 泰宣
日本余暇学会10周年記念事業として余暇に関する論文を募集しておりました。そこで私も自分の体験と、今まで見聞きしてきた余暇の過ごし方について纏めたものを応募しました。全国から約208篇の論文の応募があり、審査の結果その中から小生を含む47篇が選ばれて、それらを編集した「超団塊世代の余暇哲学と実践」と題する書物が刊行されました。「超団塊・・」とタイトルに見えるのは、実際の応募者の大多数が、団塊世代の一つ上の世代であり、結果的には先輩から団塊世代へのメッセージという内容になりました。駄文でありますが、皆様へのご参考のためにここに転載致します。皆様からのご意見を承りたく存じます。
〔余暇とは好きな事をする時間〕
余暇とは本筋の仕事なり課題なりを持ちつつ、それらに費やす時間以外に何かやるべきことに当てる時間を指す。従って定年になって悠悠自適とか家でブラブラしている人にとっては全ての時間が自由であり、これは余暇というよりその人の人生そのものと言える。
従って本来の余暇は物理的には比較的短い時間の幅を指すと思う。それは兎も角、余暇には先ず自分の好きなことに当てるのが一番望ましい。本筋の仕事には当然自分の意にそぐわないこともやらなければならないこともあろう。それに反して余暇の時間でやるべきことは、自分の意志で決められることであり、義務的なことや不本意の事柄は対象から外した方がよい。それではどういう分野があるかと言うと、先ず第一は人間誰しも人より勝れた点を何がしか持つものであり、自分の特技や技能を他人におすそ分けしてあげることである。2007年問題といわれる、団塊の世代の一斉退職につれて、ベテラン社員の持つ技術の継承者を育てることが問題となっている。
会社内で組織的にそういう訓練に当る以外に、余暇にもっとオープンに社外で活躍する場も出てこよう。後継者の育成はそれ自体自分の喜びと感じるに違いない。又自分の得意分野の講演活動を行なうことの支援をする団体がある。NPO団体の“シニア大楽”では、プロでない普通の人が講師として登録し、自治体や企業等からの依頼を受けて講師として派遣している。現在私を含めて数百名が登録しているが、面白いテーマと話し方で人気がなければお座敷がかからないから自己研鑽が必要となってくる。シニア大楽では、定期的に専門家による話し方講座を開設し登録講師の育成に尽くしている。これは新しいシニアのライフスタイルとして興味深い。
〔気楽にボランティア〕
他人のために役立つことや、地域社会に何がしかの貢献に繋がることでいうと先ず介護とか福祉の分野でのボランティアが想起されるが、資格が必要な仕事には、おいそれと手掛けにくいし、又ボランティアと改めて取り組むことに面映い思いをする人もいるであろう。とっつき易いのは、地域の歴史ガイドや博物館のガイド等がある。多少知識の蓄積が必要だが、比較的手軽に取り組むことが出来ると思う。更にボランテイアの対象範囲を広げて、例えば現今の少子化時代にあって、地域の子供を地域ぐるみで育てるという観点から、廃校や空き教室を利用して、学童保育、遊びやマナーの指導なども意義ある仕事である。
言わば遠くの孫より近くの孫に手を差し延べるという一種の癒しにもなる。コミュニティビジネスという新しい着想になる分野も徐々に浸透しつつある。一人住いのお年寄り世帯が増えているが、買い物や、庭の手入れ、洗濯、炊事、犬の散歩、碁将棋の相手、単純な話し相手等で助けてあげるのが喜ばれる。無償でなく有償でも需要は相当あると思われる。又閉店した地域の商店を借り上げて、地域住民の交流の居場所とする動きも出てきている。これらはNPOと言う形で活動するのが理想的であるが、そこまでいかなくても、町内会単位の任意のグループでも対応できよう。
余暇の過ごし方として、自分本来の愉しみに時間を費やすことはごく自然である。 その場合、趣味、スポーツ、或いは旅行、学習等今まで手掛けてきたこととは違う分野で挑戦してみるのがよかろう。何をするにしても、人間一人で出来ることは知れており、又直ぐ挫折してしまいがちであるから、共通の目的の為に、周囲の人と群れて、助けたり助けてもらったり、仲間との交流を通じて自己実現するのがよい。特に定年後の余暇の過ごし方に絞ってみると、65才定年制が法制化され、働く意志がある退職者に企業は義務として雇用を迫られている。
現役時代と同じように、週五日のフルタイムで勤務する以外に、パートタイマー的な働き方も選択肢の一つだ。定年になって一番淋しい思いをするのは定期券がなくなることである。ちょっと外出するにしても交通費がばかにならない。何らかの形で働きつつ余暇も愉しみたい向きには、ワークシェアリング的な仕事もある。私も一時勤務したことのある日本証券代行?で長年実施しているのは、午前9時から午後6時まで、3チームに分けて、それぞれ週五日毎日の3時間勤務になっている。そして嬉しいのは定期券が支給されることである。この勤務方式は、雇用者を通常の3倍必要とし、雇用者数の拡大にも寄与する。会社までの往復時間を含めると半日は拘束されることになり、あと半日が自分の余暇として確保できる。収入に拘らなければお勧めの勤務形態である。
〔仲間に入る〕
先にも述べたが、一人一人が単独で活動するより、ある組織の中に入って、仲間との交流を通じて余暇の活動をすることが望ましいと思う。シニア向け団体として、日野原重明先生が主宰している「新老人の会」、岡本行夫氏主宰の「新現役の会」、企業が後押ししている「ナイスライフの会」等があるが、何れも全国的な組織である。こういう会は簡単に会員同士が集うには便利が悪いが、どこかに所属していないと不安に感ずる人には効用があろう。それに比べて、地域単位で活動するグループは、日常的に集いやすいので地域密着型の活動が可能である。
具体的には首都圏の12団体で構成している「ヒューマンネットワーク研究会」という特異な組織がある。それらの団体は東京都、神奈川県、千葉県、埼玉県に所在し、それぞれ独自にシニアの余暇活動の受け皿として機能している。私自身横浜市金沢区において「生涯現役かなざわ会」を13年前に発足させ地域の皆様に歓迎されている。共通しているのは、会社人間から社会人間への脱皮を目指し、地域市民としてゼロスタートして自己の生き甲斐を求め、新たな人生を切り開くという使命に燃えていることである。
趣味の世界でも、埼玉で旗揚げした演出家の蜷川幸雄氏が指導している「シニア劇団」に千人以上の応募者があったことは驚きだ。又音楽も聴く側から演奏する側に廻りたいと、各種楽器教室の参加者が増えているし、腕に自慢のある人はライブ活動も行なっている。私は子供が育ったあとに家で長らく家具化していたピアノに、60才を越えてから一時挑戦したことがあるし、今は近所のウクレレサークルに入り楽しんでいる。若者に負けないこういう新しいタイプのシニアが出現している。
映画鑑賞にしても60才以上はシニア料金として千円に割引されており、もっともっと映画を見に行って映画産業の復活に寄与してもらいたいと思う。旅行にしてもありきたりの場所を避けて、目的を絞った旅行プランに人気が出てきている。お金に余裕のある方は、豪華な雰囲気とゆったりとしたスケジュールの船旅を愉しんでいる。一方料金の安いJRの青春キップを使うのは名前とは大違いで、大部分は旅なれたシニアであると言う。両方共通しているのは、時間にとらわれたくないと言う意識である。
現在はお笑いブームであるが、笑いはナチュラルキラー細胞を増殖させ、ガンの予防にも効果があることが実証されている。少し頭の回転の効く人やトンチの才能のある方には、川柳やジョークの創作がうってつけである。私はアマチュアでジョークや笑いの創作を追求する”ジョークサロン同巣会”というグループに属し、毎月の作品発表会に参加するとともに、作品を集めた会報「伝笑鳩」の編集にも携わっている。「伝笑鳩」は今年6月で200号に達し息長い活動が続いている。脳の活性化に役立ち、ボケ予防にもなるであろうし、第1お金がかからないから庶民にはうってつけな趣味である。洒落でなくて「ユーモア共和国」を設立してしまった方もいる。ロマンと夢を追う姿は微笑ましい。
最近男の料理教室も繁盛している。「男子厨房に入らず」は古語と化しつつある。私は第一の職場の定年前に夜間の料理学校に通い、調理師の免許を取得した。これを看板に前述の「生涯現役かなざわ会」の分科会で「お父さんの料理教室」を開いている。“率先炊飯”を合言葉に、自分で作ったものが一番美味しいということを実感してもらっている。
〔余暇に創意工夫を〕
シニアは概してITに弱いと言われるが、団塊の世代はIT世代とも言われ、一つ前の世代とは一線を画しているのが特徴的だ。でも72歳の私だってパソコンは自由に使えるし、現実にパソコンで翻訳の仕事もしている。食わず嫌いは止めて、チャンスがあればこのツールを使いこなすのがよい。新しい世界が見えてくる。スポーツ分野では、体力のある人のマラソン愛好者も随分増えているし、遭難事件も絶えない中、山岳登山も一つのブームとなっている。又実益も兼ねて農作業に従事するのも健康的である。私の友人は都会の貸農園を利用していて楽しそうだ。
地方での季節的助っ人になる人や、定住する人も出てきた。自然に親しみ、自給自足が満足されるならこれ以上のことはない。農作業までに至らなくても、最近の傾向として都会的田舎とでもいうべき場所(自然環境に恵まれるが、都心まで新幹線利用なら1時間位で行ける場所)に住居を移す人が出てきている。自然もよいが都会の喧騒も捨てがたいという中間的な生活環境を選んでいるのである。
余暇に何をすべきかは、個人個人の問題であり、「他人に迷惑をかけなければ何をしてもよい」のである。そして好奇心を全開して、余暇のメニューは横並び主義にとらわれず、スタンダード仕様でなく、個人の創意と工夫が入り込む余地のある個別仕様を選択し、余暇の多様性をキーワードとして提唱したい。間違っても余暇に病院に行って話し相手を求めると言う情けない姿にはなってもらいたくない。一つ付け加えるならば、どこへ行っても女性の姿が多く見られ、男性の影が薄いことである。特におばちゃんパワーの凄まじさに圧倒される。これは平和の証とも言えるだろうが、私も男性の一員として余暇の機会均等を望むものである。