きょうのたわごとNEO
〜2010年03月分〜
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[2010年03月19日(金)]
「非実在青年」
ずっと馬鹿馬鹿しく思っていたものの、漫画家をはじめとするほっとんどの表現者から危惧されつつも、次第に糞みたいに捏造された現実味を帯びてきた東京都の阿呆極まりない「非実在青年」規制法案が持ち越しになったので、少しだけ安心した。
彼らが言う「悪質」という基準が、頭の固い時代観念が凝り固まった老人による美徳を基準としたものでしかなく、現代の人間や作り手のものではない。ましてや漫画などろくろく読みもしない人の。単なる「自分の中の道徳観の押し付け」だ。
今や小学生でオナニーを憶え、中学生がセックスしている世の中だ。そこへ戦後あたりの古い価値観を持ち込み、押し付けようとしている。
またこういった話ではやたら宮崎事件を引き合いにされるが、猟奇殺人者はアニメや漫画に限ったことではない。西村京太郎を読んだだけでも発生する可能性がある。
だが、一般人はそれを架空のものとしてとらえ、フィルタリングする「常識」を持っている。
もとよりそれが欠落した人間、見失ってしまった人間が犯罪を犯しているだけで、原因とするのはおかしい。それを言うならどの犯罪も同質だ。なのに自分が理解できないため、すぐに「異質」としてしまう。
ちなみに児童への性的虐待の加害者について言えば実の親によるものが最も多く、教師や兄弟がそれに次ぐ。典型的なイメージでは義父などもある。1対1で接触する時間が長いから、という理由であり、規制目的である「対象に接触さえしない/できない人間による犯罪」はケース自体が少なく、データにさえなっていない。漫画やアニメを好む人間が犯罪を犯しがちな気質かといえば、そんなデータはない。ただ宮崎事件のインパクトが余りに強過ぎて、かつ自分の理解できないものだったため、そういった「決め付け」をしただけだ。
有害コミック騒動の時は、仏教系の宗教団体(公称信者は当時80万人)がコミック規制を関西の知事・市町村長に訴えまくった例がある。
これにつられて全国の地方自治体が次々に漫画を有害図書に指定しだして、平成4年上半期のみで43都道府県で2521冊も指定された。
それから「社会に何か問題があったときに自分たちの理解できないものを犯人に仕立てて叩く」日本社会の常で、猫も杓子も漫画を叩き始めた。
そして漫画は回収、裁断、発禁。一部の作者は活路を見出して生き延びたが多くの作者は路頭に迷い、漫画家としての道を断念せざるを得なかった。
そうして現在の少年誌のような、似た路線や設定の健全な漫画ばかりの世の中になってしまった。お笑いもクレームが続き、音楽も売れ線ばかりになり、小説も読み棄てばかりになって、と質が落ちたところへ、決め手はこれだ。
石原都知事の「太陽の季節」を漫画化したらどうなる? 小説は残して、漫画だけ有害指定か? それとも旗色を変えるのか?
その石原都知事が会員である「日本ペンクラブ」まで反対声明を出した。
さらに「日本図書館協会」。
そして「日本アニメーター演出協会」。
そもそも、「実在しないからこそ描く」のではないか?
実在するものしか描けないならば、ドキュメントしか描けないじゃないか。そんなもの、『ゴー宣』レヴェルにでも達しないと、漫画にする必要もない。
漫画というものの醍醐味や可能性を、まるで解っていない。理解できないから規制してしまえ、という姿勢があからさまに見える。
まだ持ち越しになっただけで、それでも老人どもは採決させようと目論んでいるから、安心はできない。ましてや宗教政治家や政権狙いだけの連中に利用されてたまるか。
この法が通ったら、日本のあらゆる「表現」は死を選ぶことになる。これはその序曲だ。
大袈裟に思っている人は、リアルに「表現」と接していない人間だ、と断言してしまってもいい。例の児童ポルノ規正法強化と連結する、あらゆる表現の自由の死滅を意味するのだ、と。
東京都青少年健全育成条例改正問題のまとめサイトはこちら。
「gigazine.net」によるまとめは、こちら。
[2010年03月01日(月)]
「献血に行こう」
このサイトをまえから読んでくださってる読者さん(ありがたや)なら知ってらっしゃるやもですが、僕の趣味のひとつに「献血」があります。
以前、献血についてひょこひょこ書いていたこともあったのだけど、それらの記事は削除してしまったので、最近になってこちらを読み始めた方には、「え、初耳だぜ」となるでしょう。ですから、今回はそれをさらうような、それでいて献血推進委員会(んなもんねーよ)の一員として献血をすすめる文章を残しておこうかな、と。
なぜなら本日で60回になりましたからにして。節目かなあ、と思うとともに、ああそういや献血の文章を消しとったまんまじゃないの、と思ったので。近年、献血人口は減っているようなので、啓蒙せなあかんな、思いまして。啓蒙て。
まずは、こちらのサイトをご紹介。
「献血のススメ」
こちらを読めば、献血についての情報はあらかた知ることができます。ちょっと誤字・脱字がありますが。
そのうえで、個人体験や個人観による「献血とはどういうものか」をざーっと書いてみます。
献血というと、高校生になってお知らせが来て、献血車が校庭に停まってわぁあれなんだ、となったことがある方も多いかと思われます。そこで初めて献血というものをしてみた方も多いでしょう。僕もそうでした。
でも、そうした最初の献血は若さゆえの興味本位でけっこうな方がやってくださるんですが、それからが続かない。ああこんなもんか、とか、二度とやるまい、とか、ていうかどこで献血できるの? といった方が殆どだと思います。だから高校の際に1回だけやった献血手帳が残っている、という方がわりかし多いのではないでしょうか。
僕もそのクチだったのですが、それからも献血車を見かけると、時間や余裕があるとやってみたりしました。しかし献血車に遭遇する機会はあまりなく、東京に住んでからもそういった状態でした。
ところがある日、新宿で遊んでいたときに見付けた「献血ルーム」に寄ってみましたらば、そういった固定観念はまるぎり吹き飛んでしまうことになります。
まず、400ml献血だけではないこと。もちろん200mlもあるけれど、それらと違う「成分献血」なるものを初めて知りました。
200ml、400mlの献血は「全血」といいまして、その量の血液をそっくり吸い取ること。これが一般的な献血のイメージだと思います。
それに対して「成分献血」というのは、血液を抜きながら血漿や血小板という血液中のとくに必要なものだけを採取し、残りは体内に戻すもの。そのためやたらゆっくりで時間がかかりますが、からだへの負担がえらく少なく、回復も早いので全血が一度やると3ヶ月待たなければ次ができないのに対して、こちらは2週間待てばまたできる。年に24回できるようになっているのです。負担が少ないので、全血したとたんに貧血になって倒れてしまうような方も安心してできますし、体重が軽くて全血できない方にもできる。
何より、カンボジア難民に直接救済する力もなく、盲導犬募金に積極的に差し出せるお金もない、でも何かの形で力になりたい……と薄ぼんやりと思っておられる方にとっては、無償で年24回も人助けができる。
献血をよくやられる方ってば、結局はそこだと思うんですよね。それを偽善行為と笑う人もいますが、偽善とわかってもやらないよりやった方が実際誰かのためになるのだし、ひょっとして自分が輸血に頼ることになった場合、そうした誰かの偽善によって自分が救われるわけで。人を助けることは自分を助けること、とはよく言ったものです。自分だけ得したいと思っちゃいけません。
口だけで行わない善よりも、行動する偽善の方が、実際的に善だと思います。
「めんどくせ」「感情的にヤだ」「俺の血は俺だけのもの」なんて思っている方はぜひ、認識をあらてめていただきたい。
そんなことを考えつつ、僕が献血に積極的になったのは、情けない事情もありまして。当時よく通っていた「新宿東口献血ルーム」は特典(て言うのか)が豪華でして、ミスドのドーナツやハーゲンダッツのアイス、ロッテリアのハンバーガーが個数は限られますが食べられたのです。そのうえ軽いお菓子も食べ放題で、ジュースは無料の自販機が何台も……それまで献血すなわち紙パックのジュース1本、と思っていた価値観が崩壊しました。
で、当時ものすげえひもじいひとり暮らしだった僕は、それを食事にあてることもありました。今にして思えばすごくさもしい行為だと思いますが、結果、献血を何回も何十回も繰り返しやるようになったのは、その対価になるやも知れません。と自己防衛。
他の献血ルームもそうしたサーヴィス(というかやっぱ特典だな)が場所により異なったかたちでありますが、この新宿東口は有名。たぶん日本一でしょう。そのうえ広くベッドも多く、来訪者も多い。いちゃいちゃして糞どっか行けよと思っていたカップルが一緒に献血ルームに入るのを見て、ああ俺の人を見る目は間違っていた、と思うこともありました。チャラい人がいることもあり、人を見た目で判断してはいけない、と思い知ります。
そのルームでの印象深い思い出をひとつ。
僕はその日もあいかわらず軽食目当てで献血に来たのですが、血液検査を待っていると、車椅子の方が受付に来ました。僕は目を疑いました。健康な人しかできないと思い込んでいた献血を、今で言う「からだの不自由な方」が積極的に参加されている。それに対して腹を満たすために血を売る俺はなんと浅ましいのだろう、と猛省しました。血に貴賎を言い出すのは差別意識のようでいやだけど、きっと僕の欲でよどんだ血より、その人の血は純粋で美しいのだろう、とさえ思いました。
でもその実、医療機器は電磁波に弱いということさえ知らず、携帯電話を持ち込もうとする若い人も多く、ああ彼らの認識なんてそんなもんだろうな、と思ったことも多々あるのですが。採血中にメールして時間を潰そうと思ったのでしょう。きっと電車のシルヴァー・シートでも電源を切らずにメールやってるんだろうな、と思いました。マナー・モードにさえすればいいんでしょ、という。そうした間違った認識をあらためる機会になってくれればいいのですが。
で、新宿で50回以上献血した僕は、しかるのちさまざまな不調により献血できないことも多くなり、やがてそこを去ります。のちに実家に戻って復調してから、隣り街に定期的に訪れる献血車によってぽつぽつと献血を再開するようになり、やがてその献血車の方から情報を訊き出し、ネットで場所を確かめて地図を印刷し、原付で片道50分の献血ルームに行って成分献血を再開するに至ります。
もう僕は、特典目当てで献血するようなさもしい思考はなくなりました。そんなものがあったら片道50分のガソリン代の方を考えます。
前述の「偽善的な善」を貫こうじゃないの、と思い直したのです。
最寄りの献血ルームでさえ、いろいろと企画を打ち出して特典を用意していました。ですが正直、そういうのはもういいや、と思えるようになっていました。原付を手に入れたことが、それをより積極的にしてくれました。いつぞや友人が「金がたまったらパソコンなんかより原付を買え」と言ってくれたのが身に染みました。
なお現在、献血手帳はカードになっています。そのためハンコで記録されて10回ごとに通帳を更新、なんてことがなく、デジタルな磁気による記録ができるので、更新をする必要もなく、次回の献血可能日も記載されるなど、便利至極。またあちらさんにとってもデータ管理が楽で、通帳のように更新に次ぐ更新をして無駄にならないのでエコ(苦笑)です。ついでに言えば暗証番号まで登録されるので、失くしちゃっても盗用の可能性も低い。ご心配の方はご安心ください。
口だけで行わない善よりも、実際に行える偽善、
これが僕の、献血に対する基本精神です。
日本ユニセフ(ユ偽フ)のような「本当の偽善=実質的悪」とは、まったく違います。
さしあたって、アグネスを「徹子の部屋」に呼べ!
もし機会がありましたら、やってみたり、考えてみてくださると幸いです。
赤十字の関係者じゃありませんが、人間的に、そう思うのです。