きょうのたわごとNEO

〜2010年01月分〜


[2010年01月18日(月)]

「覚書」

日本を代表する文豪たちの名作短編小説をドラマ化した「Bungo-日本文学シネマ-」が、2月にTBS系列で放送

BUNGO -日本文学シネマ- 公式サイト

 日テレのアニメやフジのノイタミナ枠と来て、今度はTBSもですか。
 個人的には「檸檬」の儚さをどこまで出せるかに期待。録画してDVD化しよっと。

*追記*

 浅川マキ様、どうぞ向こうの黒の世界でもとうとうと歌い続けてください。
 ご冥福をお祈りします。


[2010年01月15日(金)]

「本気で痩せるには」

 僕は高校時代、3ヶ月で20kgの減量という荒行をやってのけた。
 そういう極端な痩せ方をすると、決まって悔しがってる人に「リバウンドするよ」と囁かれるものだけど、その実、そんなものはなかった。
 10年以上して、1年で20kg肥るというていたらくになったものの、翌年1年かけて16kg減らした。4kgはまあ許容範囲であるし、これからさらに痩せるかもだし、もとよりこれぐらいが普通体型なのでそれは無理に減らすつもりもない。
 ダイエットがどうのと仰る婦女子は「いいなあ。あたしも痩せたいなあ」と羨望するかも知れません。へへー、いいだろー。この俳優並の体重コントロール。
 減量方法を教えてあげましょうか?
 じゃあ、心して聞いてください。

「食うな。」

 それだけです。
 減量に成功した際に、方法を訊かれたタモさんも言ってます。
「んなもん、食わなきゃ痩せるよ」
 それだけです。
 えーでもー食べないとカラダに悪いしー、と駄々をこねる人がいるでしょう。その時点であなたは痩せる気構えがない。本気で痩せたかったら、体調なんて糞食らえ。健康で醜い躰と不健康な痩身、どちらを選ぶか? それをまず、選択してほしい。
 寧ろ、「健康的に痩せる」方が無理があるんです。不健康だから痩せるんです。
 でも、ダイエット関係の本や食品は、さも「楽して痩せられる」ように語りかける。それは甘い罠です。そういうのに引っかかる人が絶えないから、無限にそういう本や食品が出て、無駄遣いの空回りするのです。
 そもさん、「ダイエット」というオブラートに包んだように綺麗な言葉を棄てましょう。
 逆に「私はデブだ」と意識してください。
 そうじゃないと自分の醜さを自覚できず、私ってまだイケるわよね、という勘違いしたつりあわない自意識が暴走するばかりです。

 僕の経験談で言えば、精神的にまいることが効果的です。
 僕は高校2年まで、みんなに陰でデブデブ言われてきました。性格も自然と内向的になり、オタクの先駆けしてました。それでいいのさと自分の世界に閉じこもってました。
 でもね、やっぱり「デブ」という言葉は効く。それがまるで人間的欠陥を突かれているようで。しかもそれって差別用語でもないので(そう指定したがる人もいるようだけど)規制されない。で、子供ってやつぁ正直だから、相手が傷付くことを忘れて平気でそう口走る。まるで人権を否定するかのように。
 でもね、それは真実なんです。いじめじゃないんです。
 漫画『ぼのぼの』にあったけど、肥っていると何をしても「デブ」として認識される。「いい奴だけど肥ってる」「ヤな奴なうえに肥ってる」と、結局は「デブ」の範疇で認識されます。自分はそう思われてるんだ、と自覚しなきゃなりません。
 そのうえで、「肥っていることは恥ずかしいことだ」と思いましょう。だって実際、肥満というのは自己管理ができていない証拠であって、肥満大国アメリカなんかじゃ仕事をクビになる理由にさえなるんですから。
 それを「個性」という使い勝手のいい言葉で誤魔化さぬように。今の日本人は何でもかんでも「個性」として処理しがちです。歪んだ社会性さえも「あいつはそういう奴だから」と、事なかれ主義のように片付けます。
 そんなんじゃいかんのだよ。
 少なくとも身長と違って、体重は動かせるのだから。素晴らしき未来のためには少しは努力しようじゃないの。
 で、精神的にまいると自然と食欲は落ちるし、デブが嫌だと自覚すると、なおさら食事が咽喉を通らなくなります。
「私はまだ大丈夫」という自分大好きの思い込みさえやめれば、それだけでかなり進展します。そのうえで食事を減らせばいいだけのことです。
 そりゃ実家暮らしとかだと食事制限は簡単じゃないかも知れないよ。食べたくないのにお母さんがゴハン作ってくれて、かといって要らねえよババアと拒否すると、お母さんは哀しみの余り台所の隅で泣き伏したあげくヤケになってお父さんのゴハンに毒を盛って逆噴射家族状態に陥ってしまってああ俺は何ということを、と刑務所の中で後悔することもありますからね。ねえか?
 でもね、意思を伝えればいいだけのことじゃない。
「痩せたいから食事を減らす」って言うのは恥ずかしくて勇気が要ることかもだけど、そうしないとお母さんはますます子供のためを思ってトンカツとか天麩羅とか作ってジュース飲ませるよ。それをやめさせるには意思を伝えればいいだけのこと。それか言えなくても、ゴハンを残すようになればお母さんだって自然と気付いてくれますよ。あらあの子体重気にしてるのかしら、って。母親とは鋭い生き物です。
 その点、ひとり暮らしは食事なんぞ自在ですね。かえって食費も減って、生活に潤いができるかも。親兄弟に心配かけることもないし、やろうと思えば絶食だってできる。ちょっと前までは苦学生というものが数多く存在していて、したくなくとも絶食状態に陥ってしまう若人も少なくなかったのだけど、今の学生は仕送り月数十万あたりまえですから。学生じゃなくても外食ばっかして、食費がかさんだあげくカロリー高いので肥ってしまい、なのに「どうしてこうなるんだ?」と自問する人が多いみたいですから。ひとり暮らしのうちに料理やっとけよー。あとで必ず役立つから。
 で、自室で呑む安酒に溺れて堕落した音楽ばっか聴いて、古本をあさって壁に貼ってある拾ったアイドルのポスターを見て悶々とする。動くのも億劫で講義をサボるようになり、そこへ恋人が「ちゃんと食べなきゃダメだぞ☆」とか訪ねてくれるわけもないので、甘い期待もせず銭湯にも行かない。それでボードレールを読んでショーペンハウエルにカブれてキルケゴールよろしく溜め息を吐く。そう言えば前にメシを食ったのは何日前だろう。でも無尽蔵に泡と消えていく食費より形として残るCDや本を買った方がいい。というように価値観まで変わっていく。けれど酒だけは欠かさない。腹がぐうぐう鳴っているが、これは胃が縮小しているのだと思えばいい。バイトしなくちゃ食費も出せないけど、どうせ食わないからいいか。ふっ、俺はこうやって独りでいる方が気楽さ。女なんて飾り物さ。ああ、視界がぼやけてきた……疲れるだけだから寝ていよう。おやすみ。って誰もいないけど。
 そんな健全な(どこが)毎日を送っていれば、自然とするする脂肪が落ちていきます。
「若い頃の苦労は買ってでもしろ」と言いますが、やっぱり苦労は売ってでもしたくありませんね。ってどっちなんだよオイ。

 僕の場合は、高校の頃から自意識が強かったらしくて(苦笑)、
「俺は何でこんなに肥ってるんだろう。実に醜い。友達もいないし趣味もない。それでも毎日出席していることだけが唯一のくだらない誇りだ。ああくだらない、本当にくだらない。俺は何のために存在しているのだろう。誰が俺を必要としているのだろう……」
 という具合に、暗いくらぁい自意識の渦に揉まれる毎日を過ごしていました。で、気付けば食が細って躰も細っていたというスンポーさぁ。余りに急激だったので心配されて病院で検査受けたぐらいさ。
「どうやって痩せたの?」と訊く周囲には、「まぁ自然と……ね」なんて言ってたけど、ジツはこういう葛藤を繰り返していたのさ。どうだ? 淋しいだろう?(←くまだまさし調で)
 まあそういう自意識が暴走したのが、所謂「モデル痩せ」なんですが。そこまでやれたぁ言いません。あんまり過ぎると拒食症になっちゃうぞ。でもまぁ、拒食症になってもいいからガリガリになりたい、ぐらい思わなきゃ本気じゃないのも事実だけど。
 肥っていることを遺伝だとか家系だとか加齢を理由にしたこともあるけど、実はそんなことぜーんぜん関係ない。寧ろ「環境」によって左右されるのだ。デブ家系というのは家族みんな肥ってるから自然とカロリー高い食事が続いているわけで、そういう環境に安寧しているから肥ってしまうのだ。自意識のくさびを打ち込まにゃならん。ついでに言うなら痩せて肌が荒れるとかいうのも半分本当だけど半分は嘘。それこそ遺伝の力が強いです。逆に古い角質が生まれ変わってプリプリになるかも知れません。「かも」だぞ。飽くまで。
 で、そういう禁欲生活を続けるうえでのワン・ポイント。
 なるべく毎日、体重計に乗りましょう。そうすることで現状と日々の結果がリアル・タイムで解るし、「ふふっ、着実に美に近付いてるわ」と崩壊寸前の自意識も保たれます。結局は、美意識があるかないかですね。だから男は中身で勝負とか抜かす妄想男子より現実主義の女子の方がダイエットしたがるのよ。特に女子のグループにいると、自然と美醜の上下関係みたいなものができて意識してしまうものだから。ってオマエは女か。あとオッサンになるともう俺どうだっていいや的な感じになっちゃう人が多いので、堕落して肥りがちみたいスね。こと結婚して落ち着いちゃった人はもうカッコよくあり続ける必要がないから、美意識のネジが吹っ飛んじゃってその穴から脂肪が入り込むのです。
 つまりはナルシシストになれ、ってことか? うーん、まぁある意味そうですね。
 最低限度の自意識は必要だと思うのよ。あるいは美意識をや。
 だから美意識が大切な職業はキレーなしとが多いのかもですね。女優からケータイ屋のお姉さんまで。「痩せたら可愛い」というのは単なる想像であり言われたら慰めだと思いたまえ。いっそホントに痩せてみせなさい。逆に肉体労働者は美意識なんて邪魔でしかないから華奢じゃいられないのだね。んなこと言ってたらコンクリ詰まったポンプも持ち上げられんわ。おもーい、とか、よごれるーぅ、とか言ってちゃ。
 そのため痩せたあげくには、この世の春が訪れたとでも言わんばかりに百花繚乱になったわけですが。ああ、僕はあの頃からおかしくなったのだな。でもそんな自分が大好きさ!

 そうやって痩せることにより、実は自分の美意識も磨かれていくのです。だから肥った人が美を語ると胡散臭いのです。美よりカネありきな金欲家はもれなく肥るのです。
 美を語るにはナルシシストでなくてはいかん。竹久夢二のように。そして色恋に溺れて堕落論を書いて、ってソレは坂口安吾だ。まあどっちにせよナルでエゴで女好きなわけで、それって美意識が高いからなのじゃないかしら。
 そんなふうに、痩せることひとつでいろいろと考えることも得るものもあるのですよ。殆どすべてが無駄な妄想であり、余計に自意識が肥大して取り返しの付かない阿呆になったりもするが(ん? 呼んだ?)。

 さあ、

 脂肪を棄てよ、
 街へ出よう。

*追記*

 大学時代、肥っていることに劣等感を抱いているのに節食もダイエットもしない女子がいた。
「えー、だって痩せると胸がなくなるじゃーん」
 と言っていたのだが……それは胸じゃなくて、脂肪だと言いたかった。もちろん言えねーけどさ。
 そういうふうに正当化することで、現実逃避するのが人間の常である。うーむ、僕も最近いろんな意味で現実逃避ぎみ。