感謝 |
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感謝とは、唯一絶対者(大自然・神・仏)の大生命波動の放射を心に感受したときに、自然に湧き出てくる心の状態です。即ち、嬉しいこと、楽しいこと、有り難いこと、素晴らしいこと、等々の絶対者から現れたすべてに対して、その光明波動を心に感受したときの幅広い心の状態です。
草花が美しく咲いているのを見て、ああ 美しいなあ!と感ずるのが感謝。 どのようなものに対しても、感謝を積み重ねてゆけば、その感謝は無限に深められてゆき、感謝の極致に至れば、それは絶対者(一切皆善至美至妙完全円満大調和)そのものであるという実感にまで高めあげられるのです。「鰯の頭も信心から後光が射す」という諺のように、例え鬼のような姑がいるとしても、心の中で、「ありがとうございます」と唱え続けてゆくことが出来るならば、感謝の積み重ねに比例して、より素晴らしく感じられるようになり、いつか必ず、その姑を絶対者そのものと実感できるときが来るに違いないのです。だからどのような方便を使ってでも、感謝を積み重ねてゆくということが大切になってくるのです。例えば、自分の過去世からの悪業を観音様が振り替わって消してくださっている姿が、今の鬼のような姑の姿なのである、「ああ 観音様 御免なさい、ありがとうございます」と感謝するのも一つの方便の利用の仕方なのです。 「ありがとうございます」という言葉は、「絶対者の大生命波動が全大宇宙に大光明燦然と満ちわたっている」という意味を現しています。つまり絶対者の働きを 今・ここに 感じ取ることができたときに、心の奥から自然に湧き出てくるのが、“ありがとうございます”という感謝の心なのです。 もし絶対者の働きが無ければ、この世に一つの原子さえも存在しない全くの無の世界になってしまうのです。全大宇宙に存在するすべてのものは、私達一人一人を幸せ一杯にするために、絶対者が苦心して生み出した素晴らしいものばかりです。無限の種類の無限の姿! どの一つをとっても最高の芸術作品です。カラスの色の黒いのも苦心の程がしのばれるではありませんか? しかし、せっかくのプレゼントも、感謝の心で受け止めて心ゆくまで味わってくれる人間がいなければ、何の役にも立たないのです。 もし太陽が存在しなかったら、この世は闇です! 光と闇、生と死、善と悪、真と偽、美と醜、富と貧、健康と病気、自由と束縛、平和と戦争、幸福と不幸、・・・・・等々、この世にはプラス面とマイナス面の両方が厳然と存在しています。 完全なる絶対者が何故プラス面だけではなく、マイナス面をも生み出したのか? その理由を知ることは幸福への第一歩です。それは マイナス面は常にプラス面を浮かび上がらせて、プラス面をより一層素晴らしく感じさせてくれる大きな働きをするからです。例えば 身体に万病をかかえている立場からすれば、千の病も、百の病も、十の病も、より一層病の少なくなった素晴らしい、有り難い、幸せな状態であるのです。このように病の極から見て、病が一つ減った!有り難い! 病が二つ減った!有り難い!というように感謝を積み重ねてゆくと、普段は当たり前に思って感謝一つしなかった健康に対して、無限の感謝が湧き出てくるのです。更にその上に今度はプラス面に心を向けて、目がある!有り難い! 鼻がある!有り難い! 口がある!有り難い! 手がある!有り難い! 足がある!有り難い! というように、プラスの方向に感謝を積み重ねてゆくと、“無限の無限”の感謝が自然に湧き出てくるのです。 幸せは 感謝の広がりと深まりに比例して、無限に大きく深いものになってゆくのです。無限の恵みを与えられていても、感謝の心の無い人は幸せではないのです。幸福・不幸、地獄・極楽 は自分自身の心で感じ取るものなのです。自分の心の持ちかた一つで決まるものなのです。だから マイナス無限大からプラス無限大の両極にわたって存在する、千変万化の無限無数の色々な表現を、マイナス無限大の極致から光一元に拝み上げて、“無限の無限”の深い感謝を積み重ねてゆけば、真実の幸せをつかむことができるのです。 幸せの“青い鳥”は あなた自身の心なのです。 |