史上空前眼鏡バトル


鳳光天花


 

 

 

 都会の片隅にある丘の上で、壮年が夜の町並みを見下ろしてい

た。

 丘から見える夜景はまずまずの眺めだったが、壮年の表情は決して

明るくない。

 見るからに彼は、人生に疲れ切った様子だった。

 こんな時間でも賑わっているであろう都会で無数の光がきらめいてい

る様は、社会に溶け込む事の出来なかった彼をあざ笑っているように

も見える。

 そうやって、人間の世界は動いていくものなのだ。彼を取り残したまま。

それが前進なのか、後退なのかも知らずに。

 暫く街を眺めた後、彼は近くの木の下まで、おぼつかない足取りで

歩いていった。

 木の枝からは、先刻彼が取り付けたものであろう、丈夫そうなロープ

が、先端に輪を作ってぶら下がっている。彼はそのロープがしっかり結

べているか、枝は自分がぶら下がっても折れないかをきちんと確かめた。

この壮年、どうやら石橋を叩いて渡るタイプのようだ。

 踏み台に上り、ロープの輪に頭を通す。

 何の感慨も無い。人間、死ぬ前には人生の走馬灯を垣間見ると

聞いたことがあったが、今の彼には何も思い浮かばなかった。

 そうか、自分は既に狂っているのか。彼は無表情に、心の中で自分

をあざけった。

 ゆっくりと、前へ倒れていく。これでおしまい。何も考えなくていい。

 考えなくていい、筈だったのに。その一瞬の間に、彼の頭の中に鮮

明な映像が飛び込んできた。

 故郷に残してきた母。思い残すことなんて無いと、思っていたのに。

 しかし、もう遅かった。既に前へ傾いた彼の体は、自力で起き上がれ

そうにない。

 壮年の頭の中で、かすかだが何か鋭い音が響いた。

 

 

 

 壮年は地面に倒れていた。

 全身を打ってしまったようで、彼は何が起こったのかを理解できなか

った。

 遠くで何かが聞こえる。それが人の声だということは、今の彼には分

からなかった。

「お、おい、一般人を巻き込むなよ!」

「あなたがよけたからでしょう!」

「後方に人がいるなんて知らなかったんだ!」

「私だって知りませんでしたよ!」

「とにかく、様子を見にいく。あんた達も来てくれ」

 複数の声が近づいてきた。

「おい、あんた。大丈夫か?」

 そう言いながら壮年の背中を軽く叩いている人間を、壮年がゆっくり

と見上げた。そして、そのまま固まった。

 目の前にいたのは、筋骨隆々の大男だった。

「悪い、さっきあいつの投げた手裏剣が飛んできただろう? 怪我は無

いか?」

「これは手裏剣なんかじゃありません。クロスカッターです」

 大男の後ろには、ロングヘアーで眼鏡をかけた、少女と言ってもいい

程若い女性が、カッターの刃を十字にしたような物を持っている。それ

が彼女が言うところのクロスカッターなのだろう。

「あいかわらずのネーミングセンスだな」

「あなたには言われたくありません」

「だいたい一般人に向かって手裏剣を投げるなんて…」

「あなたに向かって投げたんです。それに、これは手裏剣では…」

 この奇妙な取り合わせの二人のやりとりを聞いて、壮年は、さっき自

分に何が起こったのかを知った。

 どうやら、この人達の喧嘩の流れ玉が、壮年のロープを切ってしまっ

たようだ。

「…だから、あなたが避けたから、一般人を巻き込んでしまったので

す!」

「見えなかったんだから仕方ないだろ。それに、そんな趣味の悪い手裏

剣にぶつかりたくはない!」

「手裏剣じゃありません、クロスカッターです。何度も言わせないでくださ

い!」

「やっぱりセンスが無いな、眼鏡っ娘レンジャーのリーダーさんよ」

「それはこっちのセリフです。反眼鏡組織、素面ライダーのおカシラさ

ん」

 …今、なにか変な単語が幾つか聞こえなかっただろうか…?

 低レベルな言い争いをしている二人の前で、壮年はオロオロしてい

る。

「俺たちが反眼鏡団体だと知っているなら、なんで眼鏡を外してくれな

いんだよ!」

「眼鏡をかけるのは、私のポリスィーです」

「だったら俺は眼鏡をかけないのがポリシーだ」

「ポリシーじゃありません、ポリスィーです」

「どっちでもいいだろうが!」

「よくありません! どうしても私に反抗するなら、変形スーツでメガネレ

ッドに変身しますよ」

「だったらこっちはカードデッキで…」

「まあまあ、もうその辺でよかろう? 巻きこまれた者が困っておるぞ」

 素面ライダーのオカシラと呼ばれた大男でも、眼鏡っ娘レンジャーの

リーダーと呼ばれた女性でもない誰かの声が後ろから聞こえ、壮年は

振り返った。

 そこには、闇と同化しているような黒づくめの服装の青年がいた。た

だし、黒づくめといってもサングラスはかけていない。

「おお、そうだった。悪かったな、そこの人。あんたさっき地面にころがっ

てただろ、大丈夫か?」

 暫くの間自分の存在は忘れられていたのか、と思いながら、壮年は

大男への答えとして、こくこくと頷いた。

「おカシラ、この者、眼鏡をかけていない。」

「な、何だと!?」

 黒い青年の言葉に、おカシラは妙に驚いた声を出した。

「燐光! 俺のことは、セクスィーフェロモンお姉様と呼べと、いつも言

っているだろうが!」

「はっ、…セクシーフェロモンお姉様!」

「セクシーじゃない、セクスィーだ!」

 おカシラと、燐光と呼ばれた青年とのやりとりを見た壮年は、呆れる

べきか笑うべきか分からない、という表情をしていた。そして、おカシラと、

リーダーと呼ばれた女性は案外気が合いそうなのに、と思った。

 

 

 

「コケコッコー」

 日の光の届かない地下で、太陽の代わりに朝を知らせる音が聞こえ

る。

 もっとも、それが無くとも壮年は起きていた。彼は元から眠ってなどい

なかった。

 なんせ、今まで壮年の目に写っていた世界は、昨晩突如として一

変してしまったのだ。

 偶然の事故で命拾いした彼は、その時眼鏡をかけていなかった為、

この地下にアジトを構える反眼鏡組織、素面ライダーの一員にされて

しまった。家庭も無く、職も失っていた彼に、断る理由は無かった。お

そらく彼の心境としては、「本来は死ぬはずだった身だ、もうなるように

なれ」といったところだっただろうが。

 壮年は、自分と他数名に割り当てられた寝室を出た。

「コケコッコー、起ーきーろー!」

 廊下でニワトリの真似をして叫んでいたのはおカシラだった。

「おお、新入りか。早起きだな」

 どうやら壮年はアジトのメンバーから「新入り」と呼ばれているようだ。

 壮年は挨拶を、口で言わずにぺこりと頭を下げることによって表し

た。

 荘年自身、新入りと呼ばれるのは嫌ではないので、自分の名前を

覚えてもらおうとはしなかった。

「…早起きというよりは、寝てないって感じだな。大丈夫か?」

 一睡もしていないということは顔に出さないようにしていたのに。そう思

いながらも、体調には問題無さそうなので、壮年はおカシラに頷いて見

せた。

「そうか。無理はしないようにな。それから、ここでは朝食は7時からだ。

あと10分くらいかな」

 言いながら、おカシラは壮年と同室のメンバーが起きたのを確認する

と、他の部屋のメンバーを起こしに向かった。このアジトには、寝室は3

つほどあるのだと、壮年は聞いている。

 暫くするとまた、おカシラが遠くで「コケコッコー」と言う声が聞こえた。

 昨日ここに連れてこられた時聞いた話では、この近くに、眼鏡っ娘レ

ンジャーと名乗り常に眼鏡を愛用する人々が拠点を構えているらしい。

昨晩会った女性は、その組織のリーダーなのだそうだ。

 このアジトに居る、素面ライダーと名乗る人々は、眼鏡に関する意見

の違いからその眼鏡っ娘レンジャーと喧嘩になったことがあり、それ以

来定期的に戦っているらしい。そして、勝ったほうが次の戦いまでの間、

都会の中にあるにしては随分と自然の残っている、近くの丘を使用で

きるそうだ。

 その丘は、世間の人々にとっては寂れている場所らしく、好き好んで

訪れる人は素面ライダーと眼鏡っ娘レンジャーのメンバー達くらいなも

のである。しかし、その二つの組織は互いに相いれないので、戦う時以

外で一緒にその丘にいるということはないらしい。

 さて、もうすぐ朝食だし、顔でも洗いに行こうかと思った壮年だったが、

何処に何の部屋があるのかは、ここに来たばかりの壮年には分からな

い。

「あ、新入りさんだ。おはよー」

 今廊下に出てきたらしい、壮年と同室の金鵄という少年が挨拶し

てきた。

「おいらこれから洗面所行くけど、新入りさんも一緒に行く?」

 洗面所の位置を知らない壮年にとって、金鵄の配慮は有難かっ

た。

 その後集会室に集まって朝食を済ませると、突然みんなが席を立っ

て、おカシラの前方に並びだした。そして、おカシラが声を張り上げる。

「眼鏡は止めて!」

「「コンタクトにしよう!!」」

「コンタクトが駄目なら!」

「「心眼で勝負!!」」

「我ら、反眼鏡組織!」

「「素面ライダー!!」」

 これはどうやら、毎朝恒例の発声練習であるらしかった。

 

 

 

 アジトに住む人々は、週に一度眼鏡っ娘レンジャーと戦い、それ以

外の日は各自好きなことをして過ごしている。

 恒例の戦いに勝った週には、みんなで丘に行ってピクニック気分で

遊んだりするのだが、今回はやむを得ず引き分けになったため丘は使

えず、たいていのメンバーはは集会室に集まって過ごしていた。アジトの

中で、集会室が一番広く、過ごしやすいからだ。

 壮年も、特にすることも無いので、集会室でアジトの人々、特におカ

シラや燐光、金鵄と話をするなどでアジトでの数日を過ごした。

 ここでの生活にも慣れてきたある日、やはり壮年は、おカシラと話して

いた。と言っても、外から見れば、おカシラが一方的に喋っているように

しか見えないだろう。

 この壮年は、口がきけない。元からではなく、精神的な疲労のためか、

ある日突然声が出なくなってしまったのだ。そして、仕事でのコミニュケ

ーションの取り方も、どう対処すればいいかも分からないうちに解雇され

てしまった。

 このアジトの人々は、壮年が話せない理由を問い詰めることはしな

かった。かといって、彼を腫れ物に触るように扱うこともなかった。それが、

彼にとっては嬉しかった。

「最近のあんたは元気そうだな。いや、良いことだと言ってるんだ。これ

でも一応、最初の頃は心配したんだぜ」

 おカシラも、この壮年と話をすることを楽しいと思った。壮年は喋るこ

とが出来ない代わりに、ころころと表情を変えるからだ。しかし実際には、

おカシラには壮年の多彩な表情が見えるわけではない。あくまでも、そ

んな気配を感じ取っているだけだった。

「…昔さ、俺にも、奥さん居たんだよな」

 おカシラは、急に話を変えた。どうやら、おカシラの頭の中では何かが

つながっているようだ。

「しかも、奥さんいつも眼鏡をかけていたんだ。その頃は俺も、眼鏡反

対派ではなかった。むしろ、好きだったな」

 壮年は驚いた顔をした。今のおカシラは、反眼鏡組織をまとめるだけ

あって、眼鏡を嫌っている。眼鏡という言葉を聞くことに抵抗はないが、

近くに眼鏡があるとすぐに察して、逃げ出してしまうらしい。

 昔は好きだったものを、突然これほどまでに嫌いになるということは、

相当のことがあったのではないか。壮年は、おカシラの話をこのまま聞い

ていて良いのだろうかと、戸惑った。

「…以前、事故で亡くなったんだ。現場に残っていたのは、彼女が愛

用していた眼鏡だけだった。それ以来、俺は眼鏡を見る度に悲しくな

ってな、…眼鏡が、ひどく残酷な物の様に見えたんだ」

 おカシラの話に、もはや壮年はどんな表情を返せば良いのか分からな

かった。

「しばらく時間が経っても、俺は立ち直ることができなかった。それどころ

か、ますます落ち込んでしまった。遂には自殺しようとまで思った。…体

が丈夫過ぎた所為で、未遂に終わったがな。ただ、その時視力を失

ってしまったらしい。もっとも、それでもう眼鏡を見なくて済むようになった

んだけどな」

 皮肉な話だよな、とおカシラは自分を嘲るような口調で言った。

「それから俺は、当時から相棒だった燐光の助けもあってなんとか立ち

直り、この反眼鏡組織をつくって気を紛らわした。今は、こんなに多く

の仲間がいて、ここが自分の居場所なんだって思えてさ…」

 おカシラの声は、いつの間にか普段の明るい調子に戻っている。

「なあ、俺は今、生きていて良かったと思ってる。…あんたは、どうだ?」

 

 

 

「…リーダーさんよ、あんたに言っておきたいんだけど…」

 素面ライダーと眼鏡っ娘レンジャーの戦いの場となっている夜の丘で、

おカシラとリーダーが対峙している。リーダーの後ろには、色とりどりな眼

鏡っ娘レンジャーのメンバーが控えている。

「何ですか? 『せめて俺の前では眼鏡を外してくれ』なら聞き飽きまし

たよ」

「いや、そうじゃなくて。…あの時、前回の戦いの時に偶然とはいえあい

つを助けてくれて…ありがとう」

 それを聞いたリーダーとそのメンバーは、少なからず驚いた。この丘で

初めて出会ってから今まで、素面ライダーと罵り合ったことは数知れな

いが、感謝の言葉を言われたことは無かった。

 いや、もしかすると彼女達の中には、誰かにありがとうと言われたこと

自体、初めてだという人も居るのかも知れない。

「もう吹っ切れたんだ。俺、けっこう眼鏡好きだったんだよな」

「やっと認めてくれたんですね!」

「そういうことになるな。…しかし、それでは俺達何の為に戦ってたんだろ

うなぁ、と」

「昨日みんなと話してたんですけど、私達は、反眼鏡団体…あなた達

と出会ってから、毎日が楽しかったんです。親の顔も知らずに育ち、人

に関心を持たれることのない私達には、たとえ敵としてでも私達の存

在を見て見ぬふりをしないあなた達が居る、それだけで嬉しかったんで

す」

 こうして彼らの謎の戦いは終わった。しかし、それからも彼らは以前と

同じように、夜の丘に集まっているようだ。

 今度は敵ではなく、仲間として。

 

 

 

「…で、帰るのか?」

 アジトの入り口の前で、壮年はおカシラにこくこくと頷いた。

 この一週間の間に気持ちを切りかえることのできた壮年は、再びこの

世界の中で自力で生きていくことを決意したのだ。

 何も気負うことではなかった。立ち止まったら、またここに来ればいい。

「そうだな。じゃ、いつでも遊びに来いよ」

 壮年はぺこりとお辞儀をし、お世話になりました、と心の中でつぶや

いた。

 最後まで、壮年とおカシラはお互いの名前を知ることはなかった。

 それでいい。名前なんて知らなくても話はできるし、友情も成立する。

 数十歩ほど歩いたところで、壮年は、アジトの方を振り返った。遠く

に小さく、入り口が見えた。

 その中は、光の差さない地下。けれど、何故だか暖かい。


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