2005-10-14

第九話 特別編「ネギむきの夕べ」(『螺旋邂逅』所収)


       ネギむきの夕べ
 

 つくつくぼうしの声を聞きながら、ぷつり、ぷつり、足の爪を切っている。
 まだ八月というのに、窓から見える空の色も、差し込む日差しも、もうすっかり秋の気配だ。部屋のすぐ裏は山になっていて、時おり百舌鳥の鳴き声が辺りの空気を切り裂くように響き渡る。もうすぐ新しい学期が来て寄宿舎はにぎやかになり、それぞれの窓には色とりどりの声が満ち溢れるだろう。そして私は、ここを去らねばならない。

   いまこのB棟に住んでいるのは、中国人のセンジ姉さんと私だけだ。

 夏休みが来て寄宿舎が閉館になり、数少ない留学生だけが残っている。男はC棟に、女はA棟にまとめられたのだが、旅行を終え遅れてやってきた私と、寄宿舎で仕事をしているセンジ姉さんだけが、B棟一階の二部屋に住まうことになった。
 名目上は閉館しているため監視する先生もおらず、昼間は男女関係なく寄宿舎を行き来し、門限時間になっても鍵はかけられない。そこまでしても安全なくらい、寄宿舎にも学校にも、ひと気というものが全くなかった。
 空っぽの寄宿舎は、朝になれば蝉の声で満ち、夜になれば虫の声で満ちる。廃墟のような寄宿舎は、音の器だ。器の底には大きな穴が開いていて、虫たちの溢れる声を湛えておくことができずに、にべもなくそれらは流れ去る。それでも虫たちの声は泉のように滾滾と湧きつづけ、器は常に満たされている。
 今日が、閉館期間最後の日だ。明日私は寄宿舎を出てゆき、センジ姉さんたちはまた部屋を移動しなければならない。
 静まり返った廊下には、微かな埃のにおいが満ち、夕暮れ時のけだるい光が溜まっている。一年間暮らした部屋へ行ってみたい衝動に駆られ、ひた、ひた、と足音を忍ばせて三階へ上った。
 三一六号室の扉には、名札が外されずにそのまま残っている。
 社会福祉学科  ジョ ヒョンミ
 文化人類学科  ミチコ
 ヒョンミの丸っこいハングルが、きれいに並んでいる。
 そっと、部屋に入ってみた。空っぽの部屋に、ベッドと机、椅子、本棚、そして洋服箪笥。私物はもう何もないのに、机の小さな傷やシールのはがした跡など、毎日無意識のうちに目に入っていたものが、記憶どおりにぴたりと重なって、なんともいえない気持ちになった。船に揺られ韓国にやってきて、まだ何もわからない私は、この部屋を拠点に暮らしを作り上げてきたのだ。
 空っぽのこの机にこれから私の荷物を入れて、再び最初から始められたら、どんなにいいだろう。いやもしかすると、明日からもここは私の部屋であるかもしれない。あてどもなく、そんな考えばかりが浮かぶ。その雑念を振り切るように、部屋を出て空を仰いだ。

   夜の帳は、したたかに下りる。
 規則のない最後の夜を楽しもうというのだろう、センジ姉さんは私の隣の部屋に中国人の兄さんたちを呼び集め、トランプを始めた。ゲームはかなり白熱しているらしく、時おり、ウヒョゥ、と雄叫びが上がる。のみならず、興奮して何かをボコボコ叩く音までして、かなりの騒音だ。
 「眠れないよー」とセンジ姉さんのケータイにメールを送ると、「なんで?寝るな。こっち来る?」。それを無視してうとうとしかけると、「来ないの?」と、またメール。寝られたものではない。結局、隣の部屋へのこのこと出かけ、ポーカーを観戦することになった。目まぐるしく飛び交うカードと中国語……。センジ姉さんは今日一日、部屋の引越しのために荷物と格闘していたらしく、「疲れた、疲れた」と言っていたが、「じゃあポーカーしないで早く寝なよ」と私が言うと、「いやポーカーしてストレスを解消しないとね」。
 結局、午前三時半にゲームはお開きとなり、皆それぞれの部屋へ戻る。センジ姉さんは面倒くさがってその場で横になり、「あんたもここで寝なよ」と私に言うなり寝息を立て始めた。私も姉さんの隣で、深い眠りに落ちた。
 そしてすぐに朝が来た。私が寄宿舎を出なければならない日の到来だ。
 午前六時に起きて、窓を開ける。山からの、濃い土のにおいを含んだ冷気。薄青い朝の空気に、虫たちの声が波のように広がる。
 昨日の引越しとポーカーに疲れた姉さんは、まだぐうぐう寝ている。一緒にご飯を食べ、卓球をし、中国語と日本語を教え合った、センジ姉さん。彼女の暮らしの続きは、ここにある。
 センジ姉さん、さいなら。寄宿舎よ、さいなら。

 その日の午後、今学期から新たに交換留学に来たマユミちゃんを紹介された。昨日来たばかりというだけあって、明らかに「日本の空気」を漂わせている。長く私が忘れてしまっていた空気だ。年の若さも手伝って、まぶしいばかりに初々しい。
 私からマユミちゃんに言ってあげたいことは、山ほどある。日文科の学生とばかりいると韓国語が伸びないよ、とか。あの男の子には気をつけなよ、とか。でも、まだ留学生活に対してはまっさらな状態でいる彼女に、黒いインクでシミを付けてしまうような気がして、言葉に出すのはためらわれた。
 マユミちゃんは自分で判断し、自分の手で暮らしを作り上げてゆく。そして、私とはまた違った一年を経験するだろう。
 私の場合を振り返ってみると、日常会話を習得し、うろうろと居場所を模索しながら「韓国で生活する者としての私」のスタイルを作るのに、半年。そのスタイルを周囲に提示しながら、特定の場所や人とよく関わり、深い人間関係を築くのに、残りの半年。いま再び一からやり直せと言われたら気が遠くなるようなエネルギーが、そこには注がれていた。
 しかしそれでも、いま一から始めるマユミちゃんが羨ましい。
 どんな人と出会い、どんなことが起こるか、まだ全くわからない不安と期待。言語の通じないもどかしさと、だんだん語学力が伸びていると実感するときの喜び。文化の違いを目の当たりにする驚きと、自分がそれに適応してゆく面白さ。今のマユミちゃんには知るすべもないが、ほんとうに濃い毎日が彼女を待ち受けているはずだ。そして私は、その過程に立ち入ることはできない。
 ここを出てゆくべき時が来たのだ。

   親しくしていたハルモニ(おばあさん)に挨拶をしに出かけた。
 私は木浦市老人福祉会館でボランティアをしていたのだが、彼女はそこで知り合ったハルモニだ。卒業論文のため「友人関係が老人に果たす役割」について調べたとき、このハルモニを調査対象にさせてもらった。一緒にごはんを食べ、一緒に寝起きして、朝の五時に教会へ行くときも、七時に山登りへ行くときもついて行った。のみならず、ハルモニの現在の人間関係について、根掘り葉掘りの質問。それでも、嫌な顔ひとつせずに丁寧に答えてくれた。そのハルモニが、私が日本へ行く前に一目でも会いたいと言う。
 昼前にハルモニの家を訪れ、再会を喜ぶ。私が以前送った絵葉書が、カード立てに挿して飾られてあった。昼食を食べさせてもらい、さあそろそろ帰ろうかとすると、「泊まって行き」。家に荷物を置いて、一緒に外出する。行き先は、ハルモニの友人が経営する食堂だ。
 食堂の裏口から中に入ると、信じられない量の、うず高いネギの山。ある農家の畑から一万円で丸ごと買い取ったそうで、毎年このくらいの量のネギキムチを漬けるのだという。漬ける前には髭根を取って、ひとつひとつ球根部分の皮をむかねばならない。ハルモニはその作業を手伝いに来たのだ。
 最初は「目にしみるし手も臭くなるから、あんたはしなくていいの。テレビでも見とき」と言われ、お客さんのいない食堂で横になり昼寝などしていたが、どうにも退屈だ。やはり私も、ネギむきを手伝うことにした。
 食堂の裏では、何人ものおばあさんが集まって、休みなく手と口を動かしている。ネギをむきつつ、それらの話に耳を傾ける。足が痛い、孫の塾代が高い、さつまいもが消化に良くてじゃがいもは消化が悪い、いやじゃがいもは消化に良くてさつまいもは便秘に良い、姪っ子が三十一歳なのに結婚もせずのらくらしている、などなど。団地の公園や福祉会館の庭などで、おばあさんたちがあちこちで何人かずつ座り込んではニンニクの皮むきなどをしつつ喋っている光景をよく目にするが、どんな会話をしているのか、今までは知るすべもなかった。そしてこの単純作業も、やってみると、おしゃべりをしながら手を動かすのにちょうどいい具合であることに気付いた。
 夜十時にハルモニの家に戻り、水浴び。私は泊まるつもりなどなかったので、泊まる用意を全くしてこなかった。ハルモニはそれを察し、しばらく箪笥をごそごそしていたかと思うと、派手めのパンティーを出してくる。
 「これ、若いときに穿いてたの。捨てられなくて。あんた、穿き。」
 丁重にお断りしたが、強く押し付けてくるし、着替えがないのも事実なので、結局は穿くことにした。ハルモニのパンティー・・・。
 次の日の午前中も一緒に食堂へ出かけてネギむきをしたが、とうとう別れなければならないときがやってきた。ハルモニが私の頭を抱え込み、自分の顔にぎゅっと押し付けてくる。汗まみれの、ハルモニの顔。
 歩き出して振り返ると、ハルモニが手を振ってくれる。遠くまで歩いて振り返っても、まだそこに立ってこちらを見つめていた。メールや電話という手段が使えないハルモニと、次はいつ会えるだろう。
 指先は、洗えど洗えど強いネギのにおいを放つ。でも、それさえも嫌ではなく、ハルモニを思い起こさせて、せつない気分になった。
 どうして、こんな別れをしなくてはならないのだろう。
 
 ぼくもういかなきゃなんない
 すぐいかなきゃなんない
 どこへいくのかわからないけど
 さくらなみきのしたをとおって
 おおどおりをしんごうでわたって
 いつもながめてるやまをめじるしに
 ひとりでいかなきゃなんない
 どうしてなのかしらないけど
 おかあさんごめんなさい
 おとうさんにやさしくしてあげて
 ぼくすききらいいわずになんでもたべる
 ほんもいまよりたくさんよむとおもう
 よるになったらほしをみる
 ひるはいろんなひととはなしをする
 そしてきっといちばんすきなものをみつける
 みつけたらたいせつにしてしぬまでいきる
 だからとおくにいてもさびしくないよ
 ぼくもういかなきゃなんない
              (谷川俊太郎「さようなら」 詩集『はだか』より)

 初めてこの詩を読んだとき、私は小学六年生だった。どうして「ぼく」は「いかなきゃなんない」のか、そんなことは気にも留めず、頭の中に描くイメージは「反抗期の男児の家出」。少しおませで孤高な雰囲気が気に入っていた。「ぼく」は私にとって、他者に他ならなかった。
 でも今は、私がこの「ぼく」とぴったり重なっている。
 誰に強制されるわけでもなく、かといって自分が望むわけでもないのに、どうしても「いかなきゃなんない」。それは自分の選択の結果生み出されたものであるから。新しい暮らしを手に入れるためには、今の暮らしから脱皮しなければならない。自分がこれから暮らしを作り上げてゆくべき場所は、ここではない。「いかなきゃなんない」状況のさびしさとやるせなさ。それらと対峙したのち、否応なしに次の場所へと向かう。それが、生きてゆくということなのだろうか。
 もちろん、「いかなきゃなんない」状況を強く実感することなく生きてゆくひともいるだろう。私はかつて、そのようなひとたちを羨んだ。どれほど楽に生きられることだろう、と。私は頻繁にこのような状況を経験する種類の人間であるらしい、と気付き、それを受け容れた後も、「いかなきゃなんない」ことがあまりにも辛くて、自分の選択、ひいては自分の性分を悔やむこともたびたびあった。「孤高」のようなカッコイイもの・気分のいいものでは全くない、身を切るようなさびしさ。これは自分の選択が招いた副産物だ。欲も深いぶん、副産物も大きい。それでも、どうしようもない。新しいくらしを求め、それに向かって動いてゆくとき、どうしても次の場所へと向かわなければならないからだ。
 私はちょうど一年前、韓国留学に旅立ちながら、これと似たような文章を書いた。似ているようで、でも何かがほんの少しでも違うとしたら、それこそが、私が身を切るようなさびしさの代償として得たものだろう。

 私は新たな暮らしを作るため、日本へと「いか」なくてはならない。「帰る」のではなく。いちど旅立った者は、もう二度と同じ場所へは戻れない。
 こおろぎのやさしい音色のさざめき。
 次なる旅が、また始まろうとしている。





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