無限の無限の安らぎが一杯!No.5

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 祈りとは、最も厳粛な儀式(一定の規則に従って行う作法・行事)で す。宇宙絶対神の最高表現・全徳の無限の無限の輝き・天照大御神 を、一瞬一瞬新たに感受し、一体化するところの、尊厳極まりなき・荘厳 極まりなき・厳粛極まりなき儀式です。真実の祈りを祈る時には、それ なりの心構えと真剣な態度を必要とするのです。正しい目的と真実の願 いを、心にしっかりと保持して臨むことが大切なのです。業想念の心の ままで、いい加減な態度のままで、いつまでも安閑としていては、本心 が輝いて来ないのです。自分自身の自由意志で何を選択してゆくかと いうことが、自己の運命の全てを決定するのです。自分自身がいつまで も、業想念の心を自分の心として掴んでいては、永遠に業想念の奴隷 で終わるのです。業想念の心と本心の心の区別をしっかりとつけて、本 心の心のみを自分の心として、しっかりと選び取ってゆかなければなら ないのです。本心の心の立場に立つ時に、真実の祈りの道を歩むこと ができるのです。

 本心の心の立場に立つということは、謙虚に謙虚になるということで す。これが自分だという過去の姿を掴んでいては、決して謙虚にはなれ ないのです。過去の善き姿を掴むだけで、高慢になったり、エリート意識 に陥ったりするものです。また過去の悪しき姿を掴むだけで、卑下慢に なったり、投げやりな自暴自棄の状態に陥り易いものです。謙虚になる ということは、マイナスを掴んで、心をマイナスで一杯にするということで はないのです。マイナス無限大の立場に立って、心を空っぽにして、神 さまの全徳の無限の無限の輝きの全てを、素直に感受できる自分にな るということです。過去の一切を心から放ち去って、一瞬一瞬新たに、 神さまの最高表現を受け入れることなのです。

 マイナスに見える自他のどんな姿に対しても、みんな自分の責任なの だと、心からお詫びすることによって、下へ下へと自分の心の立場を移 してゆくことができるのです。心の立場を下へ移せば移すほど、謙虚に なれて、神さまの最高表現を感受し易くなるのです。自己弁解したり、他 に責任を帰するようでは、いつまでたっても、決して謙虚な本心の自分 に戻ることはできないのです。

 神さまの助けは、常に謙虚な心に対して、惜しみなく与えられるものな のです。神さまの本当の助けを受けてこそ、祈りの姿勢も心身共に整う のです。神さまが自分の中に入り来れば、青空に太陽の輝くような心と なり、姿勢も威儀端然としてくるのです。先ずは謙虚に謙虚になることを 心掛けることです。他をマイナスに見て責め裁く、業想念の心を捨て切 ることです。『神さまをマイナスに見て御免なさい』と、心の底から詫びて 詫びて詫び続けることです。その謙虚な心の中へ、神さまは入り来るの です。

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