『ブラン・ニュー・デイ』

Sting
“BRAND NEW DAY”
心という曖昧なものが、さらにもやもやしていたので、公園を散歩していた。
文章が書けなくなっている自分へのリハビリや、転居前の精神整理を兼ねて――そう、私は文章を書く。文章を書くが、それを生業としているわけではない。生業にしたくともできないという、どこにでもいる風変わりな狂人気取りのひとりだ。
その、私の中に巣食う狂人気取りは日に日に成長し、先だって、私を乗っ取った。そうして自己の安定だけは約束されていた市役所の庶務課での仕事を、私に放棄させるに至った。市役所には寮を借りており、職を失った私は、課長より即時そこからの退去を命じられた。ただ私の働き具合を知っている直属の上司は、私に三日間の猶予を与えてくれた。それでも仕事には就いていないため、寮母による食事などは自制し、部屋だけを借りているという曖昧な身分であった。
曖昧なのは、心というものではない。
私自身、そのものであった。
その私の曖昧さは私自身が望んでいたものであり、また狂人気取りが強引に与えたものであった。この相反する言い口は、私の目指すもの――文章家――が曖昧であるがゆえに、どうしても曖昧になってしまう。私は、種類を問わず、文章を書いていたいのだ。それは小説家であれ、エッセイストであれ、評論家であれ……曖昧に「ライター」と呼ばれるものでさえ構わない。そうして、自分の向かうものが何であるのか、はっきりしないままに狂人気取りが私に自由を与えた。曖昧な自由。束縛されないだけの自由を。
考えたところで、どうとなるものでもない。
煙草に火を点けつつベンチに座り、メモ帳を取り出す。神経質な汚い走り書きが、無造作に並んでいる。アイディアだけはたくさんあるな、私は誰にも聞こえない程度の声量で呟く。時間もできた、文章力かて、人並みよりは備えていると自負している。それでは、何が足りないのだろう? やはり心という曖昧なもの、それに関わる何かなのだろうか。さすれば、退社を宣言してより最近、とみに倦怠感に包まれている自分に楔を打つべく、私はこの公園を訪れたことになるのだ……。
今の私は、狂人気取りが支配していた。そのそばを通り過ぎる人々は、私を狂人として認識し、怪訝な視線を投げかけていく。ふと見れば、広場にはボール遊びをする中年達がいる。彼らは近くにある養護施設の中年達のようで、初老の介護人の指示に従って遊んでいた。その素振りはまるで子供そのもので、中には奇声をあげる者も少なくない。彼らをも、私を怪訝な目で一瞥した人々は蔑視していく。まるで自分だけが正常であるのだ、と言い聞かせるかのように。
視線を戻すと、対面には、ギターを弾きつつ歌の練習をするカップルがいる。最近この街にも溢れ始めた、街頭の歌うたいだ。私はそれを、ひどく嫌っていた。彼らを、甘えの象徴であるとしてとらえていたからだ。私のように寮に入ることもなく、親もとで仕事もせずに夢をみる。その姿勢が私には、甘えとして認識されたのだ。しかし今の私には、彼らを馬鹿にする権利などない。夢を持ちながらも、そこへ向かう気力を欠きつつある私には。
このままではいけない、
私は苦々しい表情を浮かべ、煙草を捨てた。
公園の周囲を見やれば、紅葉の時期も終焉に近付いている樹木に混じり、椿と思しき樹がぽつりぽつりと生えている。ぼんやりとした緑、その中には、早くも赤い花を明確に、しかしひっそりと咲かせているものもある。椿は寒さに耐えるものである。それは他者にとっては苦難として映るが、椿自身にとっては、平常のことであるのだ。
かくありたいものだな、
そうしてやがて訪れる寒さに耐える寒椿を思い、散歩を続けることにした。咲いているうちが華だ、という皮肉な洒落をこぼしながら。
その足で立ち寄ったのは、今まで何度となく購入を続けた中古CD店だった。
狭苦しいこの店は、しかし立地条件が良いために客足は耐えなかった。私も退勤後や休日に足繁く通い、同じ音楽の趣味を持つ仲間の間では貴重品である、廃盤となっていたものを幾つも購入させてもらっていた。客の出入りが多かったため、そういった品々も多く入ってきたのだ。そのうえ価格は高いわけでもなく、店主が何度か私に話しかけてきたこともあり、親しみやすく、すっかり馴染みの店であった。
レコードとCDが雑多に、しかし常連となった今では整然と、並んでいるように見える店内をうろつく。興味のあるものは多々あるが、退職を宣言した今後の生活を思い、どうしても躊躇してしまう。さらには質より量の傾向がある音楽仲間の悪い癖で、入手がたやすいものは購入意欲が疼かない。
恐らくは、今日がこの店を訪れる最後の日となるだろう。
私は店主のいるレジに背を向け、棚を眺めながらふと息を吐く。最後の日に何も買わず、言葉も残さず、店を去るのも悪くない――そう、物語としては。しかし現実世界に於いては、それは余りにも淋しく、うら悲しいことではないか。私は店主に言葉をかける機会を得るべく、何か購入対象となるものがないか探し続けた。
そこへ発売当初から中古を狙い、かといって中古があっても買いそびれたままだったスティングの新譜を見付けた。これも入手がたやすいものではあるが、他に並んでいた廃盤より何より、そのタイトルが私の目を引いた。
『ブラン・ニュー・デイ』
――新たなる日。
現状の私に、最も必要とされるものであり、題名であったのに相違ない。
今しかない、
私はそれをつかみ、ゆっくりとレジへ向かう。意図的にそうしているわけではないのだが、歩幅がどうしても狭くなる。私が向かうレジには、馴染みの店主がにこやかに微笑んでいる。私は店主に、普段通りにCDを手渡す。店主は私が渡したCDを脇にいる店員に渡し、精算させた。価格を告げる無表情な店員の言葉が、私に刺さる。一方の店主は、自動ドアの向こうに落ちていく夕日を眺めている。まるで私の転居を知って、飽くまで、話しかけようとしていないかのように――ありえる筈もない、自己愛的空想ではあるが。
料金を店員に渡しながら、私は、再度同じ言葉を思い浮かべる。
今しかない、
「引っ越し、するんですよ」
その言葉は、私の気概とはまったく別に、口唇から滑り出ていた。
店主が、相変わらずのにこやかな表情でもって、え? と訊き直す。私の声が小さかったため、聞こえなかったようだ。きっかけを与えられれば、あとはたやすい。私は店員に千円札を二枚手渡し、やや間を置いて繰り返す。
「引っ越すんです」
店主の表情が、一変した。
それは悲しみとも驚きとも取れない、複雑なものだった。
「そう、なんですか」
店主は特に感情を出さない言葉でもって、私に対応する。しかしそれは、店員が私に投げかけた類の無表情な言葉ではない。無表情を装っている言葉であった。
「どこへ……ですか?」
その証拠に、店主は私の行き先を訊いてきた。それも曖昧な間隔を設けて。
もしも無表情の言葉を投げられる人間であれば、このような問いは必要ない筈だ。そうですか、と気のない言葉であしらうか、店員が私への釣り銭を用意する多少の時間に漂う沈黙を我慢すればいい。それだけのことである。
「新宿です」
対する私も、無表情を取り繕う。しかし表情は、店主の複雑な笑顔を見るや、それが伝染してしまっていた。
「それじゃあ」
店主はふと視線を外し、自動ドアの外をちらりと見やる。冷やかしの客がひとり、出ていったところだった。
「もう、来れませんよね」
店主の口調には、私の転居を残念がる響きはない。
だが、だがなぜだろう? 私が自分だけを愛する、ナルシシストであると自覚しているからだろうか? その響きには、響きに出せない、心中の奥底から漂う何か、薄ぼんやりとしたものをまとっているかのように聞こえたのだ。私との再会の機会が設けられないことを、嘆くかのような何かが。
何か――心という、曖昧なものが。
「ええ、そうですよね」
「でも」
私の言葉が切れるより早く、店主は言葉を続ける。
「もしまたここに来るようなことがあれば、ぜひお寄りくださいね」
満面の笑みであった。
しかし、勝ち誇ったような笑みではない。様々な感情が入り混じったかのような笑み――さながら、離別の際に母親が浮かべる笑みに、それは似ていた。
「もちろんです」
それは私には伝染せず、代わりに、その笑みを受ける息子のような表情が宿った。
「ここにはずいぶん、お世話になりましたからね」
「ええ、よく寄ってくださいましたよね」
店主は、そこで言葉を濁した。
仮面が、割れた。
店主は急にそっぽを向き、言葉を飲み込むかのように、口もとを動かしている。私には、それに対応することができない。それに対応できるだけの、言葉がない。態度を示すこともできない……。
「こちら、お釣りになります」
そこへ、完全なる無表情の言葉が邪魔をした。
しかしそれは邪魔でこそあれ、現状打破のきっかけともなったのも事実である。店主は店員から釣り銭を受け取り、私に手渡す。
「またいつか、来てくださいね」
やはりそこには、普段と変わらぬ笑みがあった。
「ええ、いつか」
私はCDが梱包された袋と釣り銭を受け取ると、すぐさま踵を返し、うつむきがちにその場を去った。
店主の視線を、背に感じる。
しかし私は、振り返ろうとはしなかった。振り返ってはいけなかった。
バッグから取り出し、コートのポケットに入れ直したポータブルCDプレイヤーで、さっそく購入したCDを聴く。
緩やかな波。情熱の弦。乾いた声――いつの間にか、私の中の狂人気取りが眠っていたことに気付いた。久し振りでも懐かしい響きを持つスティングの歌と音楽がそうさせたのか、二度と会えぬ可能性が強い店主がそうさせたのか、あるいは、私の心という曖昧なものが落ち着いただけのことであるのか……定かではない。ただ、今の私は、心地好い倦怠感に満ちていた。
倦怠感?
そう、それは倦怠であった。希望だとか夢だとかいう、「新しい日」にそぐう前向きな言葉ではない。しかしそれは確かに倦怠に違いない。職務を離れた解放感、その余韻にも似た心地好い疲れが、今にして私に訪れたのだ。
私は退職を宣言してより、ずっと気の休まることがなかった。新居を探し、アルバイトを考慮し、寮の部屋に関わるすべてを精算し、親をはじめ人間関係を保ち……転居に際して必要とされる、様々にある雑な作業のすべてを、私は三日間で済ませた。それは実に気忙しく、精神を疲労させるには充分なものであった。そこには解放感などなく、職務にも似た嫌気、消化しなければならないという義務感ばかりが先走っていたものだ。
煙草が、やけに肺に染みる。自動販売機で買ったコーヒーも、胃に浸透していくのが解る。全身の細胞に、僅かながら活力が行き渡ろうとしている――やっとだ、私は呟く。
やっと私は、自分を始めることができたのだ。
その呟きとは裏腹に、心というものは、不安を訴えている。今後の自分の身が置かれる境遇を案じ、嘆いている。風は荒涼と吹き、私の頬を強く、鋭利なやすりのようにこすっていく。落ち着くことなどない。私の今後は、よくある物語のように、ハッピーエンドを前提として成り立っている筈もない。それが解っているからこそ、私の躰は震えている。それほど寒くもない季節に、これから訪れる不安に対して不安を抱き、恐れおののいていた。
それでも、私は歩いている。
後ろ向きのまま、前へ歩いていく。
大したことじゃない、私はまた、呟いてみせた。思わず笑みがこぼれる。すれ違った中年の女が咳をしていた。それが狂人気取りを見たためであるのかは、私に解る筈もない。そもそも、私は狂人気取りではなくなっている。それだけは、確かなことだった。狂人を気取り、安っぽいナルシシズムに身を任せることが愚かしく思われていたから。
スティングが、叫ぶようにして歌っていた。
“Turn the clock to zero”
時計をゼロに戻そう、と。
これからどうあれ、私は、新しい日を始めていくのだから。
すべては、秋という名の季節が、させたことである。
(了)