19.チャールズ・ヘイワード観賞記
〜Charles Hayward in Tokyo 2, Oct., 2003〜
カンタベリーのお話といえば、リチャード・シンクレアの「酔っ払い公演」を書いたこともあったが、今回のターゲットはこれまた重鎮、チャールズ・ヘイワードだ。
彼は既に何度か来日しているそうだが、2003年、3日限りの来日公演を行った。僕はその最終日、10月2日の表参道FABでの演奏を観にいった。滋賀ではナスノミツル(B)に山本精一(G)というスゴいサポートでのバンド形式だったようだが、その日と前日は「ソロ」での演奏となる。
ドラマーなのに、ソロ。
本当にひとり。
僕は動くヘイワード自体、初めて観ることになる。写真でしか目にしたことがなく、しかもメディア露出が多くない人だから、見られる写真さえそんなに多くは存在していない筈だ。そこへきてソロということを知り、何をどうしてくれるのか、ますます楽しみになってきた。
そのステージは……いきなり、度肝を抜かれた。
通常、ステージになる部分には椅子がびっしり並び、2階席になっている。1階のフロア中心には「でん」とドラム・キットが鎮座ましましとし、それを取り囲む形で椅子が配置されていた。他に楽器はない。そう、このドラマーは本当の意味で「ソロ」の演奏を見せてくれるのだ。
かといって、エレクトリック・ドラムのパッドだとか、派手なカナモノだとか、実はここに鉄琴が、なんてこともない。カナモノとタムが1、2個多いぐらいのスタンダードなドラム・キットで、座った状態で歌える位置にマイクがあつらわれており、スツールの脇には家庭用カラオケ機のような「クセモノ」が置いてある。テープ再生&コントロールをここで行うようだ。左足元には……ありましたね、ヴォリューム・ペダルらしきもの。ここらへんに、彼が「ソロ」で演れる仕組みがあるわけだ。
じゃ、ここで本文を楽しめるように、ちょっとチャールズ・ヘイワードについてのお話を。この人については余りご存知ない方もおられるだろうから。
彼のちゃんとしたバンドは、フィル・マンザネラ(後にロキシー・ミュージックへ)たちと組んだジャズ・ロック・バンド「クワイエット・サン」に始まる。ソフト・マシーンに影響されていたという当時の音源は残されてはいないものの、後にマンザネラの初ソロ作『ダイヤモンド・ヘッド』製作の際、バンドの4人が再集結したんで、そんじゃ当時の曲を今の演奏で作っちゃおうよ! と製作されたのが、ジャズ・ロックというかもはやクリムゾン的な熱でゴリゴリに押しまくる『メインストリーム』。傑作です。既にヘイワードは叩きながら歌っています。
マンザネラがロキシー加入のため離脱し、クワイエット・サンが分裂した後、ヘイワードは「ドルフィン・ロジック」という即興実験音楽プロジェクトを開始/発展させ、「ディス・ヒート」となり、同名作『ディス・ヒート』を放った。といってもヘイワード以外のメンバーはノン・ミュージシャンの2人なので、「カチッ」とした音楽じゃない。一度録音した即興演奏をベースにして、それを分解/再構築、そのうえまた即興演奏を加えるという、今で言う「リミックス」の先駆けのようなことをアナログでやっていた。しかもプロデューサーはデヴィッド・カニンガム(=フライング・リザーズ)とアンソニー・ムーア(スラップ・ハッピー、ヘンリー・カウ)なのだから、前衛とポップの綱渡り。LPの最後は溝が特殊なカッティングになっており、A面冒頭は無音部分に発信音が、B面終盤などその発信音が再登場&針を上げるまで延々と回転し続ける、というアイディアまで飛び出した(ここ、複線です)。グループはその後も再編されている。
でもそんなんじゃ売れるわけないので、それじゃあ「歌モノ」にしよう! と取り組んだのが、やっと楽器の弾けるメンバーで組まれた「キャンバーウェル・ナウ」。ディス・ヒートの歌パートを凝縮したような演奏は、しかしやっぱり凝りに凝りまくっており、展開が唐突に変わる場面の多さなんて今まで以上。なのに、一応は歌モノ。その歌がまた素朴というか朴訥で、しかも叩きながら歌うわけだ。でも強靭なリズムと変則的な楽曲。なので、やっぱりこれも売れる筈はない。でも僕が、ヘイワード関連作品で最も好むのはこのバンドだったりもする。現在は『オールズ・ウェル』というCDに全曲が収録されているので、ぜひ。
もともと売れるとか売れないとか関係ない彼は、ここで遂にソロに乗り出す。ソロ名義でのデビュー作『サヴァイヴ・ザ・ジェスチャー』はヘッポコな絵がその中身をよく表している、優秀なアヴァンギャルド・ポップ作品。キャンバーウェル・ナウの延長にあるので歌モノじゃあるのだが、アプローチは「ソロ」なんでやりたい放題。その後はシンバルをヴァイオリンの弓でこするなど音響的な実験作品を作ったり、ディス・ヒートを気まぐれに再編させてみたり、多数のセッションなどに参加したり……で、2003年に発表したソロ『アブラカダブラ・インフォメイション』では、ほぼ「ひとり」でも再現できる演奏スタイルを完成させた。それを引っ提げての来日公演なのである、今回は。
その活動範囲と人脈がそれであったため、作風さまざまある「カンタベリー系」として彼も数えられている。その中でもアヴァンギャルドとの橋渡し的な位置にあるミュージシャン達の中では「大御所」と言っても過言じゃないだろう。
こんなところでしょうか。ぜえぜえ。
あ、この日はソロ曲だけじゃなくキャンバーウェル・ナウの曲もやったりしてたんだが、すまぬが曲名を憶えてなく、以下いっさい書かないんで悪しからず。っつーか憶えられないだろうアレ系はなかなか。だが今じゃあたりまえになっている「テープ操作」「即興演奏」「その組み合わせ」などなど、いろいろなものを開拓した偉人のひとりであることだけは憶えておきましょう。テストに出るよ!(←
何の?)
で。
アロハのような半袖シャツに短パンという「気さく」な出で立ちで現れたヘイワードは、喝采の中とにかく礼をした。あっちの席に、こっちの席に、そっちの席に、2階席に……全体にいちいち礼をしていた。
けれども、その直後から彼は演奏に入る姿勢を作っていたのだと思う。ドラムの周囲をペットボトルに入れた水をぐるりと撒いて、「ここから内は私の陣地だ」という様相を見せた。やたら喋っているので一見陽気だが、ここから「演奏家の顔」になった気がする。
そうして、おもむろに紙袋から取り出したのは、ドラム・スティック――ではなく、ウィンド・シンセのような形をした緑色のピアニカだった。それを吹くや、会場は淋しげな音色で満たされる。ピアニカというと「お子様楽器」なイメージがあるが、彼の場合、なぜだかすごく憂愁なのだ。そういえば諸作品でもピアニカの音は多かったし、特に『アブラカダブラ・インフォメイション』では強くフィーチャーされている。
口を離すや、アカペラで歌う。ああ、喋り声と歌い声が、まるで変わっていない! 朴訥とかじゃないな、彼の歌は「素直」なのだ。「作って」ないのだ。そのまま歌っては吹き、吹いては歌って、時にはマイクにドラム・スティックを当ててそれをもう1本のスティックでこすったり叩いたり、拍子木のように打ち合わせたり、音響的なアプローチは続く。やっぱり、ただのドラマーじゃない。
さて、ようやっとドラム・スツールに腰掛け、カセット・テープをセットし……演奏に同期して変則的なリズムを叩き始めた。手数が多いわけじゃないのに、その響きはやけに強い。しかも、テープ演奏とタイミングは寸分違わずバッチリ! これだけでドラマーとしての腕は見せてもらったようなものなのに、彼は「叩きながら歌う」のだ。おおお。しかもオカズはかなり多い。なのにきちんとループになっていたり、わざと崩していたりする。その動きには無駄がなく、とてもシャープだ。でも力強い。こりゃあそのへんのドラマーなんて、この時点でイチコロだと思う。このスタイルに接近できるのは、下半身不随になる前のロバート・ワイアットぐらいじゃないのか?
曲が変わると、テープ演奏に合わせて歌いながら会場を練り歩いたり、その後ろになぜか女性がついて歩いていたり、観ているだけでも面白い。
のだが、
この頃、僕は副作用で睡眠作用の強い処方箋の世話になっており、こともあろうに開演前にそれを服用していた。しかもビールを小ビン2本も呑んでいた。なので、半分寝たような夢うつつ状態となり、きちんと観ることができなかったのだ。ああ、愚かしいうえに演奏者に失礼で恥ずかしいことをした。気が付きゃヘイワードが“Have
a short break!”と宣言して第1部が終わってしまっていた。残念。
しっかし、休憩を挟むところはさすがイギリス人だな、なんてぼんやり思った。
さて、第2部。
目がバッチリ醒めた僕はもう寝るまい、とリキんで演奏を観た。
最初から、いきなり即興的なアプローチが続く。幽玄的な音色のテープに乗せて、とにかくドラムを乱打しまくる。時に左足のフット・ペダルでヴォリュームの強弱を調整し、右手でタムを回しながら左手でスイッチ操作、でも右足は正確なバスドラ・キックと、全身がまるで別の4人になっているようだった。こんなドラマー見たことない! 振動音を一定なんだかランダムなんだか強弱させる場面もあり、思わず先月のドローン・ライヴを思い出してしまった。
もちろん、歌もある。ドラム乱打、イキナリ停止してイキナリ歌い出し、イキナリ歌やめてイキナリ乱打再開、と思えばリズム・キープしながらやっぱり歌ってる、という芸当さながらのありよう。すげえ。概してロック/ポップでのドラム・ソロというものはつまらない時間稼ぎの場合が殆どだが、この人は違う。本当に「ドラムが楽器」なのだ。それだけ聴いていても、観ていても、まるで飽きない。ドラムなのに、そのタムやシンバル、スネアにバスで組まれるソロは、まるでメロディを刻んでいるかのようだ! そのうえ、ドラムは(カナモノを除いて)スネアが最も音が高いから、それを叩く左手がメインになりがちだと思う。けど、この人の左手はテープ操作などにも使われるので、逆に「右手がメイン」になっている。平凡なドラマーではハイ・ハットとシンバルがメインになっている筈の右手で、カナモノだろうがスネアだろうがタムだろうが時にはマイクの位置修正だろうが、何でもこなしてしまう。
このドラマーは、動きに無駄がない。四肢すべてが「必然」で成り立っている。
機械トラブルか? スタッフを呼ぶ場面もあった。「オクヌァリサァン(オクナリさん?)」というヘイワードの声が、張り詰めていた場の緊張をちょっと和らげる。でもそのオクナリさんはどうやら、ヘイワードがリズム・キープやハイ・ハット操作のため左足でペダルを踏めない、左手が出せない、という場面で鍵盤やテープ操作を「奥の見えないところで」していた様子。けれどそれはほんの瑣末な一部分で、他の殆どはやはり「ヘイワードひとり」なのだ。なのに、まるで4人ぐらいのバンド演奏のよう。パフォーマンスを目にせず、音だけ聴いていれば間違いなくそう思うだろう。最新作がそうだったように。
演奏は終盤にさしかかり、ドラムをブレイクさせてまたもピアニカを吹きながら会場を歩き、歌い、時にはライトで自分の手の影を壁に投影させて、ぐにゃぐにゃと動かして影絵を作っていたりした。そうして全体にまた深々と礼をして去っていったものの、観客はもう大興奮。カンタベリー方面のドラマーひとりのライヴなのに、大方がスタンディング・オベーション。会場の興奮さめやらず、ヘイワードはアンコールに応じて再登場した。また何度も礼をする。
「センキュウ、センキュウ!」
ああ、いい人だ。アヴァンギャルド気味だけど誠実さを忘れていないのはドラミングと同じだ。
最後に1曲、テープ操作してペダル操作して歌って叩いて、のオンパレードのような1曲でシメた。リズムが疾走する部分では痙攣してしまう観客もいたほどだ。しまいには手に持った小さなテープ再生器(自家用のチープなヤツ)の音を増幅させ、そのままぐるんぐるんぐるんぐるん、延々に振り回し続けた。そうするとテープはもちろん歪んで「ぐにゃんふにゃんぐにゃんぴ〜〜〜」という状態になる。それはもはや再生音じゃなく、一種の信号音――あ、と僕は気付いた。これって、ディス・ヒートのアルバムの最後と同じじゃないか! 延々と信号音が続き、いつ終わるのか解らない。ヘイワードはこの日の演奏を、そこに回帰させたわけだ!
その信号音は、故意か不慮なのか、ヘイワードが再生器を持つ手が滑って床に落下させ、見事までに「ブッ壊して突然終わる」まで続いた。そりゃもう大興奮のスタンディング・オベーション! たぶんそれは「落としてしまった」のだろう、ヘイワードは照れ臭そうに笑いながら、やっぱり全体に何度も何度も礼をした。そうして、通路側の観客と丁寧に握手しながら、ゆったりと消えていった。僕も通路側だったのだが、拍手したい一心で手を差し出せなかった。でもまぁ、彼が会場を練り歩く際にその躰がガツガツ当たった(通路は狭い)ので、そこで伝わった体温を代わりとしよう。
演奏終了後、その砕けたプレイヤーや、ドラム・キットや、いろいろを観客たちが検分していた(僕も)のは余談であるが、あんなパフォーマンスを「ひとりで」繰り広げたとあっては、当然でもある。それも「アナログ」で。
いやぁ、とにかく素晴らしかった。
「ドラマー」という概念がコロリと変わってしまった気がする、またと見られない演奏だったぞ。世のリズム・キープ用になっているドラマーにこそ、この演奏は観てほしいものだ、と強く願いながら、プレイヤーの破片を持って帰っちゃいけないだろうかなんて無粋なことを考えながら、僕はその場を後にしたのだった。