ベスフレ


聖護院かぶら


 


 

「軽音ライブ?」

左手の指にマニキュアを塗っていた女子中学生は、や

やけげんそうにこちらを見た。

「そうなの。今度の日曜、吉東(きっとう)高校の文化

祭でやるんだ。誰か…」

少しおどおどした様子のくせっ毛の少女は、手の中の

二枚のチケットを自信なさげに二人の茶髪の少女の座っ

ている机の前にかざした。

 秋の初め、とある中学校の二時間目の休憩時間、一年

生の教室での会話であった。

 

*   *   *          

                                

「お兄ちゃんがね、吉東高校の軽音楽部なんだ。三つ上

なんだけど…。一年生でね、今回が初めてのステージな

の。それで、チケット二枚くれて」

昨日の兄とのやりとりを思い出す。兄は優しい人で、

くせっ毛の少女―花蘭(ふあら)にライブのチケットを

二枚手渡して、

「ふあらにはチケット二枚やるからさ、クラスの友達と

二人で見に来いよ」

と、眼鏡の向こうをにっこりと微笑まして言ってくれた。

 しかしふあらは実は、兄の口から「クラスの友達と二

人で」と聞いた時、えっ、と思ったのだ。正直言って気

が重かった。

というのも、ふあらのクラスはかなり荒れていた。クラ

スの人は、なんだかみんな怖かったのだ。

「それで、そのチケット二枚とも、あたし達にくれるわ

けぇ?」

さっきのマニキュアの少女とは別の方、雑誌を読んで

いた少女がふあらを見上げた。

「えっと…こっち側は、私の分。だから、どっちか…」

「なあんだ。あたしたち二人でなら、行ってやってもい

いかなと思ったのに」

…やっぱりこの二人もだめかあ。ふあらはがっくりと

肩を落とした。このまま日曜日まで誰も誘えなかったら、

お兄ちゃん、『おまえ友達いないのか』って悲しむだろう

なあ…。

「そうだ根辺(ねべ)さん、あそこにいる夕張さん、誘

ってみたら?」

「それいい! 友達いなそうな者同士、気が合うんじゃ

ない?」

「余りもの同士くっついたらわりきれるもんね!」

二人組はそこまで会話して、けたたましく笑った。ふ

あらは少し戸惑って、窓側の、【夕張さん】の席を見た。

 夕張鳴児(なるる)。近寄りがたい人が多いふあらの

クラスの中でも、彼女とはほとんど話したことがなかっ

た。それはクラスの他の子達とは違う種類の〈近寄りが

たさ〉なのかもしれない。クールな感じで、他の子とつ

るまなかった。こういうのを一匹狼というのだろうか。

 ちゃんと話せるかなあ…。思いながらも、ふあらは素

直に二人に従って、鳴児のところへ足を運んでいた。

 鳴児はやまぶき色のヘッドホンをつけて何かの音楽を

聴きながら、背表紙に雷マークが描いてある本を黙々と

読んでいた。

「あの、夕張さん…今度の日曜、吉東高校で文化祭があ

るんだけど、一緒に来てくれない?」

ふあらが精一杯の思いでそう言うと、鳴児はひと呼吸お

いたあと本を閉じ、目線を上げて意外にあっさり一言、

「いいよ」

と言った。ふあらはほっとしたが、当日この子とうまく

やれるか心配だった。

 

*   *   *

 

 吉東高校はここの近所だ。ふあらが待ち合わせ場所の

校門前に着くと、鳴児はもう来ていた。

 柱にもたれかかって、この前の本を読んでいる。キャ

スケットを深く被り、ネクタイのついたシャツに、真っ

白いジーンズ、新しそうなスニーカー。ボーイッシュな

服装が、背は高くないがすっきりした細身の少女によく

映えていた。対してこちらは、ロングスカートにウエス

タンブーツという甘めのスタイル。対照的な感じだった。

 鳴児はふあらに気づくと、帽子のつばをちょっと上げ

て、軽く笑ったような顔つきをした。

「行こっか」

 

         *   *   *

 

「ごめんね、私なんかにつきあわせて」

ふあらは少し挙動不審だ。さっきからおどおどしたり

しゅんとなったりで、沈黙のたびに同じ台詞を繰り返し

ている。

「もー、いいっていいって」

「でも…」

「実は、私の兄キもここの軽音部出身なんだ。年離れて

るもんで、もうとっくに卒業して独立したんだけどね」

「へえっ」

「あっ、会場の体育館の入口ってあれじゃん?」

チケットは学校に入る時ではなく、ライブ会場に入る

時に必要になる。チケットを探してバッグの中をごそご

そしながら、鳴児のさっきの言葉―自分の兄がこの高校

の軽音楽部の卒業生だということ―は、ふあらにつきあ

って文化祭に来るということの理由に、ちっともなって

ないことに気づいた。それは気にしすぎるふあらへの、

鳴児なりのやさしさだったのかもしれない。

「……」

「どうしたの、根辺さん」

「…ない」

体中の血の気がさっとひいた。昨日ちゃんとバッグの

中に入れたはずなのに、チケットがなくなっていた。き

っと見間違いだ、そんなはずはないと思って探すが、見

当たらないものは見当たらない。

「ご…ごめんね。あれ? おかしいな…」

幸い鳴児の分はもう渡してあった。鳴児は焦るふあら

を見て、一瞬逡巡したあと、肩かけのポシェットからお

もむろに古めの財布をとりだして、中身を見た。そして

急に小声になってふあらに呼びかけた。

「根辺さん! 大丈夫かもよ」

鳴児が見せてきたのは五年前のここでのライブのチケ

ットだった。生徒が描いたイラストが印刷されているわ

けでもない文字だけの味気ないデザインは、今年のもの

も五年前のものも、ほとんど変わらなかった。

「半券なんて日付以外まったく一緒じゃん。チケット係

の人も何百枚も同じの見るんだから気づかないよきっと。

いけるって絶対!」

入口の長机では三人の女生徒が受付をしていて、チケ

ットの半券を切ってもらったお客は次々と黒いカーテン

の中に入っていっていた。ドキドキしながらそれに続く。

意識してすましながら、早足で通り抜ける。

 通り抜けたあと、二人してこっそり振り返ると、さっ

きの受付の女生徒が、切った半券の異変に気づいて、ど

うしたらいいかわからないといったふうにキョロキョロ

していた。次のお客が来ると、慌ててそれを隠し見なか

ったことにしていた。

 ふあらが次に鳴児を見ると、鳴児はもうこらえきれな

いという感じでお腹を抱えていた。それを見て、ふあら

も、心の中でごめんなさい、ごめんなさいと言いつつ、

笑いがこみあげてきてしまった。

「ね? いけたでしょ? 私ずぼらだから、小二の時に

余った兄キのチケット、まだ残ってたよ」

鳴児がいたずらっぽく笑った。歯が真っ白だ。鳴児の

笑った顔をきちんと見たのは、この時が初めてだったよ

うな気がする。

 その後、チケットはふあらのバッグの、底についてい

た板の下から出てきた。『根辺さんって抜けてる』と、大

爆笑されてしまった。

 

         *   *   *

 

「えー…、最後の曲は、俺達みんなで詞を考えて、ベー

スの根辺くんが曲をつけてくれました。俺たちは小学校

からの大親友で、演奏もまだまだ未熟だけど、仲のよさ

だけは他のどのバンドにも負けないつもりです。そんな

メンバーそれぞれへの気持ちをこめて作ったオリジナル

の曲です。聴いてください」

ふあらの兄のバンド、tail windのステージ

は終わりに近づいていた。最後の曲はオリジナル曲、タ

イトルは『close friends』。

 うわべではなく、心の深いところでしっかり繋がって

いる友情を描いた、とてもよい歌だった。この日のため

に自分達で曲を作っていたなど、ふあらにとっても初耳

だった。兄が自分に『友達と見に来いよ』と言った意味

を、ぼんやりと考えていた。

「すごかったじゃん! 最後の曲もよかったよね。あれ、

根辺さんのお兄さんが作ったんでしょ?」

「そうみたい。私も知らなかったんだけど。そう言って

もらえると、お兄ちゃんも喜ぶよ」

ライブが終わって、模擬店のお菓子や何かを食べてい

る頃には、二人とも随分打ち解けて、ちょっとしたこと

でもなんとなく会話が弾むようになっていた。

「でも、なんで『close friends』なんて

タイトルなんだろう?」

「え…親友ってことでしょ?」

「親友って意味なの? じゃあbest friend

sでいいじゃん。closeってさあ、なんか閉鎖的じ

ゃない? きっとこの言葉を最初に作った人は、友達関

係ってのはドロドロして閉鎖的だと思ったからこんな名

前つけたんだよ。私はあんまり好きじゃないなあ。ベス

フレでいいと思わん?」

「ベスフレ? …んー…、そうかも?」

ベスフレとはbest friendsの略だろう。

同じcloseでも、『閉じる』という意味と『近しい』

という意味が別々に存在すること、をふあらは知ってい

たが、言わないでおいた。確かに鳴児の言うような語源

も、ちょっとありうると思ったし。

 それよりもふあらは、目の前にいるこの子と、そのベ

スフレになることができたら楽しいだろうなと思うよう

になっていた。

「…あ、もしかして困ってる? 気にしないでね。私た

まにワケわかんないこと言い出すからさ」

鳴児はにこにこしている。教室で見る鳴児とはまるで

違うが、どうやらこちらが本物のようだった。

「夕張さんって、本当は楽しい人なんだね」

「あー私、しゃべんないでしょ。んーだってあの連中と

仲良くする必要なんかないと思うし、仲良くしたくもな

いし」

鳴児は食べ終わったアイスクリームのコーンに巻かれ

ていた紙を握って、立ち上がった。

「今うちらのクラス、学級崩壊寸前じゃん? でもああ

いうことって、束にならないと何もできない奴らがやる

ことなんだよ。なのにみんな、誰かと仲良さそうにつる

んでると思ったら別のところでもうそいつの悪口言って

るしさ。私はね、たとえば親友が大犯罪者だったとして

も、根はいい奴なんだって信じて友達やってるんなら、

それはそれでアリだと思うんだけど、偽者の友達だった

ら、いない方がマシだと思う」

ふあらが食べていたたこ焼きのトレーを一緒に捨てに

行こうと、手をさしのべる。鳴児はふあらの思っていた

よりも、ずっと大人の考えを持っていた。もう日は落ち

かけ、さっきたこ焼きを買った露店は片づけの準備に入

っている。

「でも、根辺さんはあいつらとは違ったね」

たまたま鳴児のバックに夕陽が射していたものだから、

なんだか彼女が、すごく眩しく見えてしまった。

 

         *   *   *

 

「根辺さん、チャリンコは?」

「ううん、私今日スカートだから」

夕暮れの帰り道、お互いの家は知らない。夕焼けと同

系色の、きれいなやまぶき色の自転車を押す少女と、自

分はどこまで一緒に歩いていけるだろうか。

「あれぇ、根辺さんと夕張さんじゃあん?」

「この前言ってた文化祭、やっぱり二人で行ったんだあ」

向こう側からやって来たのは、この前誘いを断った茶

髪の二人だった。とたんに鳴児の顔から笑みが消える。

この前は特に何とも思わず、なんだか怖いだけだったの

に、不思議と今日はこの二人がとても嫌な感じに思えた。

「お互い友達できてよかったじゃない。じゃあね〜」

茶髪の二人はぺちゃくちゃ喋りながらふあらたちとす

れ違っていく。鳴児は彼女たちを冷たい眼差しで見送り、

ふあらに、行こ、とつぶやいた。

 しかし、ふあらは、その言葉に反して、全身彼女たち

の方に向き直って、力いっぱいに叫んだ。

「余りもの同士なんかじゃないからね…っ!!」

これには先ほどの二人も驚いて振り返る。

「ちょっ…、根辺さん…!?」

「余りもの同士なんかじゃないから!!」

それだけ言うとふあらはきびすをかえして走り出した。

なんか泣けてきそうだったからだ。

 どうしてあの時、平気だったのだろう。自分は心が麻

痺していた。友達いなさそう、なんて、自分をあんな人

達に言われる筋合いはないんだ。まして余りものとか独

りもの同士だから気が合うなんて、そんなこっちの人格

を無視した酷い言葉ってない。傷つくことも忘れて、当

たりまえのことのように平然と彼女たちの言うことを受

け入れていた。今ならわかる。余りもの同士でやってい

るような友達なら、やめてしまえばいいんだ。強くなり

たい。夕張さんのように。

 …キッ。走り疲れて立ち止まりかけた二、三秒後に、

背後で自転車のブレーキの音がした。

「乗ってかない?ゲーセン寄ってプリクラ撮ろーよ。私、

いちばんでかいサイズのやつ一度でいいから撮ってみた

いんだ」

自転車の少女に振り返ったふあらはもう、満面の笑顔

になっていた。

「一分割じゃ二人で分けられないから、二枚撮らないと

ね」

 

         *   *   *

 

 夜になった道を二人乗りの自転車が走っていた。

「私の好きなCDでしょ、好きなゲームでしょ、好きな

本でしょ…。あと兄キの軽音時代のテープ! 貸したい

物たくさんあるんだよ〜。明日いっぺんには無理だよね」

「…夕張さんって強いね…。私、夕張さんみたいになり

たいなって思う」

「へ? 何の話?」

「…あ、ううん。ねえ、プリクラ撮るんでしょ? 『ベ

スフレ』って書いてもいい?」

「アハハ。じゃー根辺さん、『根辺ちょ』って、アダ名つ

くことね」

「ちょ…!?」

「今考えたの。なんかよくない?」

「いいよ、夕…鳴児の好きなので!」

鳴児がペダルを一踏みするごとに、発電機のまわる音

がする。ロイヤルブルーの空、空気はちょっと涼しくて、

ふあらはすがすがしい気分で、秋の到来を感じた。

                         

          (完)

                            

 
トップへ