叙情歌


白粋 翼


 



   くるりくるり くるくるくるぅり

 踊れ踊れ くるくる踊れ  激しい感情をのせて

 

リズムに合わせて左手右手、指を使ってはじき出す音。

左手に始まり、両手で終わる。低い音、まるで遠吠えみ

たい。スタッカート、小さくほっそりした指で奏でられ

る。

右手と左手が交差する。音が低い鍵盤を、右の人差し

指でならす。楽譜、ドレミが書いていない。目をきゅっ

と細めて、睨みつける。手を止めることは許されない。

背後の視線を感じながら、佳境へと入った。

 

何かがたりない 何がたりない?

 人数? 移入する感情? それとも……

 

 再び両手を交差させる。打ち鳴らす右手の和音、それ

に加わる左手の主旋律。ソのシャープはどこ? 指の番

号はどぉれ?

 

   オレたちゃ土人 なんて言ったって土人

 仲間達と気が済むまで大口開けて笑い 最期を共にす



 

 まぁるくて、人なつっこい瞳をした黒髪の、ちょっと

汗くさいにおいのする…。あたしは、ゆらゆら揺れる炎

を取り囲んで踊る人々を垣間見たような気がした。

後ろにママの視線を感じる。空気で分かる。ママは、

かなり怒っている。あたしがちゃんと弾けないから。潔

癖性のママは、失敗や短所を極端に嫌う。その怒りが恐

ろしくて、振り向くことができない。あたしは狂ったよ

うにただ、白と黒の鍵盤と格闘するのだ。

 気がつくと、後ろに誰もいなくなっていた。夢中にな

っていたせいで、ママがどこかへ行ったのにも気づかな

かった。ふうと息をはいて、ぱたんと『土人のおどり』

の楽譜を閉じた。ピアノの上には、パパの黒いシルクハ

ットが載っている。その横の本棚は、自分の背丈では届

かないほど高い場所にある。背伸びをして、楽譜を懸命

に直そうとしたが、あと一歩のところで届かない。もど

かしくてつま先立ちになり、いろんな種類の本がぎっち

り山積みになった隙間に入れることに……失敗した。開

け放たれた窓から、気まぐれな春風が甘い香りと共に流

れ込む。どさどさと本が落ちてきて、思わずバランスを

崩してしまいあたしは後ろに倒れてしまった。

 (ピアノの回るイスはねぇ、危ないから乗っちゃだめ

よ)

 ママの忠告をきちんと守ったあたしは、今になって後

悔した。

 

 今、あたしの中で「戦争」という言葉がはやっている。

現実に起こっている国と国との戦争。勃発した際は、世

界中を混乱の渦に巻き込んだ。しかし、今はどうだろう? 

子供のあたしから見ても、人々がそれに「慣れ」てしま

ったことは一目瞭然だ。テレビを見ているだけで、人間

盾になった人や、その場にとどまらざるを得なかった人、

取材陣以外は実際その場にいるわけでもない。

   あ、またピカッと光ったよぉ。うわあ、すごいね

ー。

 のんきにぬいぐるみを抱えながら、その様子をじっく

り見届ける。病院に運ばれた負傷者、国旗を掲げながら

ふんぞりかえる兵士。そして、デモ行進をする外国の人

達。特にあたしはデモをする人々に興味を持った。老若

男女問わず、平和を唱えながら道路を横断する。あたし

は、その行為をとても疑問に思う。この人達って……相

当な暇人なんだろうな。会社を休み、学校を休み、家事

をすっぽかし……。国の出した結論に反感を持ち、納得

がいかないからと言って駄々をこねる、拗ねた子供のよ

う。   

戦争はよくないことかもしれない。あたしは地図を見

るまでは、アメリカが日本の隣国だと思っていたし、日

本を島国だとも思っていなかった。そんな世間知らずで

も、こう思ってしまう。皆、この世界に飽き飽きしてる

んだろうなって。今の生活は、充実すぎて面白くない。

ドキドキわくわくするような、何かが欲しい。友達同士

の口げんかじゃ物足りない。もっともっと、刺激的なも

のを………例えば戦争を。

 

花粉が飛んでくる。くしゅんっと鼻を鳴らして、側に

あったティッシュ箱に手をのばした。鼻をかんで、ゴミ

箱に投げ入れる。そして、箱から二枚取り出して、窓を

閉めに行った。窓の手前でもう一度くしゃみをする。目

がかゆい。花粉と闘う季節になった。そう思うと、げっ

そりした。鼻をかみながら、窓を閉め、ゴミ箱に投げ入

れた。人間の心の中枢はゴミ箱に似ている、と思う。ゴ

ミ箱には名前が付いていて、それが「喜び」だったり、

「怒り」だったりする。そのゴミ箱…あまり表現がよく

ないから、単に箱と呼ぼう、それにぽんぽんと想いが詰

め込まれる。想いは水のようなもので、箱からこぼれ落

ちた物が感情となる。嬉しい時は笑い、悲しい時は泣く。

その中でも「怒り」と「悲しみ」は曲者で、うまく隠す

ことができる人もいる。あたしは、すぐに顔に出るから

それはできない。

パパが帰ってきた。お帰りなさい、と言うとあたしの

頭をくしゃくしゃに撫でた。さあ、夕飯だ。パパの脱ぎ

散らかした靴を並べ直すのが、あたしの役目。パパもマ

マもきっと知らないだろう。そう思うと独り占めしたみ

たいで、くすぐったくて、くすくすと笑みがこぼれる。

偉そうだけれど、あたしはただの子供なのだ。

夕飯の席で、パパはようやく煙草が吸えると大喜びだ

った。ママもあたしもそれには慣れっこなので、大して

問題はない。だけど、猫のムーは煙草のにおいが大嫌い

だ。ドアの外で、恨めしそうに青い瞳を曇らせている。

「今日は何かあったか?」

談笑しながらいつものように、今日起こったことを確か

め合う。

「あたしね、今日、ちゃんとピアノのおけいこをしたよ」

ママがそれを聞いて、苦笑した。パパの前では、ママは

頭が上がらない。ここぞとばかり、あたしはパパに向か

って言った。

「明日から学校だけど、来週の日曜日、どこか遠くに行

こうよ!」

今日は、パパは仕事だった。だから我慢して一日家で過

ごした。本当はどこかに行きたくてうずうずしていたの

だ。パパは面食らったような表情をした。

「どこかってどこだよ? ちゃんと地名を言いなさい」

笑いながら、パパはあたしの顔をのぞき込んだ。その言

葉に隠された意味に気づいて、ぱあっと目を輝かした。

「いいの? いいの? 嘘言ってない?」

「言ってないわよ。もうすぐあなたの誕生日ですものね」

ママはにっこり笑っていた。ママにも母親の顔がある。

いつもは厳しいが、本当はとても優しい性格だ。あたし

は飛び上がって喜んだ。そうして時間は過ぎてゆく。

 

明日の時間割をすまして、あたしはパパとママにおや

すみなさいを言いに行った。パパはコーヒーを飲みなが

ら、フレームのない眼鏡をかけて書類に目を通していた。

ママはイスに座って編み物をしている。あともう少しで

完成の、手編みのセーターだ。

「おやすみ」

仕事の顔をするパパ、主婦の顔をするママ。二人は同時

に顔を上げ、子供に対する愛情をいっぱいそそぎこむ夫

婦の顔をする。

「おやすみ」

 

 眠い目をこすりながら、あたしはベッドの上に横にな

った。眠りに落ちる前に、頭を真っ白にしなさい…先生

に言われた通り、あたしは何も考えずに目を閉じた。感

覚だけが研ぎ澄まされて、闇が肌にひしひしと伝わって

くる。明日は何があるだろう? 何かいい番組はあった

っけ? ああ、友達に借りてた教科書、返さなきゃ。気

づけば思考がフル回転していて、停止していたことを忘

れ去っていた。少し時間がたって、ようやく眠りに落ち

ていった。……夢を見た。パパとママと一緒に遊園地に

行く夢。目を覚ませば消えてしまうだろう、儚い夢。

  そうして今日もまた、夜がふけてゆく………

 


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