『ネロリ』

Brian Eno
“NEROLI”


 精神安定剤を立て続けに服むと、睡眠にも似た陶酔感に襲われる。しかし眠くはなく、寧ろ睡眠直前のまどろんだ状態が延々と続くような快感に包まれる。これはモルヒネに似ている、と私は考えた。私はモルヒネを何度かやったことがある。それをくれたのは、当時看護婦をしていたユイという友人だった。ユイは勤務先の病院から少しずつモルヒネをかすめ取り、これも病院から持ち帰った注射器で、よく静脈注射していた。私はそれを分けてもらって、注射する勇気が出なかったので他のやり方を幾つか教わり、鼻腔からの吸入を主に行った。だから私がモルヒネをやると言うと鼻から吸うことになるが、ユイがモルヒネをやると言うと注射器の力を借りることになる。その期間は数ヶ月続き、ユイの部屋に余り遊びに行かなくなった私はすぐにモルヒネをやめられたが、ユイはとうとうそれが病院にばれて、クビになったうえに裁判沙汰になった。私のことを何か言うんじゃないかと最初は怖がっていたが、ユイは決してそれを口にしなかった。それどころか、中毒症状が酷く裁判がまったく進まなかったあげく、心臓発作を起こして他界してしまった。もともと心臓が弱く、余り長くは生きられないと自分でもユイは言っていた。だから友人も意図的には作らず、私と、あと数人いるかどうかの、偶発的にできた友人しかいないと言っていた。彼女の遺物にあり、友人であることを理由に遺族から譲り受けたものが幾つかあった。買ったまま着ていない衣服や使っていない化粧道具など、封の切られていないものばかりだった。買うだけ買って、どうせ着れなくなるんだから、とユイはそれらを開けなかったらしい。マルイの袋やブランドの名前が印刷された紙袋に入ったままだった。その中に紛れて、封の切られたものがひとつだけあった。それがオレンジ色のジャケットの『ネロリ』というCDだった。 
 私はその作者であるブライアン・イーノという名前を聞いたことがある。以前付き合っていた男が好きなグループに在籍していたとかで、名前だけは知っている。ただその姿や音楽は知らないし、ブックレットを開いてみると、英文と、それとおぼしき人物が目を閉じている写真がひとつしかなかった。そのうえ輸入盤だったので、和文の解説は何もない。まったく情報のない状態で、それをかけてみた。ゆったりとしたイントロ、残響音を残す低音が小さく鳴る。どうやらCD自体の音量が小さいらしい。そこでイントロが終わってから音量を上げようと思ったが、いつまで経っても音量も演奏も同じ状態の繰り返しだった。奇妙に思った私は、ミニ・コンポの分数表示を変えてみた。何度か変えていくうちに、そのCDが五十分以上の曲が一曲あるだけ、ということが解った。私はそんなに長い曲を聴いたことがないし、何より、イントロと思っていた演奏は、五分を過ぎてもずっと繰り返されている。ひょっとして、と思い私は音量を普段の二倍近くに上げた。ひょっとして、このCDはずっとこういう演奏が続くんだろうか。予想は的中した。イントロだと思った残響音の長い低音は何度も重なるように現れ、現れては泡のように消えていく。私は「狐につままれたような」という言葉を思い出した。まさにその状態だ。見たことのない、聴いたことのないCDが私のミニ・コンポで回っている。不思議な感覚だった。まるで催眠術のように鳴り響く音。それは音楽というより、もはや音の塊だった。音塊が現れては、消える。その繰り返しがまるで無限のように行われ、私の感情はそこに関与することをいっさい許されなかった。普段ならノリがいい曲だとか泣ける曲だとか、そんなふうに単純に理解できる曲ばかり聴いているのに、これは初めて聴く音だった。何も、適確な表現ができない。いい、とか、悪い、とかの判断さえもできなかった。こんなものを、と私は思って、ジャケットを手に取った。こんなものをユイはいつも聴いていたんだろうか? 私は気持ち悪くなり、とても五十分以上その音塊の繰り返しを耳に押し付けられるのが嫌で、CDをミニ・コンポから取り出した。憂さ晴らしのような気分で次にかけたマイルス・デイヴィスも、音量を上げていたことを忘れていたので、部屋を揺らすぐらいの弦楽器と窓を壊すぐらいの吹奏楽器に飛び上がって驚き、慌てて音量を下げてから聴く気分にはなれず、電源を落としてしまった。
 それから私は、ユイがいなくなったことを忘れてアルバイトに励んだ。私は実際、ユイのことを忘れていた。ユイにとっては私は数少ない友人のひとりだったかも知れないが、私は、ユイの他にも友人がいた。彼らと電話で話をしたり、アルバイト先で一緒に働いたりしていると、自然とユイのことは忘れてしまう。それほど親しかったという記憶もないし、一緒にどこかへ遊びに行ったりだとかの、具体的な記憶もまるでない。なぜ私とユイが友人であるのか不思議なぐらい疎遠だった。しかしユイにとって、私は友人だった。そもそも私達はいつ友人になったのだろう。私が大学生の頃、ユイは看護学生だった。私が短期間ながらもOLをしていた頃、ユイは准看護婦だった。私が退社してアルバイトに逃げた頃、ユイは正看護婦になっていた。その三つの時期のどれかに出会った筈だけど、まるで憶えていない。居酒屋やバーで会ったなどの記憶もない。いつの間にか知り合い、いつの間にか友人という認識がユイから私には向けられていた。それでも私にとってのユイは、いつまで経っても知人ぐらいのままだった。でも仲が悪かったわけじゃなく、かといって、良かったわけでもない。呑み友達やメル友なんかとも違い、一時の会合じゃなくて普段から会うこともあったし、部屋も近かった。そう、どっちがどっちの部屋の近くに引っ越したわけでもなく、私とユイは近くに住み合っていた。時々遊びに行くこともあったし、ユイが遊びに来ることも一度だけあった。
 それは雨の強い夏の午後だった。私はファミリー・レストランでのアルバイトから帰ってきて、何もやる気になれずにベッドに横たわっていた。会社から逃げた私に住むことができたのはエアコンもない木造の和室だったので、雨の日は異常に蒸した。私は我慢できず、下着姿のままベッドで息をしていた。息をするぐらいしか、やることがない。というより、やることが見付からない。何か大きなやりたいことがあって退社したわけではなく、早い話が人間関係が嫌になって逃げたのだから、ぽっかりと暇な時間ができても打ち込む何かもない。さらに脱出の原因だった筈の人間関係が、アルバイトにもまとわり付いてくる。安定した収入と不安定な人間関係を捨て、私は不安定な収入と不安定な人間関係を選んでいたことに今さら気付いた。そう思えば思うほど、何もやる気がしない。そこへ電話代わりの携帯電話が鳴った。そのディスプレイ表示から、ユイからのものだと判った。珍しいな、と私は思った。そう、それは珍しいことだった。ユイは電話は好まず、寧ろ直接話をする方だったので、恐らく何か緊急の用事でもあるのだろう、と思い込んでそれを受けた。
「もしもし」
「ユイです」
 平坦な声だった。どうしたの? と私は訊く。それは当然の行為であり、また、普段から電話で会話をしていないという証拠でもある。別に電話で普段から話していることが親しいというわけではない。単純に、電話での会話が限られている、というだけのことだ。電話が少ないと仲が良くないと勘違いする大学生に紛れてのアルバイトだと、そういったことをいちいち自分に確認しなくてはいけなくなる。勘違いする大学生、と総括してみたものの、私もかつては大学生だった。しかし携帯電話が交際ツールであるという勘違いは起こさなかった。それは私が、根本的には人間を信じられないからだ。幼い頃から私は、数々の裏切りに遭ってきた。マラソン大会で一緒に走ろうと言ってきた友人が自分を追い越していったというありがちな話から、私に転校を強いる両親、またその離別、恋人だと思っていた男が他の女と唇を重ねる現場、それを慰める素振りを見せておきながら酒に酔った私を抱こうとする男……それらは信頼が裏切られたということになるのだから、信頼していた私自身にも責任はある。あなたは物事を悲観的に考え過ぎるのよ、と私を評した友人もいた。しかしその友人は携帯電話を交際ツールとして使い、様々な男を乗り換えながら金の工面をしていくような女だったので、私はその言葉を信用していなかった。私は友人のグループの中ではどちらかというと異端として数えられ、交流の機会も少なかった。決して明るい学生時代ではなかったと思うが、それでも明るく能天気に何も考えずに卒業するよりはましだろう、と思っていた。
 それが崩されたのは社会人になってからだ。親しかった教授によるコネ同然で入った会社では、やたらと上司が部下に酒宴を設けた。最初のうちは仕方がないと思いつつ、割り勘で終わるその酒宴を呼びかける上司を憎んだ。それは一種のセクシュアル・ハラスメントだ。自分の立場を利用し、断れない部下を酒の席に誘う。その対象が女性であればセクハラとかいうものは成立する筈だ。そんな便利な時代ではあるが、実際にはそんな訴えは通用しない。寧ろ、訴える前に挫かれる。入りたての新人と上司という、相対的な立場がそれを鎮めてしまうのだ。ここはアメリカじゃない、と私は思った。縦社会が続いた日本なのだ。そんな半強制的な酒宴は月に数回設けられ、しかも割り勘なのだから、私の給料は自分のために充てる分が減っていく。しかも上司は、今からうまいものを知っておけ、などと言って懐石料理や高級料亭を主に利用した。金は働けば幾らでもたまるけど舌はいいものを食わないと育たないんだぞ、と彼は言った。舌貧乏であってもいいから私は服や香水を買いたい、そう思ったが、上司の言葉にただ賛同する部下に紛れてしまっては、それは口にはできなかった。
 その酒宴続きの日々に、ユイと出会ったのかも知れない。やはり、そうだ。酒宴の席、それも珍しく大衆的な場所に移ってのことだった。その日は上司が競馬で負けたとかで、憂さ晴らしに呑みたいが金がそんなにないからなぁ、と言っていた。店を決めるのは勝手なことに彼の財布次第だった。しかし部下は、彼がどこを選んでも割り勘を払えるぐらいの金を持ち歩いていなければいけない。矛盾だということは解っていた。しかしその矛盾が、社内の、私がいた部署には通用していた。その日は地下の居酒屋に場所を移した。普段と違い、騒々しいそこには大学生の姿も見られる。以前の私は彼らの姿に苛立ちを覚えていたが、その時は羨望ばかりが湧き起こった。自由だ、私は思った。彼らは束縛されていることを忘れている。忘れられる環境下にいる。しかし私は束縛が前提にあり、それを忘れてはいけないことになっている。そう思った。そしてそれは事実でもあった。
 そこから先は憶えていない。寧ろ、憶えることもなかったのだろう。普段のように上司は自分の会社での武勇伝を語り、部下は平伏し、教訓とする。私は苦笑いを、できるだけ普通の笑顔になるようにして浮かべている。場所は違えど、内容はいつでも同じだった。そして必ず、途中から私の横には酔った上司が来る。上司は私を気に入っている、という話を同僚から聞いたことがある。性的な手出しこそしないものの、説教しながら私の肩や腰を、上司は執拗に叩いた。私に触りたかったのだろうか。酒の席があると知ると私は常に上司の嫌いな柑橘系の香水を撒いていたが、上司の酔った嗅覚にはまるで関係ないようだった。それ以上に、私に触りたいようだった。
「殺してやればいいじゃない」
 上司の手から逃げたトイレで会ったその女は、確かにそう言った。振り向きもせずに、鏡を見るでもなく、ただ自分の手もとを見詰めながら。整った横顔からでも目の下に明らかなくまが浮かんでいるのが確認でき、化粧で誤魔化している。しかし覆い隠せないほど、それは黒く歪んでいる。あんな上司、ああ、断れないところを見ると上司なんでしょう? あんな上司、いるだけで会社の毒になるんじゃないの、女は手を洗いながら、そう繰り返した。その動作が、長い。放っておけばいつまでも手を洗っていそうなぐらいに、長い。何度も備え付けのハンド・ソープを押しては手をこすり、流す。その動作を繰り返したあげく、ハンド・ソープは空になってズコズコという間抜けた音を出し始めた。はあ、と私が曖昧に答えながら手を洗い始めると、だからいけないのよ、と女はさらに続けた。そういうふうに人の話を聞いているような振りばっかりして、結局何も聞いてない、自分の言いたいことも言わないでずっと従ったままでいる、そんなだからあんな馬鹿にいつまでも吸い付かれるのよ、と女は苦々しく言い放ち、ようやくハンカチを取り出した。白いブラウスの胸ポケットからピンクのハンカチを取り出すその仕草は、いやにセクシーだった。ブラウスは半袖で、その日は暑かったと記憶している。ちょうど今から一年ほど前のことになるのだろう。
 夏という季節は、私は好きではない。汗ばむし、衣類が幾らあっても足りず、洗濯もやたらこまめに行わなければいけない。というのも、私は今、エアコンもなく洗濯機も置けない安いアパートに住んでいるからだ。それまでは、会社勤めで高い給料だけは手に入っていた頃の部屋は、快適だった。エアコンは当然のようにあり、洗濯機も備え付けのものが用意されていた。しかも入居の際、それを買い換えるという気の利いた大家だった。あの部屋はオートロックだったし、小さい中庭もあった。防音設備も完璧で、私が幾ら大声でよがり狂っても近隣には声が漏れていなかった。
 私は、時々ひどく変質的な自慰をする。洗濯ばさみを両方の乳首に挟み、肛門に傘の先端を突っ込み、性器を窓の外に拡張して見せるなどの、まるで変質としか言いようのない行為だ。そのあげく隠語を大声で叫ばないと絶頂を迎えられなかった。だから前のマンション、そう、前の部屋はマンションだった。今はアパートだ。前のマンションは最適だった。今の部屋では、そのような行為をしようとすれば、まず窓の先にある隣りのアパートの住人に見られてしまう。その住人は留学生か何かのようで、一度だけ我慢できずに窓に拡張した性器を押し当てた際、アジアの言葉で驚かれたことがある。分厚い眼鏡と短い髪の、典型的な留学生だった。叫ぼうとしても、モルタルの壁では筒抜けなので叫べない。しかし私の欲求は、そうした変質的な行為でないと鎮まることを知らない。それでも自慰行為はやめられず、まさに自分を慰めるかのようにベッドの上で性器をいじっていた。留学生は時々私の部屋の様子を窺うようになったので、私はカーテンを閉め切っていた。
 そこに現れたのが、ユイだった。ユイも変質的な性癖があり、私を部屋に呼ぶ時にはそれなりの準備をしてくれた。それなりの準備、というのは、バイブレーターやピンクローター、クスコなどの器材のことだ。部屋の壁も厚く、私は時々呼ばれては、ユイと一緒に変質的な行為に及んだ。クスコで性器を拡張し、そのままおしっこを漏らしてしまうこともあった。しかし私の欲求は突発的に、それも偶発的に、何かの反動であるかのように起こったが、ユイのそれは慢性的なものだった。彼女は話によると毎日、それもひとりで部屋にいる時は常に自慰行為に等しいことをしているらしい。ともすれば小型のバイブレーターを挿入したり、クリトリスにピンクローターを貼り付けたまま勤務に向かうこともあるのだという。
 ユイの部屋での自慰行為を重ねていくうちに、私はモルヒネを分けてもらった。ユイの説明によるとモルヒネは鎮痛剤ではあるが寧ろ精神系統そのものを沈静化させてしまう効果があるので性欲さえも起こらなくなる、のだそうだ。それを知ってから、私は自慰よりモルヒネを選んだ。ユイの部屋に行く度にモルヒネで自分を安定させ、ベッドが空いていればそこに、そこにユイがいたら床に横になってただ呆然と時を過ごした。モルヒネは常に安定を与えてくれた。それは快適なものであったり不快なものであったりと効果はまちまちだったが、どちらにせよ、私は安定した。すべてのやる気を失い、横になれた。こんな気分は初めてだった。それを何と表現すればいいのだろう。
 母の胎内、
 水の中、
 雲の上、
 睡眠中、
 性的絶頂、
 気絶、
 どれもが当て嵌まったが、どれも当て嵌まらなかった。そしてどれも、完璧な安定だった。何ひとつ考えるもなく、ただ漠然とした意識の中、私とユイは横になる。すべての言語が失われてなんにもかんがえられなくなってしまってこのままきえてしまってもいいんじゃないかとおもってしまうぐらいのあんしんかんがあってそれはけっしてくずれることはなくしばらくのあいだずーっとつづいてわたしをみたしてくれたけどゆいはどうやらあんまりもるひねのききめがよくないことがおおいらしくべっどのうえやゆかのうえでにがにがしいひょうじょうのままなにもせずにいきだけしていることがよくあったでもかのじょはいたってあんていしていてこきゅうがとまることもないししんぞうがていしすることもないけどしこうだけはていししているもどうぜんだったのだとおもうもるひねをやるとかんかくだけはいやにするどくなることがあってそういうときはわたしにとってよくないこうかだったなぜならするどくなったかんかくはくうきさえもいたくかんじることがありなにかおんがくがなっていたりするとかならずひどいいたみをともなうしかしおんがくをとめようにもからだがうごかずそういうときにかぎってゆいはきちんとかいてきなあんていにみをまかせていたりもするそういうときわたしはきまってちいさいころにかんがえたこうじょうのはなしをおもいだしたそれはこうじょうからでてくるけむりがてんしのわになってわたしがそれをつかまえるとてんごくにいけるというものだてんごくではかみさまがまっていてながいひげとつえをもっているわたしはそこでいつもこうしていきているのはぜんぶてんごくでわたしがねむっていてみているゆめなんじゃないかとかんがえたそしてゆめがおわったしゅんかんつまりゆめのなかのわたしがしんだしゅんかんてんごくのわたしはめをさましてねむっているあいだのはいせつはぜんぶおもらしになっているんじゃないかなんてかんがえていたことがあるそれはしょうがくせいのころによくおもったことだけどそれをかんがえるとかならずといっていいほどわたしはおしっこをもらしてあたたかさをふとももにかんじながらめざめるのだったもるひねをやっているときもそれがよくあった、そうして私は現実に還った。
 現実に還ると、虚脱感が残った。内臓をすべて抜かれてしまったような、体の中に何もない感覚。足もとはおぼつかなく、さらにモルヒネを求めることもしばしばあった。これは自慰行為に似ている、と私は思った。罪悪感にも似た後悔の念と、それでもやめられない、まさに麻薬的な行為。それを同時に行ったらどうなるのだろう、と思った私は、ある日モルヒネでトリップしながら自慰行為に及んでみた。すると、全身に快楽の虫が走り回るような、得も言われぬ快感を味わうことができた。夢の中で自慰をしているような気分だった。そのまま私は絶頂に向かっていき、絶頂まであと一歩及ばぬ九十九パーセントの快楽が数分続いた後、絶頂を迎え生まれて初めて潮吹きというものを体験した。もし男に生まれて、夢精したらこんな気分だろうか、と私は思った。ユイはモルヒネを注射してから横たわるだけで何もしない。代わりに、私が局部を撫でてやると、突然触られた蛹のように躰をビクンとさせた。そうやって、トリップ中のユイを弄ぶのが、私には楽しかった。局部を舐めたり、バイブレーターを突っ込んだり、クリトリスを噛んだり、強いトリップのため動けないユイをいじっては反応を見て楽しんでいた。まるで子供が捕まえた昆虫を弄ぶような行為だった。
 またある日は、ユイの提案で飲酒しながらモルヒネを吸った。トリップ状態でアルコールを摂取すると、幾らでも呑める。アルコールが効かないというより、効いているのに解らない状態になる。この状態が私にはとても面白く、そんなに呑める口ではない筈なのに、テキーラをガブ呑みしたりした。ユイは注射の強力なトリップなのですぐに横になったが、私はユイの局部に酒のビンを挿入して、胎内に注ぎ込んだりした。ユイが横たわっているのをいいことに、顔面に放尿してやったりもした。起きると必ず二日酔いがしたが、それをまたモルヒネで軟化させたりもした。
 しかしそのモルヒネをやれる日々も、ユイの犯罪がばれて終わりになる。その頃には私はユイとの付き合いも少なくなっていた。会社を辞めた私には、生活できるだけの金を稼げるように時間を埋めたアルバイトがあったからだ。固定給だった会社と違い、アルバイトは時給で計算される。だから生活に必要な金額も時間で計算できる。そうした現実が私を中途半端なモルヒネ浸りから脱出させてくれた。一方のユイは、看護婦の仕事を惰性で続けていると語っていたことがあり、冗談混じりに眠っていてもできるとほのめかしていた。ユイは無睡眠で仕事に出ることもよくあったらしい。その日も無睡眠で私の部屋に来た。携帯電話が鳴り、私は珍しいな、と思いながらそれに出た。
「もしもし」
「ユイです」
 どうしたの? と私は訊く。するとユイは、今あなたのアパートの前にいるの、と言った。外は雨が降っている。それでは可哀相だ、と私は思った。ユイに対して可哀相と思うことは余りない。しかし雨の中に傘ひとつで立つ彼女を思い浮かべると、可哀相という言葉しか思い浮かばなかった。だから早く入ってきなよ、と言葉をかけて電話を切った。下着姿のままだったが、ユイが相手なら構わないと思いそのままで彼女の登場を待った。木製のドアがノックされ、私はガタついてなかなか開かないそれを横に滑らせた。
 そこにいたユイは、裸だった。
 傘も持たず、携帯電話だけを右手に持っている。びしょ塗れの躰は雨水で覆われ、足元は泥にまみれている。頭髪は水でもって縮み、いやに頭が小さく見える。化粧をしていたのかどうか解らないが、やけにくまが大きく見える。しかし震えることもなく、ユイは裸のまま、私の部屋の、開かれたドアの前にいる。表情もない。自身の性癖なのか、陰毛さえ丁寧に剃り落とされている。まるでそこに、水に濡れたマネキンが置かれたような光景だった。しかしそこにいたのはマネキンではなく、ユイという、明らかにどこかがおかしいひとりの女だった。現にその躰には、せっかくの綺麗な躰には、幾つかの大きな傷跡が残っていた。
「私を、殺してほしいの」
 ユイは、そう言った。そして微笑んだ。
 私は叫びもあげられず、ドアを閉めてしまった。声を出そうとするが、出ない。何かを吐き出す時のようにカカカ、と虚しい音が咽喉から漏れるだけだ。私は、ユイの笑顔を初めて見た。しかしそれは余りにも、正気の笑顔ではなかった。彼女の視線は私に向けられず、私の頭部より少し上あたりに向けられていた。その空間を見詰めたまま、裸のユイは微笑んだ。子供が虫を殺す時のような、残酷な笑みを。それがまた、どこか美しくもあった。足音が聞こえた。ユイは、そのまま私の部屋の前から去ってしまったらしい。もちろん裸のままで、雨の中を――それが、私がユイと会った最後の日となった。その数日後、ユイは病院でモルヒネを盗んでいるところを見付かった。

 今、私は、ユイの遺品である『ネロリ』をもう一度聴いている。
 何かを思い出しそうで、思い出せない。
 しかしそれは、思い出してもいいのだろうか。
 今はただ、安定剤を服んでベッドに横たわり、この音楽を流しているだけでよかった。何も考えたくなかった。目を閉じたが、思考が渦巻いてばかりで、決して眠れはしなかった。

(了)