伊豆市 湯ヶ島からの富士 (「しろばんば」の世界)


文豪井上靖さんは、小学校時代を天城山麓の湯ヶ島で過ごし、
血の繋がらない「おぬい(本名かの)」婆さんと土蔵で二人で生活していたそうです。
自伝的小説「しろばんば」では、土蔵の小さな窓から見た富士を次のように記しています。

『丘が見え、農家が見え、森が見え、白い街道が見え、
 そしてずっと遠くに玩具のような形のいい小さい富士が見えた』

湯ヶ島の、靖少年(小説中では洪作)が育った土蔵付近から見た富士。
現在は土蔵は取り壊されて「しろばんばの文学碑」が立っています(下案内図のD)。


せっかくなので、「しろばんばの里」湯ヶ島を少し散策してみましょう。


一番上の富士の写真を撮ったしろばんばの文学碑(=井上靖氏旧宅)敷地内。
おそらくここが洪作少年の育った土蔵跡。
背後に見えるのは、山頂部に湯ヶ島の方の墓所がある「熊野山」。


小学校時代の友達、「雑貨屋の幸夫」の家。最近までお店をしていたようです。
洪作の土蔵から20mくらいの近さ。


「幸夫の家」の真ん前が井上家本家(なまこ壁の家。通称「上の家」)。土蔵のすぐ近くです。
左の車を停めている道が旧下田街道で、幕末には吉田松陰やハリス、ヒュースケンも通ったはず。
車の左隣の土地には、かつては御料局(伊豆営林管理所)があり、
ここに引っ越してきた「あき子」さんとの淡い初恋も小説「しろばんば」に出てきます。


御料局跡から見た天城山稜。これを越えて下田方面に行くのが「天城越え」。


御料局跡から旧下田街道をはさんだ正面近くにある「旧さくらや書店」。
「しろばんば」では、上級生数人に絡まれた時に敢然と立ち向かって洪作少年を驚嘆させた
秀才「浅井光一」が後にここに書店を構えたそうです。
「浅井」さんの生涯も気になります。



御料局跡・さくらや書店跡を過ぎ旧下田街道を数十m進むと新下田街道(=国道414号線)に出ます。
ここはかつては「宿」と言われて商店街があり湯ヶ島の中の都会だったとか。
洪作少年達が共同浴場「西平の湯」に通う時に通過し、
宿の子供たちにからかわれた話も出てきます。

せっかく商店街に来たので、沼津ブランド「寿太郎みかん」と湯ヶ島地産の「いのししコロッケ」ゲット。美味です。


共同浴場「西平の湯」へ『湯道』を進んでみましょう。

新下田街道(国道414号線)を旧下田街道との合流点から約200m南下すると「大増」というお寿司屋さんがあり、
この対面に「湯ヶ島温泉口」のバス停があります(2人がバス待ちをしている所)。
ここを右に折れます。

右折してすぐに、湯道の標識。

ここを降りて行きます。


なかなか趣のある道です。

ここをくぐればあと数百mで「西平の湯」。


着きました。


今度時間のある時に来たら、一度入ってみたいです。

洪作少年時代は、共同湯の裏に馬の温泉もあったらしいですが、今はさすがに痕跡もありませんでした。
この、狩野川の川原から石を共同湯に持ってきて浴槽に投げ込んで暴れたという話もありました。
おおらかな時代だったんですね。


共同湯「西平の湯」の隣に川端康成ゆかりの「湯本館」。
こんな狭い地域に隣接してに昭和を代表する文豪二人の思い出の地があったことに驚きます。


この温泉街の背後にある熊野山山頂に井上靖さんの墓所があるので、登ってきました。
登り口はいくつもありますが、今回は成就院から西国三十三観音霊場巡りをしながら登ってみました。

なぜ伊豆で西国三十三観音なのかよくわかりませんが、登り始めます。
第一番は私の和歌山の実家近くの那智の青岸渡寺、如意輪観世音菩薩。
那智は補陀落(ほだらく)信仰の聖地で、観音菩薩の住む国を目指し、小舟に乗ってたくさんの人が旅立っていったとか。
この熊野山も観音菩薩が降り立つ山と信仰されているのでしょう。

結構急な登りですが、大した距離でないので20分もあれば登れます。

熊野山山頂は平らで、多くの方の墓所が集まっています。
ここが井上靖さんの墓所。

富士・天城山系・湯ヶ島集落などが見え、とても良い所です。


降り口もいくつかありますが、西平神社のある若山牧水歌碑方面に降りました。


まだまだ「しろばんば」ゆかりの場所は多数ありますが、きりがないので最後に湯ヶ島小学校。
湯ヶ島小学校は過疎化のため2013年に閉校になっていましたが、井上靖さんゆかりの詩碑やブロンズ像がありました。


「しろばんば」 洪作少年とおぬいおばあさんの像。

少し光って読みにくいので、書き出してみます。

しろばんばの像  洪作少年とおぬい婆さん

文豪井上靖氏は、自伝的小説『しろばんば』についてこう語っている。
「運よく私の作品で後世に残るものがあるとすれば、それは『しろばんば』です。
なぜならこの作品には、私の真実が書いてあるからです。」
『しろばんば』は天城湯ヶ島が舞台である。


湯ヶ島小学校校庭について、こんな詩碑もありました。

地球上で一番清らかな広場。
北に向って整列すると、
遠くに富士が見える。
廻れ右すると天城が見える。
富士は父、天城は母。
父と母が見ている校庭で
ボールを投げる。
誰よりも高く、美しく、
眞直ぐに、天にまで届けと、
ボールを投げる。
           井上靖



小学校時代の思い出『しろばんば』、
文学への目覚めは沼津中学時代を描く『夏草冬濤』、
中学卒業後に高専柔道に衝撃を受け、金沢大学(四高柔道部!)への進学を目指す『北の海』、
高齢の実母が認知症になっていく様を描く『わが母の記』(2012年に役所宏司・樹木希林らで映画化)。
大河ドラマのようでなかなか面白いです。

『夏草冬濤』については資料写真が既にあるので、いつかこのページに載せるかも知れないです。

井上靖さんWikipedia



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追記
もう少しだけ湯ヶ島散策


1857年、下田領事の米国人ハリスが江戸に出向く時に1泊した寺「弘道寺」


湯ヶ島の村を通って、宿所の寺院へ向う途中、その道路から
私は右にそれた。そして、その瞬間、私は始めて富士山を見た。
それは名状することの出来ない偉大な景観であった。(中略)
その荘厳な孤高の姿は、私が1885年1月に見たヒマラヤ山脈の
有名なドヴァルギリよりも目ざましいとさえ思われた。
湯ヶ島の寺も、梨本のそれと同様に、私を迎える用意を
していたことを私は知った。

         アメリカ初代駐日総領事 タウゼント・ハリス
               「日本滞在記」岩波文庫
               1857年11月24日 火曜日
             (旧暦 安政4年10月7日)の一部


本当の最後は、『しろばんば』にも出てくる天城神社の一風変わった狛犬。
村人を山犬(=オオカミ)から守っているそうです。
そういえば箱根の駒形神社にもオオカミを退治した犬の塚がありました。
江戸時代は天城や箱根にもニホンオオカミがいたんですね。


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