プログレ話したい病1:電車と戦慄

〜イヤフォンから漏れ来る「あの」音〜

 僕には、ちょっとした持病がある。
 偏頭痛(ほんと)や腰痛(ちょっと)や白血病(さすがにこれは嘘)の他の、精神的な病である。や、病というと大袈裟なのだが、まぁ性癖というか嗜好のようなもので、お喋りなのだ。それに起因して発症するものに「ついつい声をかけたくなっちゃう病」だとか「うまく話を合わせて仲良くなっちゃう病」に、あげくの果てには「そのまんま夜のお供にしちゃうぜベイベェ病」などがあるのだが(念のため言っときますけど最後のひとつは冗談ですかんね)、中でも多発するものがある。
「プログレ話したい病」だ。
 喩えばCD屋で、いかにも洋楽聴き始めでえっす、という態を醸し出している高校生がフロイドの『ファイナル・カット』を購入しようかどうか迷っているようだったら、思わずそれを取り上げて「いかん、コレは君のような青少年には早過ぎるッ!」と一喝した後、フロイドの歴史を長々とレクチャーして『狂気』か『炎』でも買わせて、ほんでもって喫茶店なんかで「学校は楽しい?」などと兄貴分を気取った末に、たまたまそこで居合わせた彼女を紹介されて、その娘が可愛かったら奪いたくなっちゃうという実に危険な病気である。
 やはり嘘である。というか、誇張し過ぎた。
 まぁ、要はポップ・ミュージックと違ってなかなかに話題となりづらいプログレであるから、やたらとお話したくなっちゃうのよもともとお喋りだから、という症候群であるのだが、これが上記のように誇大妄想にまで膨れ上がってしまうのだから、もはやビョーキである。
 その症候群が病にまで悪化した例は幾つもあるが、そのうち代表的なふたつをお話しようかと思う。長い前置きであった。実に。

 まずひとつは、症候群のままどうにか鎮火させた例。
 それは僕が社会人になってからのことで、仕事の関係で山形へ出張した時のことだった。山形へ行くには、やはり東京駅で新幹線に乗り換える。その東京駅へのさらなる中継地点である新宿駅を目指して、京王線に乗っていた時のことだ。
 ぎゅうぎゅうの電車は、さすが早朝らしくサラリーマンでほぼ埋め尽くされている。何とか吊り革につかまっている僕の隣りには社長。畜生こいつさえいなきゃ旅行気分で行けるのにな、と思うも、彼がいないと仕事になんないので仕方がない。だが何だかシャクなので、ついと周りを見回し、なるべく彼の方を向かないようにしていた。
 車内のサラリーマンには、やはりヘッドフォン・ステレオを愛用する者もいる。なぜなら、朝の電車というものは危険である。ちょびっとでも油断すると眠ってしまい、所定の駅に降り損なって、気が付けば見知らぬ駅に到着してしまう。こんなに遅刻しちゃあ減給間違いなしだオレ今の会社好きじゃないし社長にこれ以上アタマ下げてたまっかよっしゃいっそのこと遠くへエスケイプだあッ、という社会からの逃避者を続々生み出してしまうほど危険であるのだ。
 そこで、脳を朝からアルファ波で満たしてくれるヘッドフォン・ステレオである。
 このコラムを読んでおられる方のうち、電車利用時にはカセットであれ、CD、MDであれ、果てにはMP3であれコイツらのお世話になっている方も少なくないと思われる。僕もCDウォークマン(SONYだからこの呼称でいいのだぞ)を愛用している。なぜCDかというと、ちょいとした出来心で新しいCDを買った時には、すぐさま楽しめるからだ。他と違って編集の制限こそあれ、その利点は月にウン十枚もCDを買ってしまう僕には実にありがたい。ただでさえせっかちなんで、すぐに聴きたくってしょうがないのだ。
 しかしコイツらの難点は、音漏れである。当人は買ったばかりのCDが思ったより良いので楽しくって楽しくって、そのうえ電車の走行音というものは結構ウルサいので、ついつい音量を上げてしまう。するとどうだ、そのヴォリューム・ボタンの押す回数に比例して、右隣りに座っているおっちゃんの顔の皺も少ぉしずつ増えていく。ほんで楽しさエクスタシーに達したその時、我慢の限界を迎えたおっちゃんにつまみ出されて途中下車、そしてボッコボコというドラマに展開してしまうのだ。
 つまりは、当人が思っているよりイヤフォンやヘッドフォンは音漏れするのだぞ、ということである。
 あなたも、体験したことはないだろうか? 隣りに座っている電車の中だっつうのに携帯しまくりの金髪兄ちゃんが耳にあてているメタリックなヘッドフォンから「ズッタンズッタン」という単調なダンス音楽、あるいは「ズギャギャギャイ〜ン」というメタル以外の何物でもないディストーション・ギターがやかましく響き、耳障りに感じたことを。
 ここでようやく、山形出張に向かう僕に場面は戻る。んもう脱線したらなかなか戻れない自分が憎い(でもちょっと好き)。
 その時の僕も、どうもディストーション・ギターっぽいノイズじみた音を気にしていた。何せ社長とだけは目を合わさないよう、なるべく言葉を交わさぬよう、視覚やら聴覚やらをウロウロさせていたのである。そうなると車内のいろんなモノが気になってくる。特にディストーション・ギターの音というのは興味のない者にとっては不快以外の何物でもない。甘い結婚をそそのかす嘘吐き車内広告だとか、朝イチからイチャイチャベタベタしている阿呆丸出しの馬鹿ップルだとか、たった数駅なのに座席を奪ったうえにドカドカと周囲を蹴散らして降りていくオバハンだとかよりも数段不快なのだ。因みにもっとアタマに来るのは足を投げ出すガングロと、調子が悪いわけでもないのに出入口そばの床に座る若者である。
 朝っぱらからメタルは勘弁してくれよしかもこれから出張だってえのに、と僕は音の出所を探した。周囲にステレオ野郎はひとりしかいない。コナカの軽涼スーツ着てまぁす涼しいでぇす、ってな感じで涼やかな顔した30代前半(推定)の男だ。
 僕はすぐさまそいつにつかみかかって、そいつが背にしている当分開かないドアを絶大な力でこじ開け、そっから突き落としてやろうという衝動に駆られたが、無論そんなことができる筈もない。満員電車のうえ、当たり前だがそれは殺人である。そもそも僕にはそんなことができる腕力も蛮勇もありやしない。そんなわけで、おとなしく音の奴隷になるしかなかったのだ。
 ところが、である。
 ある瞬間を境に、憎悪は一瞬にして「プログレ話したい病」に転化してしまったのだ。
 ほぉら、よぉく耳を済ましてごらん。この5/8拍子。にしてはちょびっとだけディスコテックなリズム・ワーク。そして間もなく、ぐるぐるとフレーズが変わりまくる強引かつ流れるような展開……。
 太陽と戦慄、
 それも、当時出たばかりだった『ザ・コンストラクション・オブ・ライト』収録の「パートIV」だ!
 それを認識した刹那、病気が再発してしまったのである。今まで憎悪の対象であった筈のそれが、まるで「出張頑張ってこいよ応援するぜジャジャジャーン」てなファンファーレの如き旋律になってしまいました。んもう今すぐにでも彼をとっつかまえて次の駅で社長を車内に置いてけぼりにしたまんま降りて、クリムゾン新作について長々と喫茶店で語り合いたいという欲がもたげた。あ、やっぱり喫茶店なんだな。
 しかし、彼は本当に次の駅で降りてしまった。僕は経済的事情で車内に置いていかれた幼い少年か、段ボール箱に汚い毛布と共に入れられて土手に棄てられた子犬のような瞳で、去りゆく彼の背中を眺めるしかなかった。かくして病気は発症間もなくして、本人の意向と関係なく快方に向かってしまったのである。
 だがこれは、まだこの病気が本格化しなかった例だ。実はもうひとつ、患者が言うことを利かず部屋を飛び出してしまった症例がある。それについては次項で扱うとしよう。
 でも……ね。
 やっぱり、音量は控えめにね。