15.自分のルーツを見詰め直す

〜BUCK-TICK『殺シノ調ベ』〜
「自分の音楽的ルーツとは何か?」
を、不意に問い質してしまう時がある。
そんな時、さらりと「当然フロイドの『狂気』さ!」だとか「『宮殿』こそすべてだね」などと言えてしまえば恰好こそ付くが、実際にはそうではない人が殆どだと思う。それらは「自分のプログレのルーツ」になることは多いだろうけど、そこに行くまでに耳を成長させていった過程があったのだろう、と思うのだ。特に彼らをリアル・タイムで体験できなかった者は、ほぼ必ず何かしかの音楽体験を経ている筈だ。
それでは、僕の音楽的ルーツとは何か?
間違いなく、BUCK-TICKである。
もはや恥ずかしがることもない。恰好付けることもしない。彼らの5枚組DVDボックス『B-T
PICTURE PRODUCT』をそれぞれ再生しながら、そう強く思ったものだ。
彼らは局所局所ばかりを見詰められ、常に誤解を受けている。いつまで経ってもデビュー当時の「髪立て」イメージに甘んじているのが現状だし、もう少し知っている人でも今井寿の薬物騒動だとかその復帰、CM採用による「JUST
ONE MORE KISS」或いは「JUPITER」のヒットなど、シーンに急浮上した時のことばかりを話す。進歩を続ける現在の彼らはまるで見てもらえない。
けれども、それはどんな人やバンドでも同じことだ。「クリムゾンと言えばオリジナル」「フロイドと言えば4人組」といったように、ミュージシャンはすぐに類型化されてしまう。だが追っていけばそれだけではない、というのも同じことだ。
そうした誤解も進歩もすべて受け入れ、飲み込んだB-Tの大きなターニング・ポイントとして、ビクター時代のベスト盤『殺シノ調ベ』がある。これは単純に過去曲をコンパイルしただけではなく、全曲を再録音したもの。なぜわざわざ録り直すかというと、進歩するバンドにとって、過去の楽曲はそのままに再現するものではなく、その時点での語彙でこそ表現すべきものであるのだ。それこそロバート・フリップの言う「音楽は常に変化する有機体である」という言葉の実証にもなる。
さらには、僕はやたらと「未発表音源」や「別ヴァージョン」にこだわるように見えるだろうが、それもこの盤に原因が良く現れている。録り直し即ち別ヴァージョンであり、その比較から彼らの進歩を学んでいったからだ。そこで「音楽を研究」するスタンスを身に着けたのだろう。
それは彼らのシングル音源だとかゲスト参加作を追うことで深められていった。さらにはその延長上から彼ら自身のルーツを見付けていき、そこからさらに分岐したものを追っていく……といったように、B-Tを機軸としながらも、様々な語彙を学んでいくことができたのだ。
それ以前に、この『殺シノ調ベ』はベスト盤であるのだから、B-T自身が自らの足跡を自己確認したものでもある。それを出発点として音楽を聴き始めたという逆転的な状況に、当時から現在までの僕に脈々と繋がるスタンスやスタイル、表現方法、そういった様々のことが封じ込められていると言っても過言ではないだろう。
彼らの過去が総括された今でこそ、断言できる。
BUCK-TICKの『殺シノ調ベ』こそが、僕の音楽的ルーツであるのだ。
昨今の若いリスナーには、僕が(自覚的/無自覚的に)行ってきたような研究心が希薄であるのではないか、と思う。だからこそ「J-POP」などとカテゴライズされた枠の中で収まってしまい、そこで通じる語彙しか知らないので世界が広がらない、ということを自覚せずに、自分とその愛する音楽は崇高であると信じて疑わない。まさに「井の中の蛙」状態に陥ってしまう。そんなリスナーが憧れからミュージシャンに転化するのだから、より音楽は世界の軽さを増してしまう。表層を見ただけでは音色は似るだろうけど、追ってみると底が浅い。
それは彼らに「明確なルーツ」がないからだ。
本流なくして分岐なし。されども、源流なくして本流もなし。
最後に、B-Tをそれでも誤解している方に、彼らが実践していったキィ・ワードを羅列して終わりとしよう。
奇異な格好、アイドルからの脱却、退廃的世界、テクノ・ポップではないテクノとの接近、前衛的音空間、スウィッチ式のギター、テルミン、ドラムンベース、コンセプト・アルバム、放送禁止とされてしまうフレーズ、エレクトロニカ、外部リミキサーによるリミックス、海外ミュージシャンとのコラボレイト・バンド、ミニマル・フレーズ、ドローン……。
それらすべてを、彼らは「流行る前」に実践しているのだよ。
時には、外部イメージを「セルフ・パロディ」までしてしまって、ね。