人形の帰る場所
鳳光天花
〜序章〜
風が、木々をざわめかせてゆく。それが意外に暖かかっ
たことから考えて、季節は早春といったところだろうか。
森が、赤みを帯びて見える。これは、紅葉ではなく、夕
日のせいだ。
夕日はあっという間に沈んでゆく。
そんな時間の森の中で、青い髪の少年は、地面に寝ころ
び、空を仰いでいる。
普通なら、もう家に帰って然るべき時間。だが、それが
できるなら是非ともそうしたいものだ。
その少年には、帰るところが無い。厳密に言えば、自分
の家があるのか無いのか、あるとしても、何処にあるのか
が分からないのだ。そして、何故自分がここに居るのかも
分からない。それどころか、今日ここで目を覚ました、そ
れ以前の記憶が全く無い。
ただ、ペンダントのように、金属製のカードのようなも
のが首にかけられていて、それに書かれている「ウェイ
ン・アルファルド」というのが、自分の名前かもしれない
と思った。
何故自分が自分の名前の書かれた金属板を身に付けて
いるのかという疑問はあるが、それが唯一の手がかりなの
で、少年はウェインと名乗ることにした。その金属板には
名前の他に、数字や記号の羅列があったが、今のウェイン
には、その意味を知る術はなかった。
〜第一章〜
この世界には、大陸がひとつしかない。
少なくとも、その大陸に住む人々はそう思っている。海
を渡る技術がないので、誰も他の大陸を見たことが無い。
その大陸には国が二つしかない。
南に魔法文明を発達させたアトラス国、北に科学文明を
発達させたコーデリア国がある。この二つの国は、考え方
の違いからなのか、常にいがみあっている。
そんな中で、アトラス国の国境沿いにある小さな町デ
ィオネは、比較的平和な田舎町だった。しかし、思えば事
の発端は、この町だったのかもしれない。
ウェインは、ディオネの町を物珍しそうに見まわしなが
ら歩いていた。
森に閉じこもっていたところで、失った記憶は取り戻せ
そうにない。近くの町なら、自分を知っている人に会える
かもしれない。そう思って、人通りの多い商店街に来た。
商店街といっても田舎なので、小さな店が数十軒あるだ
けだ。果物を売っている店や、雑貨屋らしき店の前を通り
すぎたところで、ウェインは妙な店を見付けた。
その店の商品は、様々な色の水や砂がビン詰めになった
もの、乾燥した草、奇妙な木の実、謎めいた絵柄のカード、
何に使うのかよく分からない棒など、まるで統一性が無く、
何の店だか分からない。
ウェインはその店の看板を見て驚いた。なんせ、そこに
書かれている文字が、全く読めないのだから。
…記憶喪失になったら、文字まで読めなくなるのか?
冗談ではない。今から再び文字を覚えなおすとすれば、
どれだけ時間がかかることか。そういった危惧を抱きなが
らも、ウェインは近くの人に聞いてみることにした。
「すみません、あの看板には何と書かれていますか?」
「…!!」
すると驚いたことに、相手は怪物でも見たかのような形
相になり、次の瞬間には逃げ出していた。
「待って、僕は何か失礼なことを言ってしまいました
か?」
逃げた人に聞こえるように大声で聞くと、まわりに居た
人たちまでウェインを奇異の目で見、口々に謎の言葉を呼
んだ。
…一体どうなっているというのだ。
ウェインは何が悪かったのか分からず、しかしこれ以上
その場にいられなくて逃げ出した。
ディオネの北に広がる森の中にある小さな川は、よく澄
んでいる。
水汲みのついでに川の中の魚たちの営みを眺めていた
ウェインは、誰かの気配に気づいて顔を上げた。
少し離れた所を、ウェインより少し年上と思われる黒髪
の少年が走っている。
この森にウェイン以外の人間が来るなんて珍しい。少な
くとも、ウェインは他の人間がここに来ることを想定して
いなかった。そして、彼が走っているその先には。
「君、ちょっと待って!」
ウェインの声は聞こえたはずだが、彼は止まろうとしな
い。自分の声に驚かれたり逃げられたりしなかったことに、
ウェインはほっとしたが、今はそれどころではない。
「止まれ、そっちには…」
ウェインが言い終わらないうちに、ドサッという音がし、
同時に彼はウェインの視界から消えた。
「狩りのための落とし穴が…」
ため息まじりにつぶやいて、落とし穴の方へ走った。
「…ごめんなさい」
「…」
動物用の落とし穴は浅く、幸い怪我は無かったが、ウェ
インが事情を説明して謝っても、黒髪の少年は黙ったまま
だった。 その表情からも、何も読み取ることはできない。
「えっと…どうしてこんな森の中に?」
「…」
何を言ったらいいのか分からず、しばらく途方にくれた
後。
「…、すまない…」
やっと、彼が口を開いた。
「…お前の話しが…聞き取りにくかったんだ。少し…速
すぎて、な…」
「速すぎた? そっか、ごめん。 これからはゆっくり
話すよ」
ウェインは彼が怒っていないことと、ずっと無言だった
理由が分かってほっとして、聞き取りやすいようにゆっく
りと喋った。
しかし、今度は新たな疑問ができた。
…そんなに自分は早口だっただろうか?
それに、以前、町の人たちに驚かれたことは、それだけ
では説明がつかない。
「…そうだ。君、ウェイン・アルファルドっていう人、
知らない?」
考えてみれば、これは記憶を失くして以来、人とまとも
に話ができる初めての機会だった。ウェインが自分の名前
かどうかも不確かだが、自分でなくとも関係者だろう。聞
いてみる価値はありそうなのだが。
「…誰だ、それは?」
まあ、最初に聞いた人が知っていた、なんて都合のいい
話はそうそうあるものではないだろう。
「えっと…、ここに書かれてる名前なんだけど…」
ウェインは金属板を見せて自分が記憶喪失であること、
身に付けていたその金属板が唯一の手がかりであること、
今はとりあえずそれを自分の名前にしていることなどを
話した。
「…私には、わからんな。ディオネでは、聞かない名前
だ。もしかしたら、聞いたことはあっても、難しくて覚え
られなかっただけかもしれんが…」
「えっ、この名前ってそんなに難しいの?」
「ああ…私の名前よりは。…言ってなかったな。私はト
ート。トート・ヴァイゼだ」
「そっちの方が難しいよ…」
確かにトートの名前はウェインよりは短いが、発音が難
しい上に、どうも聞き慣れない。
「…ところで、」
先程から表情は変わらないが、トートの声が真剣なもの
に変わった。
「聞きたいんだが、朝露のような透明な木の実を知らな
いか? この森にあるらしいんだが…」
それを聞いてウェインは驚いたが、それが顔に現れない
ように必死でこらえた。
記憶をなくしてから今まで、たったの十数日だけだがこ
の森に住み、大体のことは把握した。だが、透明な木の実
など見たことがない。いや、透明なのだから、見えなくて
当然か。
「僕は、知らない。ただ、そんな木の実なら、朝露と間
違えて見落としてるかもしれない。それと、森の奥の方は、
暗いから行ったことがないんだ。ただ、そんな木の実が存
在するとは…全くとは言わないけど、思えないよ」
「…だろうな」
トートの表情が、少しだけ変化したのを、ウェインは見
逃さなかった。
「それを探しているんだよね?」
「ああ…、愚かなことかもしれないが、存在しないとい
う証拠も、無いからな…」
トートの、真剣だがたどたどしい口調、何を考えている
か見抜けない表情、信じがたい話の内容…
しかし、ウェインは、そこからすでにトートの真摯さを
見いだしていた。
「僕でよければ、手伝うよ」
それを聞いたトートはうつむいて、ありがとう、と言っ
た。
こうして、その日からウェインとトートは『朝露の実』
(ウェイン命名)を探すことになった。
〜 つづく 〜