白き雫


紫水菜緒


 

 

パキッと足元で乾いた音がした。

その音に驚いたのか、パタパタと鳥が飛んでゆく。踏

んで木

でも折れたのだろう。

そんなことを考えながらイデルは背の低い草に覆われ

た道を歩く。道の両側は背の高い木々に埋め尽くされて

いる。

まるで緑のトンネルを歩いているようだ。

イデルは柄にもなくそんな風に思う。

視界は緑に覆い尽くされていて……。

いや、違う頭上のほんの少しの空間から青い空が見え

ている。

青い空間は細く繋がり、緑の上にある青い道のように

見える。

吸い込まれるようだと思いながら上を向いて歩く。

(上ばかり向いて歩いてはいけませんよ)

 今の自分を見たら、あいつならきっとそう言うのだろ

う。出会った時もあいつはそう言っていた。

 そうあれは確か……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「上ばかり見て歩いてはいけませんよ」

「?」

 ぼんやりと雨でも降りそうな黒い空を見上げながら歩

いていたイデルは、声の主を探そうと辺りを見回した。

 誰もいない。

「ここですよ、ここ」

 どこだ?

「だから、ここですって」

 だから、どこ?

ゴウン

もう一度辺りを見回そうとした時、木の枝に頭をぶつ

けてしまった。太い枝だったらしく、頭の中で音が響い

た。

「〜っ」

あまりの痛さに頭を押えうずくまる。

「だから言ったのに」

 顔の前で声がした。

 お前のせいだと思いながら顔ごと覆っていた手をどけ

る。

 顔の前ってことは声の主も、しゃがんでいるのだろう

か? それとも首まで地面に埋まっているのだろう

か?

 恐る恐る目を開けると、丸いずんぐりとした白い体に

少し出っ張った愛らしい尾、それに黄色い嘴が見えた。

「上ばかり見ていると危ないですよ」

 そこにいたのはアヒルだった。

「それに地面にはお金とかいいものが落ちていることが

ありますからね」

 しかも現金なアヒルだった。

「あの私の言ってること分かりますよね」

「ああ、分かるよ。僕は『理解するもの』だからね」

 この世界ではごく稀にあらゆる言語、果ては動物語ま

で理解できる人間が生まれることがある。その人間を『理

解するもの』と呼ぶのだ。

 理解できるといっても、この単語がこの意味でこっち

がこの意味というように理解できるのではない。その言

葉に込められている思いというか意味が理解できるのだ。

こちらの言うことも相手に伝えることももちろんできる。

ただ、その言語を話せるのではなく、自分の知ってい

る言語を自分が話している間だけ相手にその意味が伝わ

るのだ。

つまり、はたから見ていると違う言葉で会話している

ように聞こえるらしい。(僕は全ての言語が分かるので体

験したことはないが)

 便利な能力に聞こえるがそうでもない。肉を食べる人

間には酷な能力だ。

 それに異端視される。鳴き声の高さや長さで多くの情

報を受け渡ししている動物と話しているところを見てい

ると、人は自分の心の中まで見透かされるような気にな

ってくるらしい。

あらゆる言語が解かるだけで心の声まで聞こえるわけ

ではないのに……。

 それ以前に普通とは違うそれだけの理由からかもしれ

ないが。

 そんな風に異端視されるのが嫌でイデルは旅をしてい

る。夢を追うことをあきらめて。

「それで何か用?」

 少しイライラした気持ちで聞く。

「頼みたいことがあるのですが」

「嫌だね」

 即答する。

「そんなあなたから尋ねておいて……せめて話だけで

も」

「他を当たってくれ」

 目的のない旅なので時間はあるが、アヒルに構ってい

る時間はないのだ。

「まあまあ、そこを何とかほら雨が降ってきましたよ。

雨宿りする間の暇つぶしにでも……時間はあるのでしょ

う。私良い場所知っていますよ」

 この辺りに詳しくて、鋭いアヒルに味方するようにぽ

つぽつ雨が降り出していた。

 

 

 

 私、見て分かりますようにアヒルです。名はテミヤゲ

といいます。

この旅の始まりの方にある方々から付けてもらいまし

た。

旅立つ前はフィーユと共にいました。

あ、フィーユは人間です。

フィーユは私のことをアヒルさんと呼んでいました。

何でも名前を考えようと思ったときにアヒルさん以外

思いつかなかったそうです。

歳は私がフィーユと離れたとき十一ぐらいだったので、

もう十三ぐらいでしょう。

ええ、私は二年旅を続けていることになります。

正確な歳が分からないのは私がアヒルなのではありま

せん。フィーユの小さい時に両親がお亡くなりになり、

一人残されたフィーユは施設に入りました。

ええ、そのころフィーユは自分の誕生日を覚えている

ほど大

きくはありませんでしたから……。

泣いていたそうです。

来る日も来る日も。

私はフィーユに野原で一人ピイピイ鳴いていたところ

を拾い

育ててもらいました。

 ないているもの同士馬が合ったのかもしれませんね…

…。

私たちは寄り添って育ちました。

 え? ああ何というか、そのう、フィーユはいじめら

れることが多くて。

……。

フィーユはあなたと同じ『理解するもの』でしたから

ね……。

 それでも、私とフィーユ、一人と一匹それなりに幸せ

でした。

ところがある日フィーユは病気に掛かりました。

ええ、私も初めは、すぐに治る軽い病気だと思ってい

ました。

しかし、日に日に病気は重くなりました。

ついには立ち上がるのさえ、ままならなくなりました。

私はいつも「もうすぐ良くなる。大丈夫」と励ましま

したがフィーユは黙って首を振るだけでした。

今思えば私の言葉も、重荷に過ぎなかっただけかもし

れませんね……。

……。

フィーユは滅多に笑わなくなり、どんどん暗くなって

いきました。

でも、ある日、そんなフィーユがですよ! 

笑って、目を輝かして言うのです。

「アヒルさん、本を読んで知ったのだけど、白き雫とい

うのがこの世界の何処かにあるんだって」

「それで?」

私は嬉しくなって尋ねました。

 こんなに元気なフィーユは久しぶりでしたから!

 ええ、ええまるで病気が治ったかのようでした。

「それでね」

 フィーユは笑うのを止め真剣な表情になり続けました。

「その白き雫が私を……癒してくれると思う」

「探しにいきます。今すぐ!」

 私は叫びました。

「よかった。アヒルさんならそう言ってくれると思った」

 フィーユは少し涙ぐんでいました。

 すぐに私は旅にでました。

 白き雫とは、混ざりがなく透明でそれでいて白くて、

塩辛くてやさしいものだそうです。

 いえいえ、塩水に白絵の具を混ぜたものではありませ

ん、私が見てそうだと気付くものだそうです。

私が見て気付かないとそれはフィーユを癒さないそう

です。

私は白き雫が見つけるまで帰らないと決めました。

旅にでた私はまず馬車に乗り込みました。

相乗り馬車だったのですが、お金はいらず、相乗りの

方々にも喜ばれました。

 そこで名前ももらいました。

 ええ、それがテミヤゲです。

 皆さん「テミヤゲが来た」「こいつは良いテミヤゲだ」

などと言われて私の来たことを大変喜んでくれました。

 ああ、言葉が解かったのは、私は長い間フィーユと共

にいたせいか何となく人間語が解かり始めていたからで

す。

 栄養価の高いおいしいものを食べさして下さるし、綺

麗に体を洗ってくれるし。

 あ、あの、何遠いところ見ているのですか?

 おーい、聞いていますか?

 聞いています?

 では続けますよー。

 そこまでは良かったのですがそこからが大変でした。

 馬車は大きなお屋敷に着きました。

 私はそこで鍋の上に吊られました。

その横で包丁研いでいる人がいて、殺されるかと思い

ました。

 まったくダック生終わるかと思いました。

「北京ダックになるからダック生終わらないよ」

とか横で言う嫌味な猫もいましたけど。

 どうにかもがいて縄から逃げ出したのは良かったので

すが、鍋の上でしたからそこ。

昔、フィーユから鶏は野生化したら飛べると聞いたの

を思い出して、それならアヒルも飛べると思い翼をはた

めかしました。

私は飛べる!

飛べませんでした。

でもなんとか、翼が壁に当たり真下に落ちずに床に落

ち私は助かりました。

 一緒に馬車で来た人達はどうなったのでしょう?

 どうか生きていられますように……。

 どどうしたのですか? 急に倒れて。寝てられるので

すか?

 もしもし? 

 あ、こけていたのですか。大丈夫ですか?

 何でもない? 

それは良かった。

こんなそんなで私はなんとか旅をしているのです。

 雨、上がりましたね。

 おやおや、もう夕方ですね。

 外にでませんか夕焼けが綺麗ですよ。

 

 

 イデルはアヒルに連れられるようにして雨宿りをして

いた小屋を後にした。

 普段ならアヒルの言うことなど聞きはしないイデルだ

が、このときは饒舌なアヒルのペースに巻きこまれてい

たのかもしれない。

 外は夕焼けのせいで真っ赤に染まっていた。

 雨上がりの夕焼けほど綺麗なものはない。

「フィーユは本当によく泣いていました……」

 真っ赤に染まったアヒルがぽつりと言った。

「そうだろうね、僕らは『理解するもの』であることを

隠せないから」

 『理解するもの』は一目見ればそうだと分かるのだ。

 目の色が片方づつ違うのだ。

 イデルの目は青と緑をしている。

隠すには目を片方潰すしかない。でもそれをする者は

少ない……してもほとんどが生き残れない。

目を潰したときの痛みに耐え切れないのだ。

『理解するもの』はなぜだか痛みにとても弱い。

病気にも弱い。

フィーユという少女が軽い病気が治らず、寝たきりに

なったのもそのせいだろう。

実際、『理解するもの』大半が十代前半で死ぬのだ。

能力の代償、そう言う学者もいる。

イデルが十六歳まで生きていられるのは奇跡に近かっ

た。

「本当に綺麗な目ですね」

「そうか、僕は好きになれないけど」

 イデルには『理解するもの』である烙印にしか思えな

い。他の者もそう変わりはしないだろう。

「フィーユもよくそう言ってきました」

 アヒルはこぼれるように言う。

「でもある日『私は好きですよ、夕焼けみたいで綺麗で

すから』って言うとフィーユは泣いていました。

 フィーユの目の色は赤と紫をしていました。ちょうど

今の夕焼けみたいに……」

 そう言ってアヒルの見上げた空は、西の方は赤く東に

行くにつれてだんだん紫に染まっていた。

「あなたの目は海のようですね」

「そうか?」

「そうですよ……そうです。海は透き通った緑に見える

こともありますから」

お世辞なアヒルだ。

信じられない。

「で、お願いがあるのです。この羽根をフィーユに届け

て私が元気であると伝えて欲しいのです」

 アヒルはそう言うと1本の羽根を差し出した。元は白

い羽根は夕焼けに赤に染められている。

 ああ、そうかそのフィーユと言う少女は……。

「君旅に出てから泣いたことある?」

「いいえ、ありません」

 アヒルは首を振る。

「あの日、綺麗な目ですねって言った日、フィーユはさ

んざん泣いて『私もう泣かない。次に泣くのはアヒルさ

んが死んだときにする』って言いました。『私もです』と

私はフィーユと約束しましたから」

 そう言ってアヒルは羽根を繕う。

 ああ、そうか。

 イデルは一つのことを確信した。

「それでは、お願いできますか? グラゼ地方のシャリ

ナの町にある孤児院なのですが……」

「かなり遠いな」

 このアヒル二年旅していることはある。

「でもいいよ、グラゼ地方なら途中で寄れるし」

 嘘だった。目的地なんてないのだ。この旅には。

 でも、フィーユという少女がこのアヒルに託した願い

に少し付き合いたい気がした。

「そうですが、ありがとうございます。私の言葉が解か

る人にそうそう会えませんからね」

 ほっとした様子でアヒルは言う。

 でもイデルは自分の心を見透かされているような気が

した。

 こいつ、こうなることを全部分かっていたのではない

か?

「では、私は行きます」

 そんなイデルを知ってか知らずかアヒルは去って行く。

「あんた、これからそのテミヤゲだったっけ? その名

前使わないほうがいいよ!」

 イデルはアヒルの背に向かって叫ぶ。

「では、どのような名が良いのですかー?」

 アヒルは振り返って叫び返す。

「ミルが良い」

 イデルはにやっと笑ってそう言っていった。

 

 

 

そんなこともあったとイデルは緑の道を行く。天国に繋

がる階段のような青い道を見ながら。

 この先にフィーユがいるのだ。

 少し開いた所にでた。そこは空が広がっており、光が

差し込んでいた。

 そこにはいくつもの墓が並んでいた。

 その一角に白く小さな墓が佇んでいた。フィーユの墓

が。

 サアアア、風が吹いて行く。

フィーユはあのアヒルが旅に出たその日死んだ。その

ことを教えてくれた人は「あの子は死ぬのを知っていた

んだねぇ、きっと……。あの子は死ぬのをアヒルに見せ

たくなかったんだよ。

それで最後にアヒルの前で元気な振りをして安心さし

てアヒルを旅に出しだんだよ、見つからないものを探す

旅にね」と言っていた。

(でも僕はそうは思わない)

 白き雫それはあのアヒルの体を伝う、透明で白い涙の

ことなのだ。

 フィーユはあのアヒルと共に生きたかったのだろう。

いやアヒルが白き雫を求めて旅している間、アヒルが泣

かない間、フィーユは生きているのだろう。

 そして、アヒルがそうだと知って涙を流す時、フィー

ユは本当の意味で死ぬのだ。

 フィーユと共に生きてきたアヒルにこそ自分のことを

思って泣いて欲しかったのだ。その涙はきっとフィーユ

の心を癒してくれるだろう。

 アヒルが涙を流すのかどうか知らないが、アヒルにそ

のこと気付いてもらえればそれで良いのだ。

 アヒルが旅した分だけ、共に生きた分だけ幸せだった

ことに。

 アヒルはもうそのことに気付いているのかもしれない。

だからイデルに羽根を渡したのだ。

でも知らない振りして旅を続けている。

 それも良いかもしれない。

 アヒルの羽根をどうしようか?

 フィーユはあのアヒルと共にいるのにここに置いて行

っても……。

(空にでも飛ばそうか)

 ああ、それがいい。

 そっと羽根を風に乗せる。

羽根はいつか地に落ちて踏まれ、どろどろになるだろ

う。

それでもいいのだ。

羽根はフィーユのところまで届くだろう。

そう信じれることが大切なのだ。

 青い空に羽根はふっと浮ぶ。

 もう一度生きてみよう。夢を追ってみよう。

海に行くのもいいかもしれない。

何かがイデルの中で変わった。そんな気がした。

 羽根は風に煽られくるくると回転し、またゆっくりと

浮び……そんなことを繰り返しながら空高く上がって行

く。

……。

やがて羽根は青い空と白い雲に溶けていった。

 

                    《おわり》

 

 

 
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