『永遠の愛の炎』

Cheap Trick
“FLAME”
気が付けばわたしは、「小人症」と呼ばれるものに冒されていた。
六頭身以上ある他の人に比べて、わたしのからだは三頭身しかない。幸い、骨や器官は無事に成長したので、車椅子には乗らないで済んでいる。
小学校の頃わたしは、チビやコビトと呼ばれ、毎日馬鹿にされた。知らない人からも侮蔑の視線を浴びせられた。差別を受ける、特別なクラスに移された。何度も、死にたいと思った。かばってくれる兄を慕い、しかし、私と違って「ちゃんとしている」彼を恨みもした。
中学校からはみんなと別の学校になったのは仕方ないながらも、嬉しかった。これでいじめられずに済む、そう思って出かけた入学式で、しかしわたしは失意の底に叩き落された。中学校の生徒はみんな、わたしのような小人か精神薄弱者か、片足や片手といった人々だったからだ。わたしもその仲間入りをしたのだ、と思うと、いじめられるわけでもないのに学校に行きたくなくなった。
高校には、行かなかった。正しくは、行けなかった。出席日数がギリギリのわたしは、中学校を卒業するのがやっとで、しかも通える場所にはわたしの行ける高校がない。もし学力があっても、それとなく入学を拒否されてしまう。何もしないまま一年が過ぎた。両親は嘆くわけでもなく、わたしを憐れむような発言をした。それがわたしには、よけいに苦しかった。
「わたしは、特別なの? 普通じゃないの?」
何度そう泣いて、母の胸に飛び込んだかわからない。母は何も言わずに、わたしを抱いた。
やがて、日頃から通っていた障害者福祉センターで働くようになり、なんとかわたしは、落ち着くことができた。
それでも毎日、センターを行き来する間には、何百もの卑下するような視線に襲われる。わたしのことを、見ないふりをしている人もいる。最初はそれがいやで、学生の頃を思い出し、仕事が休みがちだった。けれどセンターの人々はそういったことに理解があるというか、慣れているというか、わたしが環境に慣れるまで待ってくれた。だからわたしは、そこで働くことにした。そこしか、働き口もなかった。わたしは精神薄弱の男の子とトランプをしたり、片手の女の子のご飯を手伝ったり、椅子の上に立って洗い物をした。それでいくらかのお給料がもらえて、家に帰ればわたしを普通に扱ってくれる両親や兄と一緒にいられる。
やっと生活が落ち着いた、わたしはそう思った。
なのにわたしを知らない人々は、ほぼ全員がわたしを「差別するような視線で」見ているのが、未だに我慢ならなかった。
わたしの家とセンターの間に、そのコンビニはある。
センターのお茶はわたしの手の届かないところにあり、お茶のたびに椅子を持ち出すのは手間だった。だからわたしは、そこで飲み物を買っていくことにしている。でもわたしは器官が小さいからか、大きなボトルは必要としない。三百五十ミリのペットボトルで充分だ。けれど、わたしの手が届くところにあるのは抱えてやっと持てるぐらいの二リットルのお茶や、ちょっと大きくておなかがふくれる五百ミリのソーダばかりだった。
最初の頃は、仕方がないから五百ミリの飲み物を買っていた。でも、必ず残してしまう。それにわたしはお茶が好きなのに、お茶はたいていわたしの手の届かないところに陳列されている。他の人がひょいひょいそれを取っていくのを見て、わたしは悔しくなった。悔しいまま、お茶を見詰めて立ち尽くしていた。
そこに、あの人は現れた。
「どれですか? お取りしますよ」
振り向くと、赤い制服を着た、コンビニの男子店員がわたしの視線に合わせて座っていた。またか、わたしはそう思う。またわたしは、「特別な人」扱いされて、憐れみを与えられているんだ。
それでも、その好意ある憐れみを利用しない手はない。わたしは、三百五十ミリのお茶を指差し、お茶が欲しいんです、と告げた。お茶ですね、彼はにっこりと微笑んで、わたしの希望するお茶を取ってくれた。手を伸ばし、どうもありがとう、と言いかけたところで、彼はわたしの背中に手をやって、少しだけ押した。
「レジまでお持ちしますから、こちらへどうぞ」
違う、とわたしは思った。この人は、わたしを「差別しない」人だ。「区別してくれる」人なんだ。
百三十六円です、レジで彼に値段を告げられたわたしは、おぼつかない手付きで財布をさぐる。わたしの手は乳幼児の手がそのまま大きくなったようで、細かいお金を取り出しづらい。しかもレジには、どうにか手が届くかどうかぐらいの身長だ。わたしの後ろに気配がする。次の客が、もう来ているようだ。わたしは焦った。焦って、小銭を数枚落としてしまった。
すると店員は、レジから出てきてそのお金を拾うのを手伝ってくれた。すいませんすいません、と何度も謝るわたしに、彼は「いいんですよ」と言って、次の客を別のレジへ促してくれた。落とした小銭を拾い終わり、代金を手渡すと、彼は代わりに袋に入ったお茶を差し出した。
「また何か買いたいものがありましたら、お気軽にお声をおかけくださいね」
その笑顔には、偽りはなかった。
ヨシカワ、と書かれた名札を、わたしはじっと見ながら頷いた。ヨシカワさんの顔が、見られなかった。
その時わたしは、恋をしたのだと思う。
「アサミちゃん最近、明るくなったわねぇ」
昼食の準備をする際、センターの給食係のおばさんに言われて、わたしは、笑顔を浮かべていることが多いのに気付かされた。それは間違いなく、ほぼ毎日通っているコンビニでヨシカワさんに会えるからだった。
わたしのからだを考えれば当然かもしれないけど、ヨシカワさんはわたしのことをすぐに憶えてくれた。それでわたしが店に入ると、すぐに「何かあったら声をかけてくださいね」と微笑んでくれた。わたしはお茶だけじゃなく、小さなパンやお菓子も買うようになった。でもコンビニではだいたい、大きいものが下に、小さいものが上に置かれている。わたしのからだには、大きいものは持てないし入りきらない。だから小さいパンを取ってもらうためにヨシカワさんに声をかけ、取ってもらっては恥ずかしげに「ありがとうございます」と呟いた。
ヨシカワさんは月曜から金曜まで、ちょうどわたしがセンターに行く日にコンビニで働いていた。だから毎日会えるし、毎日わたしの所望するものを取ってくれる。幸せ、というものを感じた。今まで感じたことのなかった、からだの中からあたためられるような想い。
でもヨシカワさんは、決して「仕事ができる」店員ではなかった。ミスをやらかして店長らしき中年に叱られていたり、他の店員に馬鹿にされたりしていた。それでもヨシカワさんは、笑顔だった。わたしはヨシカワさんをなぶる人々を、恨んだ。彼らはヨシカワさんに冷たいだけじゃなく、わたしのことを「小人として」扱うからだ。
その日は、珍しく仕事が早く終わり、普段より早めに帰っていいことになった。センターを訪れる人が少ないと、わたしは何もやることがないからだ。こういうことはまれにあり、決まってわたしが帰ることになる。それはわたしが小人だから仕方のないことだ。力仕事はできないし、患者がいなければその世話もできないし、専門的な知識もない。だからわたしは、ときどき早く帰ることがある。
何の気なしに、コンビニに寄ろうかと思った。まだヨシカワさんが働いていたら、帰ってから食べるお菓子でも買っていこうかと思ったからだ。
コンビニに着くなり、ドアが開いた。そこから「それじゃまた明日、お疲れ様っ」と出てきた男性がいる――ヨシカワさんだった。わたしは心臓がビクン、と動くのを感じた。動悸が起こる。途端に動きを止める。どうしよう、とわたしは思った。ヨシカワさんがわたしに気付いたら、わたしはどうしたらいいのだろう。
案の定、ヨシカワさんはわたしに気付いた。おや、と言って右手を小さく上げ、わたしの方に歩み寄ってきた。
「いま、お帰りですか?」
いつもの、安心できる笑顔だった。それでもわたしの動悸は、止まらなかった。ええ、はい、わたしの返答は明らかに震えている。僕もなんですよ、というその笑顔は、さわやかでわたしの気持ちを落ち着けてくれる。
「どっちに行くんですか? 同じ方向だったら、ご一緒しますよ」
彼特有の、優しさがにじんだ発言だった。わたしのことを気遣ってくれている、それがわたしには、素直に嬉しかった。普段は「差別」されるといやがるのに、この人には、ヨシカワさんには「区別」されるのを望んでいる。きっとヨシカワさんは、わたしがきちんと帰路に就けるかの心配もあったのだろう。
歩く方向が同じということで、わたしたちは一緒に歩くことになった。すれ違う人々がわたしに奇異の視線を浴びせるも、ヨシカワさんはまるで気にせず話し続ける。
そういえば毎日会ってますけど、お名前は何ていうんですか? えっと、あの、アサミっていいます。アサミさんね、じゃあこれから、そう呼ばせてもらってもいいでしょうか? え、も、もちろんです。よかった、僕、バイト生活だから親しい人が店員ぐらいしかいなくってね、友達になれればいいな、と思いますよ。友達? こんなわたしをですか? こんなわたし? ええ、こんなわたしを、友達にしてくれるっていうんですか? こんな、の意味がわからないな、アサミさんは普通のいい娘だと思いますよ。
普通のいい娘だと思いますよ、
その言葉が、わたしを幸福感で満たしてくれた。ヨシカワさんは、わたしのことを「特殊」じゃなくて「普通」に見てくれる。きっと小人に応じた発言であるのには違いないだろうが、彼はわたしを「普通」と言ってくれた。
嬉しかった。
音楽とか聴きますか? いえ、そんなに聴かないんですけど。だったらね、チープ・トリックって知りませんか? いやぁ、知りません、すいません。いやそんな、謝らなくていいんですよ、僕の好きなバンドでね、もう芸暦は長いんだけど。そんなに好きなんですか? うん、こないだの来日公演も行ったし、新譜だって恰好いいと思ってる……次第にヨシカワさんは、敬語を崩してきた。それはわたしに対して、ヨシカワさんが親しみを覚えているという証拠だ。そうしたことに、わたしはよく気付く。きちんとしたからだが備わらなかったからこそ、感覚は、人並以上に優れていると自負している。その感覚が、彼を「信頼せよ」と訴えている――幸福だった。
しかし岐路に着き、わたしは右に曲がらなくてはいけなくなった。あのう、わたしここで、そう告げると、ヨシカワさんはにっこりと微笑んで、わたしの未熟なままの右手をつかんでくれた。
「これからも、お待ちしてますからね。何かあったらどんどん言ってください」
それじゃあ、左手を挙げ、快活な笑顔で去っていくヨシカワさん。わたしはその後姿に手を振りながらも、彼の挙げた左手の薬指に、光る何かがあるのを認めていた。
バイト中は外しているのだろう、銀色の指輪。
それが左手の薬指にはまっているということが、幸せの頂点にあったわたしを、失意に陥れた。
「最近アサミちゃん、元気ないんじゃない? 何かあったの?」
給食係のおばさんが、今度はわたしにそう告げる。この人は、わたしのバロメーターだ。彼女自身は気付いていないのだろうけど、わたしの具合をよく観察していて、わたしの変化に気付いてくれる。そうですかね、と応じるわたしは、明らかに元気がない。患者さんに持っていく給食を受け取り、ポンと肩を叩かれた。
「アサミちゃんはアサミちゃんなんだから、思った通りに頑張りなよ」
思った通りに、
わたしはその言葉に、具体的な手段を思い描いていた。
――手紙。
そうだ、手紙を書こう。
わたしは休憩時間のお昼を早めに済ませ、その場で考えた言葉をひたすら羅列してヨシカワさんに手紙を書いた。内容はひどいものだった。自分は小人だからさげすまれてきたのに、あなたはわたしを普通に扱ってくれた、だからわたしはそんなあなたに恋をした……そんな意味合いの言葉が、ただひたすらに、言葉を変えて何度も羅列されていた。見直すと恥ずかしくてたまらなかったけど、いまの自分の正直な気持ちであるのだから、偽りのないそれを、彼に渡したかった。
翌日、やはり寄るコンビニ。目ざとくわたしを見つけては、お守りのようにいろいろと世話を焼いてくれるヨシカワさん――その左手の薬指には、指輪はない。見た感じ、洗い物や力仕事も多いコンビニでは、外して働いているのだろう。いつものように優しくペットボトルやパンを取ってくれて、会計の時にはレジから出て直接応対してくれる。そんなヨシカワさんに恋人がいようと、いまいと、わたしには関係なかった。
だから、バッグに忍ばせた手紙を、取り出そうとした。
「おう、これと肉まんひとつな」
しかしその手の動きは、わたしの身長と手の短さもあり、会計を済ませたわたしの後ろにいたサラリーマンの声で中断されてしまった。居所なく空を描く短い手は、ヨシカワさんから受け取った袋をバッグにしのばせるぐらいしか動けない。ヨシカワさんは、毎度どうも、またよろしく、なんて言ってくれるけど、ここでは、わたしは一介の客でしかないのだ。
その場に逡巡したあげく、わたしは、手紙を渡せなかった。
それはわたしとヨシカワさんのやりとりを中断した中年のせいもある。けれども、最終的にはわたし自身が、それを渡す勇気が出せなかった。もし本当の勇気があれば、わたしは中年客の対応を待って、手紙をどうにか渡そうとしたはずだ。でもわたしは、その場をとコトコトと醜く歩いて去るしかなかった。ヨシカワさんの邪魔をしてはいけない、そう思うと、わたしは足早にコンビニを出てしまっていた。
気付けばわたしは、泣いていた。
泣きながら歩くコビトなんて、周りから見ればどんなに滑稽なことだろう! でも、いまのわたしはしょうがない。それが事実なんだから、受け止めるほかない。すれ違う人々が投げる、奇怪なものを見るような視線を、浴びるしかない。そんなことは、わたしは慣れている。慣れているはずだ。
慣れているはずだった。
なのに、わたしは路上に崩れ落ち、声を上げて泣かずにはいられなかった。小さい頃、わたしが小人症だと解る前のこと、デパートでわたしを見逃してしまった両親が必死にわたしを探してくれたことを思い出した。でもいまは、両親はわたしを助けてくれない。わたしはただ、路上で泣き伏しているだけだった。大丈夫か? という男性の声がした。ヨシカワさん? と思って顔を上げると、そこにいたのはコンビニでわたしの邪魔をした中年だった。わたしはよけいに泣いた。これ以上ないぐらいに泣いた。すぐに中年はその場を去った。見てもいないのに、通りすがる人々の視線が突き刺さるのがわかった。
わたしは、恋なんかしちゃいけないんだ、
そう思うと、その場を動けなかった。わたしは小人だから恋をする資格もないんだ。わたしは普通じゃないから恋なんかしちゃいけないんだ。普通のヨシカワさんに近付いちゃいけないんだ。おとなしく同じ小人から恋人を探せばいいんだ。同じ傷をなめ合っていればいいんだ……。
「大丈夫?」
聞き慣れた、声がした。
反射神経に身を任せて醜い泣き顔を上げると、そこには、いるはずのないヨシカワさんがいた。勤務中のはずの、いるはずのないヨシカワさんが、でも、確かにそこにいた。
「様子がおかしかったから、ゴミ箱の片付けするって言い訳して出てきてみたんだ」
彼は、そう言って微笑んだ。
「正解だったよ」
その人は、確かにヨシカワさんだった。漢字で書くと「吉川」なのか「芳川」なのか「川」じゃなくて「河」なのか、そんな小さなことも知らないのに、わたしが恋してやまないヨシカワさんだった。抱きつきたい気持ちをおさえて、わたしは「大丈夫です」なんて言ってみた。でも全然、大丈夫なんかじゃなかった。不安と動揺と期待がまじりあって、ヨシカワさんの腕の温度を感じたくてしょうがなかった。
でも、それは感じられなかった。
「おれ、仕事があるから戻らなきゃいけないんだけどさ」
ヨシカワさんは、そう言いながらわたしの手を取り、立ち上がらせた。
あたたかかった。
いままで感じたなにものよりも、あたたかかった。
「わかんないけどさ、考えすぎんなよ? 君は、普通のいい娘だよ」
刺さるぐらい、ひどく前向きな言葉だった。
じゃあこれね、そう言ってヨシカワさんはハンカチを渡して、手を振りながらコンビニに戻っていった。
その左手には、指輪はなかった。
そしてわたしの方へ、振り向くことはなかった。わたしはそのハンカチを、白地に赤のチェックが入ったハンカチを、涙を拭くのに使えなかった。もったいなかった。ヨシカワさんから渡されたそれを、使うなんてできやしなかった。すぐにキッズ・ジーンズのポケットにしまって、涙は、シャツの袖で拭いた。
それから、ハンカチは借りっぱなしになっている。
そういうことを、わたしは、ヨシカワさんが好きだと言っていたチープ・トリックの、『永遠の愛の炎』を聴きながら、想っている。
いまでも、コンビニにはよく行く。もちろん、ヨシカワさんにはよく会う。
でもわたしは、ハンカチを返せない。
ヨシカワさんも、わたしに返せとは言ってこない。
それを返すことが、わたしとヨシカワさんの間をつなぎ止めている見えない何かを崩してしまうような気がして、わたしはハンカチを返せない。でも、ヨシカワさんは「毎度ありがとうございます」と言ってくれる。
それでいい。
それでいい、と、わたしは思う。
(了)