上天の光


津月凍夜

 

 舞え舞え、雪のように

 散れ散れ、人の命のごとく

 ただひたすらに狂おしく、舞い散れ桜

 

 この街の真ん中に位置する広場には、巨木が聳え立っ

ている。桜の木なのだが、それとは思えない程に大きか

った。咲く花は淡い桃色ではなく、血のような真紅の花。

そして春には咲かず、十二月に満開を迎える。それ故に、

この街に古くから住む人々には『狂い血桜』と呼ばれて

いる。

 根岸聖司は、現在十七歳。生まれたときからずっとこ

の街に住んでいる。父親も、その父親も、そのまた父親

もこの街に暮らしてきた。

 聖司がこの血桜について知ったのは、八歳の冬。祖父

がよく口にしていた歌がなんとも奇妙な歌詞だったので、

それについいて訊ねた所、血桜についての歌だったのだ。

そしてその後、実際に血桜を見に行った。血桜はその名

のとおり、血のように紅く、美しく咲き誇っていた。

 しかし、それ以来聖司は血桜が咲いている瞬間を見て

いない。あの血桜を見た日の翌日に、祖父が亡くなった

ので、何年前からかよく覚えている。もう九年も咲いて

いない。もう一度、咲いている所を見てみたいとは思う

のだが。

 

 ヒラリ、と空から舞い降りてきたのは、白い雪だった。

曇り空から、花びらのように風に舞う粉雪に、人々は足

を止め、空を見上げた。

「雪だわ。」

「あら、本当!」

 はしゃぐ女子高生二人組みを横目で一瞥し、聖司は足

早に歩いた。雪に見向きもせず、黙々と帰路を急ぐ。―

―雪など、毎年降っている。別に珍しくも何とも無い。

寒くなったな、とそれだけ思い、聖司は白い息を吐いた。

 ヒラリ。

 聖司は思わず顔を上げた。視界の端に、赤いものが映

ったような気がしたのだ。白と灰色の空に。

 自分の目を疑った。

 雪に混じって舞い降りてきたのは、一枚の花びら。桜

のようだが、その色は紅。それも血のように濃い。

 どこから降ってきたのだろう、と周りを見回すが、た

だいつも下校途中に見ている景色が広がるばかり。

 ふと、聖司は誰かと視線が合ったような気がした。見

上げると、総合病院の三階の窓から、女の子が聖司の方

を見ている。挙動不審だったかな、と聖司は苦笑いを浮

かべた。

 それを見た女の子はくすり、と笑い、聖司に向かって

小さく手を振った。聖司も軽く手を振る。

 

「さっきは何をしていたんですか? キョロキョロして

いましたよね。」

 自分に笑顔を向ける女の子を目の前にして、聖司は思

った。全く面識の無い女の子の見舞いに来ているのは何

故なのだろう、と。

 あの後、女の子が聖司に手招きをしたのだ。入って来

いという意味なのだろう。それを無視してさっさと帰っ

てしまえる程、鈍感でもなければ冷徹でもない。実際、

こうして来てみると、女の子はとても嬉しそうだ。

「あれは…ちょっとな。雪が降ってきたから。」

 曖昧に笑う。そこで一旦会話は途切れた。

 部屋を見回すと、機械やら薬やらがやたらに目に入っ

た。個室というあたり、何か重い病気なのかもしれない。

「あ、そういえばまだ私の名前、教えていませんでした

よね。私、水野由衣って言います。」

「俺は根岸聖司。御舟北高校の二年。」

「じゃあ、私より一歳年上なんですね。」

 微笑を浮かべる由衣は、とてもじゃないが十六歳には

見えない。痩せているし、色も白く背も低い。

 ――由衣はよく喋った。ほとんど見舞いの来る者がい

なくて退屈していたこと、御舟北高校は自分の父親の母

校であること、東京からつい最近、こっちの病院に移っ

て来たこと。

 聖司は何気ない会話というもの――しかも相手は女の

子――というのが苦手で、ほとんど頷くだけだったが、

由衣は気にしなかった。

「また、来てくださいね。」

 日は山の端に落ち、夕闇が迫った別れ際の言葉だった。

軽く頷き、病室を後にする聖司。

 彼が背を向けた窓の外には、一枚の紅の花びらが舞っ

ていた。

 

 それから、一週間に二度、聖司は由衣に顔を見せに行

った。もともと、部活もしていないし、一緒に遊びに行

くような親しい友人も特にいない。暇な身分だ。こうし

て病院で時間を潰すのも悪くは無い。

 由衣と出会ってから、今日で三週間。聖司も彼女とい

ると楽しいと感じ始めていた。

「聖司さん、今日は何の話をしてくれるんですか?」

 由衣は目を輝かせながら言う。少し考えて、聖司は唸

った。

「そうだな…。」

 聖司は由衣のベッドの脇の丸椅子に腰を下ろし、腕を

組んだ。ふと窓の外を見ると、もう暗くなりかけている

灰色の空に、白く光るものが踊っていた。雪だ。

 そこで、聖司は思い出した。雪のように舞う、紅い―

―。

「由衣さんはここの地の人じゃねえよな。」

「はい。」

「じゃ、『狂い桜』を知ってるか?」

「えっと、季節外れに咲く桜のことですか?」

 自信が無さそうに言う由衣に、聖司は頷いてみせた。

そして、窓際に立って、駅の方を指差す。

「ここからでも見えるだろう? あのやたらでっかい

木。」

「あの大きな木ですか? あれ、何の木なんですか? 大

きいですね。」

「あれ、桜の木なんだ。」

「桜? …にしては大きくないですか?」

 聖司はカーテンを閉め、再び椅子に座った。

「確かに、桜にしちゃでけえよな、あれは。」

「楠木よりも大きいですよ。」

 驚く由衣の顔を見て、聖司は笑いながら言った。

「あの桜さ、春には咲かないんだ。春が来ると、花を咲

かさずに、いきなり葉桜になるんだ。おかしいよな。」

「じゃあ、いつ咲くんですか?」

「冬だよ。」

 ――冬に咲くんだ、そう繰り返して、聖司は息を吐い

た。あの桜にまつわる伝説を思い出す。

「何でも、人の命を吸って花を咲かせる、とか。でも九

年も咲いてないんだよな。人なんて沢山死んでるのに。

もう一度見てみたいんだけどな。」

 聖司がそこまで言い終わり微笑むと、由衣はベッドか

ら身を乗り出した。そして勢いよく言った。

「見てみたいです! その桜が咲く所。その…聖司さん

と一緒に…。」

 頬を赤らめ、俯く由衣。彼女なりの精一杯の告白だっ

たのだが、聖司は全く気づかずに、困ったように笑った。

「でも、由衣さんは入院中だろう? 冬だし、外に出た

ら、体悪くするよ。今はゆっくり、病気の方に専念し

たほうが良い。」

「はい…。」

 がっくりと肩を落とす由衣に背を向け、聖司はコート

を羽織る。由衣は拳を強く握り締めた。

「あの、聖司さん…。今度、ちゃんと親とお医者さんに

話して許可貰いますから、その時は一緒に!」

 ひらひらと手を振り、部屋から出て行く聖司の背中に

叫ぶ。ドアが閉められ、一人になると、由衣は膝を抱え

て、顔を埋めた。

 ――この世の最期の思い出に。

 

「…由衣さん、何してるんだ!」

 三日後、再び病院を訪れた聖司は目を丸くした。由衣

はいつものようにパジャマではなく、普通の服装で、コ

ートを着ている。

「何って…、お出かけの準備です。」

 屈託の無い笑顔で答え、由衣はマフラーを首に巻いた。

「もう辺りも暗いですけど、聖司さんが一緒だから大丈

夫です。」

「と、言うと…。」

「見に行くんです。狂い桜。」

 聖司はため息をついた。狂い桜なら、この部屋の窓か

らでも見えるではないか。しかも、花など咲いていない。

「見に行くって…、咲いてないだろう。」

すると、何故か由衣はきっぱりと言い切った。

「いいえ、咲きますよ、きっと。聖司さんも、もう一度

見たいって言ってたじゃないですか。」

「そりゃ、まあ。爺さんとの思い出がある桜だからな。

でも、由衣さん、体は…?」

 聖司が心配そうに言うと、由衣は軽く微笑んだ。

「…大丈夫ですよ…。」

 ただ、その微笑みは自嘲のようにも見えて。

 

 雪の積もった道を、聖司と由衣は初めて肩を並べて歩

いた。

 澄みきった冬の夜空には、オリオン座が見事に輝いて

いる。

 広場の桜を見上げる位置まで来て、二人は足を止めた。

狂い桜は何の変哲も無く、いつも通り其処に立っている。

 白い息を吐いて、聖司は由衣に言った。

「…残念、咲いてなかったな。」

「いいえ、きっと咲きます。聖司さん、言ってたでしょ

う?」

 由衣はゆっくりと足を前に進め、手を伸ばして桜の幹

に触れた。

「…ほら!」

 

 ――空から雪が降ってきた。

 否。雪ではない。

 紅い。

 

 聖司は顔を上げ、狂い桜を見上げた。その枝の先には、

血よりも紅い花。花が満開に咲き誇っている。

「…。」

「綺麗ですね、聖司さん!」

 歌うように言い、由衣は花の下で踊り始めた。

「何で…?」

 聖司はやっとの思いで、それだけを口にした。一方、

由衣はにっこりと満面の笑みを浮かべ、――そのまま倒

れた。

 ドサリ、という音が誰もいない静かな広場に響き渡っ

た。我に返った聖司は、急いで由衣を抱き起こす。

「由衣さん、やっぱり大丈夫じゃないじゃないか! す

ぐに救急車を…!」

 電話ボックスへ走ろうと、立ち上がった聖司の手を?

み、由衣は首を振った。

「もうちょっと…二人きりがいいです…。こんなにロマ

ンチック…なんですから…。」

 狂い血桜は人の命を吸って花を咲かせるという。昔か

らこの地に伝わる伝説だ。今、花が咲いているのは…

「由衣さんの命で咲いたって訳か。」

握られた細い手を強く握り返し、聖司は顔をうつ伏せ

た。

「何で、病院でじっとしてなかったんだ。」

「だって、私もうすぐ死ぬから…。病院にいても、この

冬を越せるか分からなかったから…。」

 顔面蒼白で、由衣は薄い笑みを口元に浮かべた。そし

て、桜の木を仰いだ。

「この世の最期の思い出作りです。…聖司…さん、今ま

で…ありがとうございまし…た。楽しかった、です。

…本当に。」

 由衣の冷たい肩を、聖司は強く抱き寄せた。

「…聖司さんのお話通り、本当に…、綺麗、です…ね。」

 由衣の体から力が抜けた。だらりと脱力した由衣の体

を、聖司はさらに強く抱きしめた。

「ああ。綺麗だろう、由衣…。」

 

 

 舞え舞え、雪のように

 散れ散れ、人の命のごとく

 ただひたすらに狂おしく、舞い散れ桜

 人の命は儚くて

 現の夢は切なくて

 この世の最期の思い出に

 血よりも紅い花を見よ

 

 

                     《終》

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