無限の無限の安らぎが一杯!No.26
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 本心を輝かせ、感謝を深めさえすれば、この人生に一切の苦悩は無いのです。しかし本心を輝かせなければ、心に煩悩(貪・瞋・痴・慢・疑・見)が巣くい、七難八苦から逃れることはできないのです。観音経には『一心に観世音菩薩の名号を唱えれば、七難から解脱することができる』と説かれているのです。これは一心不乱に感謝し続ければ、本心の心(観世音菩薩)が輝いて、無限の幸せ一杯の心になれるということです。

 七難とは、(1)火難・(2)水難・(3)風難・(4)刀杖難・(5)鬼難・(6)枷鎖難・(7)怨賊難のことです。
(1) 火難とは、心に燃え盛る業想念の火のことです。怒り・嫉妬・怨み・憎しみ等の炎のことです。この炎は一切の功徳(幸せ)を焼き尽くすのです。この心を消滅しない限りは、一切の幸せは大きく破壊されてしまうのです。

(2) 水難とは、心が何かに溺れて、正しい目的に向かって進めないことです。本心を輝かし、悟りを開くということが、人生の正しい目的です。そのことを忘れて、酒に溺れ、女に溺れ、悲しみの涙に溺れ、詰まらないことに時間を浪費しているのは、すべて溺れている状態なのです。

(3) 風難とは、人生航路を順風満帆に正しい目的に向かって進もうとしても、逆風が吹き、様々な障害・誘惑が現れることです。

(4) 刀杖難とは、本心の願い(理想)と現実の生き方とが、切り離されて一つにならないことです。そうするのが一番善いと判っているけれども、現実にはそれは無理(不可能)よ、という状態になることです。

(5) 鬼難とは、自分で自分を騙し、自分が自分に騙されることです。恐怖すれば、ススキの穂も幽霊に見えるのです。本来無い悪いものを有るかのように錯覚しているのが、悪鬼なのです。

(6) 枷鎖難とは、自由自在な本心の自分を、不自由にする一切の束縛のことです。自分をこういうものだと限定することは、自分の自由な生き方を妨げる、大きな縛りになるのです。

(7) 怨賊難とは、正しい悟りを得るのを妨げる、一切の障害・誘惑・惑わしのことです。
 本当の七難八苦は、自分の心の中に存在しているのです。この世の七難八苦は、自分の心を鏡に写して見ている影なのです。だから先ず自分の心の中に存在している七難八苦・業想念・迷い・闇・マイナスの言葉を、本心の心(観世音菩薩)を輝かすことによって、消し去らなければならないのです。自分の心の中に本心を呼び出して、その本心の光で、七難八苦の闇の心を消し去ってゆくのです。自分が本心の光の立場に立たないで、どうして心の闇を消し去ることができるでしょうか?

 いかなる七難八苦といえども、観世音菩薩の名号を一心に唱え続ければ、必ず消滅するのです。最高の祈り言葉『ありがとうございます』を一心に唱え続けてゆけば、必ず観世音菩薩・本心の自分・神さまが輝き出て来て、心の闇を消し去って下さるのです。

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