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清しこの夜
白粋翼
鈴は、鮮やかなネオンに囲まれて萎縮していた。 寒さから、自然と肩が上がってしまう。白い息を吐き ながら、臙脂色のマフラーを巻き付け直した。道路の真 ん中で立ち止まり、はあっと凍える手を暖める。座布団 を敷き詰めたような、平べったい雲の隙間からのぞく、 淡い青。昼間なのに、辺りは薄暗い。まるでここだけ時 が止まってしまったよう。鈴はしばらく目を閉じた。幸 せそうな声。吐き気がするような、そんな声。鈴は軽く 首を振って雑念を振り払い、再び歩き出した。 交差点ですれ違う親子連れやカップルの中で、鈴は一 人浮いていた。 (今日は何の日でしたっけ…) プレゼントの箱を嬉しそうに持ち上げて喜ぶ子供。その 横で愛しそうに我が子を見つめる両親。その姿を目にし て、鈴は複雑な感情がわき上がり、そっと目をそらした。 五十嵐鈴。九月十八日生まれのA型。今年の夏に唯一 の肉親であった、そして彼を作り出した父親が亡くなっ た。必要以上に語らない、そして無表情であったため、 彼の性格を推し量ることは難しい。近寄りがたいほど美 しい容貌だが、左目を隠していることでミステリアス。 外見で判断すると、プライドが高そうに思えるだろう。 しかし、実際はとても心の優しい人柄だ。この絶妙なバ ランスを保つ妨げとなるのが、彼が、クローン人間、と いうことだ。 ふ、と鈴は視線を感じて後ろに振り返った。 「りーんっ」 彼は、いつものごとく屈託ない笑顔を鈴に振りまいた。 鈴はほうっと吐息をついて名前を呼ぶ。 「…犬神君」 拓人は走って鈴の元に行った。もう、鈴の目には他の物 が映らない…。幸せという一時に埋もれた名前も知らな い人達を。 「珍しいな、鈴と商店街で会うなんて」 ……暗に『お前は外にあまり出ていない』と。 鈴は内心苦笑しながら、表に出さないでいつもの抑揚 の乏しい声で答える。 「…特に用はないんですけれどね。家にいても暇だった ので、荒井君のようにぶらつくのもいいんじゃないかな と…」 「務っちねぇ。まあ、気分転換でいいんじゃない?」 「はい」 そこでいったん会話が途切れた。拓人は何かしらと用事 があるようだった。せっかく合流したので、鈴は拓人に ついて行くことにした。沈黙が続く。先に破ったのは拓 人だった。 「鈴、今日は何の日か知ってっか?」 「……分かりません」 外界のモノなど、元々興味などなかった。高校など、 親のコネで行けただけ。小学校には行ったことがなかっ た。ましてや中学校となると、行ってはいたような気も するが、ろくなことがなかったような気がする。ただ父 のいない家でぼうっと、窓の外を眺めていた。 「クリスマスだよっ」 「…?」 「イエス・キリストが生まれた日さ」 拓人はそう言って得意そうに鼻をなでた。 「……ああ」 何人かは知らないが、日本人ではない誰かが生まれた日。 誕生日を祝ってもらえて、あの世に逝っても幸せだなと 思ったことがある。 「七面鳥とかいう鳥を丸焼きにして食べるとか…あと、 定番なのはサンタクロースだな」 そう言って子供に風船を渡している、赤色の服を着た人 を見た。深紅というよりも、朱色といっていい色をした。 その人はにこにこ笑いながら、子供の頭を撫でていた。 その日は、いつも通り父親の帰りを待っていた。人恋 しいと思う心は捨てたはずなのに、その日はいつも以上 に響く幸せそうな話し声を聞きたくなかった。聴力が優 れているということではないので、内容は分からないが、 とても楽しそうだった。テレビでは「クリスマスで何を 買おう」だとか「今日はホワイトクリスマスになりそう」 だとか、何語なのか分からない言語が飛び交っている。 その「クリスマス」とやらのせいだと、鈴は思った。 孤独には慣れていた。母親は鈴が生まれて(作り出さ れて)すぐに亡くなったので、物心ついた時から鈴は父 親とともにいた。彼は聖の身代わりとして鈴を作ったの であって、鈴という個人は受け入れてなかった。手違い で目を潰してしまい、そして感情も表すことのできない 子供を作り出した父親は、さぞ後悔したことだろう。彼 は、聖そのものを取り戻したかった。余命はそこまでな いとも言われていたが、聖はいつでも明るかった。聖の 笑顔が、彼を救っていたのだろうか…。 愛情が欲しい訳じゃなかったと言えば嘘になる。父親 は無口で、優しくするのが苦手な人だった。だから余計 に、その影響を受けた鈴は不器用になった。叶わない夢 を心に宿すのならば、私は何も望まない。それが、いい と思っていたんだ。 チャイムが鳴って、鈴はもてあそんでいた肩まである 長い髪から手を離し、玄関へと急いだ。心なしか焦って いるような気がする。どうしてこうなのか、分からない けれど。 鍵を外し、扉を開けると…彼はそこに仁王立ちしてい た。むっとするような鉄が錆びたような臭い。咄嗟に鈴 は鼻を押さえて後ずさりした。彼は、一歩、一歩と中に 近づいてくる。ザクッ、ザクッと雪を踏む音。鈴は耳を ふさぎたい衝動に駆られた。正面の家には、多彩な色の ネオンがきらきらと輝くクリスマスツリーが佇んでいる。 彼の全身像が、ようやく中の明かりによって浮かび上が った。鈴は思わず横壁に左手をついた。 「ぁ…」 声にならない。体中の血が故意に逆流させられたかのよ うに、鈴は次第に青ざめていった。人間らしい感情。そ れは、恐怖と呼ばれる。誰かに赤色ペンキをかけられた のか……だが、シンナーの臭いがしない。それは、彼の 皮肉なほど真っ白だったコートをどす黒い紅に染め上げ ていた。 「ただいま、聖」 珍しく、彼は無邪気に微笑んで言った。子供っぽく、何 の悪意もなしに…「鈴」のことを。彼は担いでいた大き くて黒いポリ袋を鈴に差し出した。 「コレ、捨てておいてね」 渡されたそれはずしりと重い。彼は今にでも鼻歌を歌い そうなぐらい上機嫌で靴を脱ぎ、鈴を置いて中へと入っ ていった。鈴のことなど最初から眼中になかったように。 鈴はいそいそと他人の目を気にしながら扉を閉めた。 彼は、何をしてきたんだ? 鈴の心の中に、一抹の不安がよぎった。自分という存 在――「聖」という少年のクローン人間の存在は、決し て真っ当ではない。学会にはふせられているし、鈴がそ うだと言わないまでは事実として知られることはないだ ろう。その現実に加算されて、彼は、一体、何を、して きたんだ? ごくんっと唾を飲む。心拍数が異常なほどにつき上が り、かたかた震える両手をなだめて…。真実を、つきと めるべく。 結局は見たくないモノほど見たくなるものだ…鈴は、 その中身をこそりと見てしまった。 「―――ッ」 それは、人間であったモノが分割された死体と、使い物 にならなくなった血で塗れた包丁、だった。 「やっぱ独り者は辛いよね〜。寂しいもんだ。そういや、 鈴は好きな奴とかいんの?」 拓人は黙り込んだ鈴をじっと見つめる。鈴は真っ直ぐそ れを受け止めた。 「それは…恋人として?」 頷く拓人を見て、鈴はちょっと考えた後に言った。 「…いません。今のところ、は。犬神君はどうですか?」 「あー俺? いないよ。つき合った女の子は何人かいる けど、どうも友達って感じで恋人じゃないんだよな。俺 達ん中で恋人いんのって、務っちだけだね」 それはまどかという、敬の妹。鈴は数回彼女に会ったこ とはあるが…どうも、よく分からない人物である。だが、 彼女は人を惹きつける魅力がある。とりわけ目立つ美人 というわけではないが、一風変わった物言いや達観して いる言動を聞くと、納得できる。 「でも…もうすぐそういう関係になりそうな人はいるけ どね」 思い出してつけ加え、拓人はくすっと笑んだ。その様子 に鈴は首を傾げた。 「どなた…ですか?」 「そりゃま、いつか分かるって」 絶対に分かるはずがない。 「まーな、時が来るまで様子を見ておけばいいんだよ。 その二人は…」 「おーい! 犬神に五十嵐〜っ」 拓人の言葉が途中で遮られ、前方から敬と務がやって来 た。鈴は首をひねる。一体誰のことをさしているんだ…? しかし、思いつかないので考えることを放棄した。 「今日、僕の家でクリスマスパーティしようと思ってる んだ。よければ皆遊びに来てよ」 「行く行く〜。な、鈴も」 特に用事がないので鈴は承諾した。が、待てよと首をひ ねる。 「犬神君は、用事はなかったのですか?」 「あー…ん〜、兄貴に頼まれたDVD買わないと…」 拓人には兄、敬には妹がいる。務にも兄弟はいるらしい が、彼はその話を避けるので知らない。一人っ子の鈴に は、彼らの立場が理解できない。そして、少し羨ましい 気持ちになる。 「じゃあ、けーさんらのついでに」 今から食材を買い集めると言った敬に付き添われ、サ ンタクロースの側を通り過ぎた。 「僕って、一応この中で一番年上なんだよね…」 ぽつりと敬がこぼした。 「でも、なんでなんだろうなぁ。荒井にはなめられ、天 川にはいじられる。これは不公平だと思わないか?」 急に鈴は肩をつかまれてびっくりした。 「だってそうだろっ? 年上の人は敬われるんだろ? 日本語学んだ時にそう教えられたのに…」 「新橋、たかが一才だぞ、たかが」 バシバシと上から攻撃を受けて、敬はぎろりと務を睨ん だ。 「一才だけれども、されど一才! おかしいじゃないか っ。僕は確かに遅生まれだけれども、犬神ならまだしも 天川に馬鹿にされたくないっ!」 「ああ、そういえば坊ちゃんは二月生まれ…」 思い出したように拓人は手をぽんと打った。敬はうんう んっと一人で納得して非難を続けた。 「一年以上離れてるんだよっ。あり得ない、僕は嘘を教 えられてきたのかっ? 確かに僕は単純だけど……それ だけが理由になっているなんてひどすぎるよっ」 最後の方はぜいぜいと息を荒く吐いていた。 「…新橋君」 今の今まで考えていた鈴が口を開いた。熱くなっていた 敬は、はっとしたように鈴の肩から手を放した。 「あなたの言っていることは半分あっていますが、半分 は間違っていると思います。会社の上司や御老人には敬 意を払うのが普通ですが、私達の年齢層での上下はあっ てないようなものです。偽りの関係よりも、はっきり現 れている方が私はいいと思いますが…。いえ、性格上に は問題はありませんよ」 問題大有り。鈴は、嘘はつけない。 「ううぅ…」 敬はいじけている。笑うのをこらえている務の足を思い っきり踏みつけてやっていた。一瞬眉をひそめた務だが、 どうやらその抵抗がツボに入ったらしく反撃しないで肩 を震わしている。 「そういえば、荒井君。あなたはまどかさんと仲直りし たんですか?」 全員の動きがぴたっと止まった。 「確か十二月何日かにあった誕生日の時にプレゼントを 買うのを忘れていたとかで、もめていたような気がしま すが」 鈴は、決して悪気があって言っているわけではない。し かし、務の表情は剣呑で、敬は冷や汗を流している。そ の様子に鈴は小首を傾げた。 「まだ…もめていらっしゃるんですか?」 それは一目瞭然。 「あー…」 返事をしようとして、曖昧に濁す務。拓人が助け船を出 そうとした時に、先に鈴は口を開いた。 「もしよろしければ、文化祭と同じように、私の家でや ってもかまいませんよ。ただ…」 「ただ?」 「私は、まどかさんがいらしても追い返すことはしませ んので。万が一に口論が起こった場合、お二人とも出て 行って下さいね」鈴は静かにそう言って、再び視界に入 ったサンタクロースを見つめた。どうしてこんなにも違 うのだろう。子供に夢を与えるサンタクロース。白い袋 の中には、彼らにあげるプレゼントがあって…死体では ない。 「…五十嵐って、結構辛口だよな」 「たま〜にきついこと言うよ、鈴は」 「でも、正しいことだから荒井も反論できないってとこ がまた、面白いよな」 敬はそう言って小さく笑った。それをめざとく見つけた 務は、意地悪そうに目を細めた。 「へぇ〜、俺に向かって笑うとはいい度胸してるじゃね ぇか。お前、山田にあのことバラしていいのか? 今こ こで大声で犬神達にそのことを教えてやってもいいが …」 ひくっと、敬は口元を歪めた。そしてすぐさま、いつも とろんとしている表情から信じられない速さ(本日二度 目)で務の肩をつかんだ。 「頼むっ。言わないでくれっ!」 その反応すらも楽しんでいることに気づいているのかい ないのか、敬は必死で務に謝っている。本当に単純だ。 拓人はいたずらっぽく笑って、鈴に目配せをした。 「…なるほど」 そういうことか。鈴は納得したように頷いて前に向き直 った。 父親はさしずめ真っ赤なサンタクロース。けれど、彼 が狂わなければ鈴は……実際のところ、心のよりどころ である拓人達に会えなかった。 「今日も会社に?」 「ああ、今夜は遅くなるよ。けれど、寝ないで待ってい てくれないか?」 ……雨が降るのではないだろうか。いや、雪か。 「分かりました。いってらっしゃい」 父親を見送り出して、全てが始まったあの日。 (運命のイタズラか…) あと何年生きられるかは分からないが、彼らとともに生 きよう。 鈴はそう心に誓い、彼らの後ろについて行った。 《END》 |