『ロック・ボトム』

Robert Wyatt
“ROCK BOTTOM”
私の知っている人が、会社を辞めた。
知っている人、という表現を使わないとならないのは、私にとってその人が何であるのか、私自身にも解りかねるからだ。友人かと思えば、以前までは親しかったわけでもない。かといって知り合いと言えるほど疎通がないわけでもないし、時々電話もする。でも、恋人にする気も、私にはない。
彼は会社を辞める寸前、私にMDを二枚送ってきた。私はそれを、滅多に聴かない。CDの中身をそのまま録音しただけの、何の変哲もないもの。彼は私への誕生日プレゼントだと言っていたが、それが聴かない原因でもある。私達の中途半端な関係性に気付いているのだろう彼の、その中途半端な状態を思いやったかのようなプレゼント。それを受け入れるということが、私自身に何を意味するかが解らない。彼を受け入れることになるのか、それとも、彼と私の関係性の持続を受け入れることになるのか。
だから私は、そのMDを今でも聴いていない。
そして彼も、そのことに触れない。
だけど私は、彼と電話で話す。
不完全なまま、私達は、しかし安定していた。
その彼の退職は、私に大きな影響を与えた。大学で同期だった私達は、やはり同じ時期に就職した。そして月に一度か二度ぐらい、どちらかのかける電話で愚痴を言い合っていた。大学の頃はたまに話す程度の仲だったが、気が付けば、私は彼に、彼は私に、電話をかけるようになっていた。
淋しさも、あったのだと思う。
私は大学では、自分から進んで交流を求めなかった。それは大学での日々を時間稼ぎの期間だと決め付けているせいもあったが、それよりも私は、面倒だったのだと思う。様々な人間との交流や、その余波、ひいては、恋愛関係にまで発展することが。
そこへくると彼は、私にとって非常に都合のいい存在だった。私に好意を持っているのは明らかなのに、私が望まない限り発展は強要しない。だからこそ私もそれに乗じて、こうして、現在でも関係を続けている。
慰めにも、なってくれるから。
数少ない大学からの友人は、彼に対しては誰しも悪印象だった。意志がないだとか、はっきりしないだとか、そういった言葉で彼を否定していた。そのうえで、彼と少なからず言葉を交わす私に、それをやめるよう強要してきた。
だが、私は強要というものを嫌う。それは友人であっても、教師であっても、喩え上司であっても。彼は私のそれを理解し、追及してこない、唯一の人物だった。だからこそ私は、周囲の否定意見を聞き流し、かといって深入りしない程度に、彼との関係を続けてきた。そして気付いてみれば、私に注意を促した友人達は私に連絡もよこさなくなり、彼だけが、私と連絡を取り合っていた。
彼が退職を決意した日、彼は、私との電話での会話の最中に泣いていた。今までの心情を吐露し、会社を辞める、と言葉少なに漏らしていた。私はその言葉の奥までは、追求しなかった。彼を知り過ぎてしまうのを、その彼に賛同することで自分も辞意を明らかにする展開へ結び付くのを、それぞれ恐れて。
なぜ、怖かったのだろう?
今思えば、幼稚なことだった――私は、自分を愛している。だからこそ私に好意を寄せる彼を憎からず思い、また、不満が多いながらも会社を辞めずにいる。それに対して彼は、寧ろ自分を棄てている。私に献身することや、会社を飛び出すこと、そういった身を削るような行為自体を、彼は愛している。その違いが解らず、私は、彼の愛する対象の不明瞭なことに危惧を抱いていた――つまりは、自分と違う性質のものを、受け入れるだけの余裕がないだけのことだった。
そして彼は、自分の愛を具現化した。
それが辞職であり、私に送ったMDでもあった。しかしそれを聞かされた、あるいは受け取った私は、それを受容することができずにいる。なぜなら、彼の愛と私の愛とは、対象となるものが異なるため、私には、彼の愛が受け入れられずにいるから。
時々、そのMDを聴いてみたくなることもある。現に「スティーリー・ダン」と書かれたMDは一度だけ聴いてしまったが、それきりだった。もう一枚は、誰の何というCDの複製かも解らない。それに確かめようとする度に、躊躇してしまう。
その繰り返しの内でも、彼から私への電話はあった。私もそれを拒否することなく、対応した。
それでもふたりとも、MDについては何も言わなかった。
退職を私に告げてから一ヶ月ほどが経ち、彼は新宿に安い部屋を借りた。私はといえば、そこに行くまで数時間もかかる場所で、やはりその報告を聞くばかりだった。
彼は何度か、私と会いたいと言った。しかし私には、単純に時間がなかった。労働に明け暮れ、他に打ち込むこともない日々は、私から絶対的に時間を奪い取っていった。その生活の中で、私は余裕というものをも失っていた。何かに対する余裕、よく「心の余裕」と言われるもの。それが失くなっていくのが解り、彼からの電話を面倒に思うことさえあった。彼も私のそれに気付いたようで、電話をかける回数が少なくなってきた。
彼が私を思いやるばかりに電話をかけなくなると、私の余裕というものはますます失くなっていくばかりだった。彼の電話が途絶えることで、私には時間が少しばかり与えられる。しかし、余裕という曖昧な何かが不足し、結局は何もしないまま、私は部屋でうずくまっている。そうして気付けば、いつも朝日が昇りかける時間を迎えている。
対象のない不安と焦燥ばかりが、私を覆っていた。彼に聞けば、その対象を突き詰めてくれたかも知れない。しかし私は、それをしなかった。愛するものが異なるふたりの関係性を、このまま、私に都合の良い形で保ちたい一心で。
しかしある日、私はそれを破った。
それは私が、勤め先で同僚とのトラブルに見舞われた際のことだった。余りに重く、酷い生理に対してとっさの休暇を申し出たのだが、同僚はそれを、上司に偽りだと報告した。私の生理休暇はでまかせではなかったし、実際、産婦人科では子宮に何らかの異常が見受けられると言われた。しかし診断書を願い出ていなかったため、証拠もない。そんな折に同僚は、私の休暇について虚偽の密告をしていた。
何もかも、タイミングが悪かった。私の上司は社内で噂に事欠かないほど社員に手を出す。その時のターゲットが私であり、しかし同僚と不倫の恋仲でもあった。その状況に耐えかねた同僚には、私が邪魔だったのだろう。私の休暇が虚偽であるとの報告を受けた上司は、掌を返すように私に対して冷酷になった。誰にでもできる平坦ながら面倒な業務を私にばかり、しかも大量に押し付ける。単純な書類書きとはいえ、その書類が不足すると現在の部署だけではなく、社内全体に迷惑がかかる。だからこそ私は、手当ても出ない残業を義務付けられることになる。その一方で父が入院するなどの問題も重なり、私は、大学病院の精神科の戸を叩くようになっていた。
精神科では、即時の退職を勧められた。しかしそれを武器に上司の説得に向かおうとも、上司はそれをよしとしなかった。そこへは同僚の言伝もあったのだろう。きっと、私についてまたも虚偽の報告があったのに違いない。
そうして私は、誰もを、信じられなくなりかけていた。
そこへ彼を思い出し、電話をかけてみた。
彼は私を、できる限り言葉を選んで慰めてくれた。また励ましてもくれた。その会話が途切れがちなことからも、彼が私を思慮して言葉を選んでいるのが解る。それが逆に、私には苦痛となった。中途半端な関係性のまま、彼に救いを求めている自分を、憎んだ。彼は涙声の私を気遣ってばかりいたが、私は、彼の優しさに涙したのではない。彼に救いを求めていた自分を、嘆いていただけだった。
そして私は、彼との電話を切った。
彼はそれ以来、私を思いやってか、私に電話をかけなかった。
そうしているうちに、半年が経った。
様々な問題も、やがて小康状態を見せ、ずっと保たれている。相変わらず上司は私に嫌がらせとも言える行為を繰り返し、同僚はそれを助長する真似を続けている。ただ幸いにも父は退院し、暴発しそうだった私の精神は、少しばかりの落ち着きを見せた。
精神科では、やはり退職を勧められる。一度診断書をもらい、それをもって上司の説得にかかろうとしたが、受け入れられなかった。どうやら仕事を押し付け過ぎたせいで私は彼らにとって面倒なことをすべてこなす便利な人間となり、また、私に代わる人間がいないままのようだ。
皮肉なことだった。
自分にとって都合のいい存在――彼――を求めていた私は、いつの間にか他の人間にとって都合のいい存在になっていた。その報いとも言える、結果だった。
眠れない日は、続いた。もはや、精神科医にもらった安定剤もさしたる効き目は現してくれない。通常は一錠での服用を義務付けられているのだが、今では三錠ほど服まなければ効果がなくなっていた。朝焼けが昇りかけた頃に、精神的疲労か、それに追従する肉体的疲労のために倒れ込む毎日が続いていた。
そのある朝、私は、ほんの気まぐれから彼にもらったMDを再生させた。
以前聴いた方とは違い、そのMDは憂鬱な音を鳴らす。ともすると、不安を増長させるかのような音だ。しかし私は、膝を抱えたままそれを聴いていた。曲名も知らないそれを。
窓の外を見る。するとそこには、明瞭な朝日は出ていない。薄雲が天を覆い、微光を湛えている。私は窓辺へ移動した。窓を開け放ち、冬になりかけた空気を浴びる。不思議と、寒くはなかった。かといって心地好いわけでもない、中途半端な風が私に吹き付けられる。
一陣の鳥の群れが、天空を横切った。それは矢じりのような形状を保ったまま、私の視界を右へ昇っていき、しばらくすると、反転して左へ下降する。その動作は幾度か繰り返され、やがて、まるで何もなかったかのようにそこには薄雲の広がる空が残っていた。
私は、泣いていた。
何に? それが解らない。淋しいわけでも、悲しいわけでもない。嬉しいなんてありえない。しかし瞳は、私自身にも気付けないほど微量の涙をこぼす。ただ、群れを保てる鳥が、羨ましかった。そして部屋に響く音楽が、私に涙を催した。
私は窓を閉じ、カーテンを閉め、MDのケースを手に取った。その裏面にはシールが貼られており、ただ、こう記されていた。
『ロック・ボトム』
ロバート・ワイアット
私はそれを握ったまま、眠りに就いた。ここ数ヶ月味わったことのない、快適なまどろみだった。まだやり直せる、そう思った。
そのまま眠りこけ、気付いた頃には、朝焼けは夕闇に変わっていた。何度か電話が鳴った気もするが、平日は両親も働いているこの家では、それに対応する者もいなかった。気付けば無断欠勤となっていた。
その翌日、私は、ようやく退職願を受理された。
数日して、私の精神状態も落ち着いてきた。精神科医は、私の退職をぎりぎりのタイミングだと言っていた。あれ以上精神に負担をかけられたら、きっと入院せざるを得なくなっていただろう、と。
精神が解放された私は、退職を報告すべく、彼に電話をした。私から彼に電話をかけるのは、随分と久し振りのことだ。私は彼に、ただ礼が言いたかった。彼が私の救いとなっていたのは確かなことだし、ひょっとすると、彼がくれたMDが私にある種の決断をさせてくれたのかも知れない。それらについて、やはり中途半端な文句だけれど、ありがとうと伝えたかった。
しかし彼は、電話に出なかった。
それから毎日かけても、出なくなっていた。
一週間もすると、電話は受信者不在の機械音を返すようになった。
(了)