『宵待草』

『宵待草』
私は今、孤独であった。
息子もその嫁も、私を非常に丁重に扱ってくれている。だが、丁重過ぎてそこには親しみが感じられない。もともと関自亭主だった私は、息子との間には余り疎通がなかったうえ、その状態のままに嫁を迎えてしまったのがよろしくなかったようだ。そうして私は関白亭主を半ば演じ続け、ほんの数日前に定年退職した今日に至る。
この胸の孤独を感じ始めたのは、いつ頃からであっただろうか。
それは間違いなく、裕美が死んでからだ。即ち、既に十年近くも前のことになるのであろう。それ以来私は習慣だった縁側での日なたぼっこをぱったりとやめた。そうしていると、裕美とよく一緒に縁側で茶を啜りながら雑談を交わしていたことが思い出されてしまう。これは私の心が意図的にそうしているのではなく、半ば反射的に、縁側に座って日光に当たると裕美の私を慕った笑顔を連想してしまうのだ。
それ以来、散歩も滅多にしなくなったように思える。自分自身のことであるのに「思える」と言ったのは決して言葉の綾ではなく、ここ数年の私自身の記憶が実に曖昧なのだ。別段老人痴呆に罹っているわけではなく、数日前に定年退職を迎えたばかりなので気はどの同年代の仲間よりも確かだ。単純に、私が何もしていなかったということなのだ。
退職後の人間が急速に気カを失い、まるで放物線の如くぱたりと活カがなくなると聞くことが多々ある。私も恐らくはその類の失望感、即ち生きる目標を見失ってしまったための脱力はあるのだろう。だがやはり、それよりも裕美を失った時点から私は脱力していたと考えるべきであろう。その折の気の抜けようは裕美の親である息子夫婦より著しく、かつて古い友人に、どららが親か判らないなどと茶化されたことすらあった。
それは裕美が生前の頃から言われていた。裕美は息子をしてお爺ちゃんっ子だと言わしめるほど私によく懐き、私の妻と三人で散歩や買い物によく出かけたものだ。妻が心不全により他界した折には、私より裕美の方が嘆き、泣き、気力を欠いたものだった。今にして思えば、まるで裕美が死んだ際の私のようだ。その妻の供養も終わった頃、裕美はいっそう私に懐いた。息子夫婦は共働きで多忙だったうえに、妻がいなくなった分私に時間の共有を求めたようだ。私は裕美が愛しくてたまらず、しかし息子夫婦にどこか悪い気がしていた。これでは友人がかつて私に言ったように、誰の子だか判らない。余り私に懐き過ぎると本統の親に懐かず、家庭に妙な雰囲気が漂いはしまいかとの危惧が生じてしまうのだ。
私は息子夫婦や妻には関白亨主を気取っていたが、裕美にはまったく別であった。高慢な態度を続けようと思ったところで、裕美の無邪気な眼差しを浴びれば無駄なものだ。たちまち骨抜きになったように目尻を緩ませてしまい、抱き上げれば愛しさの余り抱き締めてしまう。小さい裕美は私の腕の中で決まって甘え、涎や唾の類を私の頬あたりに塗り付けてしまうのだが、それをまったく汚いと思うことなどなかった。
息子には、これほどの溺愛をくれてやったことはない。息子が生まれた頃の私は恥ずかしながら妻と駆け落ちし、苦難の生活を強いられていたのだ。知り合いが住まう長屋のひと部屋を間借りしており、私はそこの間借り代などの折半のために役所勤務と深夜の道路工夫の二足わらじを履いていた。妻も内職と主婦仕事、さらには長屋の主である私の知人の野良仕事を手伝うため息子と遊んでやる時間もなく、夫婦共々それで精一杯だったのだ。殊に体力仕事を終えた私はとても愛情を注ぐ気力などは生み出せず、日が変わってから帰ってきて息子が起きていようものなら早く寝ろと叱り付けるばかりであった。
思うには、息子は恐らく私に愛情を求めて夜遅くまで起きていたに違いない。だが私には、その翌日も朝から役所仕事が待っていたのだ。本来は公務員はその職に徹するよう定められているので、道路工夫での疲れを見せてはいけない。ならば当然、早く寝付いてしまうのが必定であるのだ。
やがて息子が嫁を娶り、裕美が産まれてから私は自分が仕事に徹したことが悔やまれた。息子夫婦に、当時の私と妻の姿を見出したためである。思い返せば、長屋を間貸ししてくれた知人に、息子は私以上に馴染んだ。それは私と妻のふたりよりも知人の方が相手をしてくれたからであり、そう考えれば、裕美が私を慕ったのも当然ではあるのだ。しかし私が仕事に徹していなければ、裕美がこの世に生を受けたかどうかすら定かではない。私と妻が懸命に働いた未に我々は自分の宅を構えることができたのであり、息子への愛欲に溺れていれば未だ間借りを繰り返していたやも知れない。ならば、私の判断は一概に誤っているとは言えないものであった筈だ。
しかし息子夫婦の鬼のような働き振りは感心できない。ふたりは古くなったこの家を新築するために共働きをしているとのことだったが、この家に慣れ親しんだ私としては、その志が理解できない。なにゆえ、そうまでしてコンクリートの家に建て直さなければいけないのだろうか。木材に染みた煙草のヤニや壁に残る猫の引っ掻き傷、息子が端午の節句の度に記した身長の計り傷などは、感慨も何も残さず崩してしまうべきものなのであろうか。私の孤独の念は、こうした郷愁にも似た感慨からも組成されていたに違いない。
息子は、私に初めて抵抗した。反抗期には幾らか私の手を噛むような真似もしたことがあったが、これほどまでに強い志を掲げられての反抗は初めてであったし、私もその意志の強さに沈黙を呼ぶばかりであった。そうして息子が、嫁が、私と時間を共有することも少なくなり、やがて妻が死に、裕美も死んだ。私の孤独の念は、そのうちに蓄積するように募って裕美の死をもって完成されたのである。もはや働く意志をも失った私は、丁度定年を迎えて退職するほかなかった。
今日も息子夫婦はいない。いよいよ新築する段階に踏み込んだらしく、大工や左官屋のような人間との相談に出かけているらしい。私はすることもなく、縁側へ向かった。
久し振りに、本統に久し振りに座った縁側で私は茶を啜った。秋も近くなり、どうやら庭先の草むらでは虫が鳴いているらしい。陽射しの弱くなり始めた夕刻の薄暗さは、私の心に宿る孤独の念をいっそう強めるばかりであった。
こうして縁側に座っていると、やはり自然と裕美のことが思い浮かばれる。心なしか苦い茶、それを裕美はいつも苦い苦いと文句を言いつつ、私を真似て啜っていた。お爺ちゃんよくこんな苦いの飲めるね、と言って眉間を八の字に歪め、舌を出す裕美に私はにこりと笑って言ってやった。お茶のおいしさは大人になったら解るんだよ、すると裕美はふうんと唸り、きまってあどけなさでもって満たした笑みで、私に返事をしたものだ。
「あたしも、早く大人になりたいな」
その願いは、叶えられなかった。
幼椎園に入る寸前になって、裕美は急に痩せ始めた。食事の量も――息子夫婦はそれにも気付かぬようであったが――明らかに減り、笑うと毬のように艶やかに球体を描く頬は栄養失調児のように尖り細った。ふくよかだった腕も筋張って痛々しくなり、何より、抱き上げてみたその軽さに驚かされた。まるで猫でも持ち上げるかのように、たやすく私の頭上まで掲げられるのだ。不断の裕美は私には重いほどで、己れの力の衰えと新世代の暁春との訪れを嫌でも実感させられた筈であるのに、だ。
さすがにこれはおかしい、そう思った私は息子夫婦に裕美の様子を告げた。すると彼らは、裕美の痩せてしまった様にまったくと言っていいほど気付いていなかったのだ。いちいち新旧二枚の写真を引き出させて比較してみせ、ようやくその変化に気付かせることはできた。だが、気にするほどだろうかという類の、気のない返事が返ってきただけである。息子のみにあらず、嫁までも口を揃えてそう言うのだ。そのため私も、不断に裕美に接している私ゆえに気にし過ぎたのであろうという気にさせられ、それ以上は何も言わなかった。
だが事態は、急変を迎えることとなる。
不断のように私と一緒に緑側で座っていた裕美が、血を吐き出したのだ。
その喀血は、私の記憶から死の淵に立った妻の様相を蘇生させた。咳の音は、タ闇に響いている鈴虫の泣き声を突ん裂いては静寂に帰り、また胸の悪くなる響きで虫の昔を隠した。そして後にまた来る静寂を奇妙で落ち着きのないものにしてしまった。
私は働きに出てまだ帰らない息子夫婦の指示も仰げず、これは一刻を急ぐとの独断を下して裕美を担いで医師の扉を叩いた。しかし、時既に遅かった。裕美は彼女を抱きかかえ走る私の耳もとに何やらごそごそと呟いて息をひそめ、がっくりと頭を垂れた。
そしてそれきり、動かなくなった。
あの時、裕美は何と言ったのだろう。
私はそれが、思い出せない。あの時の私はその言葉を気に掛ける余裕もなく、ただ医師のもとへ駆け急いでいた。裕美が動かなくなっても一抹の望みを抱えたまま、走った。
裕美を抱え痛む足腰に、私は痛いほどの悲しみを感じた。俄かに雨が降り出し、私と裕美の躰をまんべんなく濡らした。私が痛覚した悲しみは雨で浄化されるどころか、呼吸を止めた裕美の熱をも奪っていく。温かだった裕美の腕が、足が、私のつかんでいる裕美の躰が、急速なまでに冷たく縮こまっていく。私は雨の中、まるで同化して判らぬ熱い涙でさらに頬を濡らした。途端、今まで関白亭主を気取ることで己れの弱さをひた隠していた自分の弱さを思い知った。強く見せかけることで家庭を統率しようとした己れの愚かさが私を苛み、そして医師のもとへ辿り着いた頃には、私を満たす悔恨の念は私をしばらく動かさなかった。
私の力次第で、裕美をどうにか生かすことができたやも知れぬ。
そう考えると、私は際限なく己れの傲慢振りを恥じた。そして、今までの私を常に支えてきた筈のそれが急激に全身から奪われ――そう、まるで雨に打たれて裕美の躰から熱が奪われたあの折のような急速さで――逆に全身が虚無の嵐で満たされるのを感じた。
今思えば、そこから私は無力となり、虚無の日々を過ごすことになったのである。その虚無はまるで形あるものかのように毎日私にとり憑き、日々苛んだ。そうして最も活力を見出だせていた仕事にも熱が入らず、人が変わってしまったかのように私は無力と化した。無力の塊と化し、単純な楕性でつい数日前まで役所の仕事を続けていた。
仕事がなくなって隠居してからは、まるで虚無ばかり感じている。もし仮に、本統に仮にであるが裕美が生きておれば、この虚無は感じることなどなかったのであろう。がしかし、考えようによっては裕美の死をもって私は己れの無力を認識し、虚無に浸された。とあらば、裕美は死をもって私に人間性をよみがえらせてくれたのである。そう結論付けなければ、私は迫り来る虚無の嵐と己れの無力加減に押し潰されていたに相違ない。
しかし私は、裕美が教えてくれた私自身の弱さを克服することができないままでいた。己が弱さに溺れ、ただ生きることだけを自分に強いてきたこととなる。そうあらば、過ぎゆく日がな一日を虚無に浸るままにいるのは当然のことであろう。
裕美の死は、私にとって自分自身の人生の終焉をも思わせることとなったのである。そして虚無という鎧に自身を包み隠した私は、誰にも笑顔を見せなくなった。心にまで鎧は被せられ、私は、裕美の死を忘れることで己が傷を癒し続けることとしたのである。
夏の夕暮れ、
そこに私は、既に他界している妻と結婚した際、購入した古めかしいゲルマニウム・ラジオを持ち込んでみた。縁側に臨む小さい庭、かつては裕美がはしゃぎ回った狭い庭に向けてラジオは多少割れた音を響かせる。あれは何といったろうか、名も忘れてしまった花が何輪か咲き開いている。尖った葉を持ち、白い四枚の花弁をそよがせる花。その名を思い出そうにも、ジャズが邪魔して思い出せない。ごくごくつまらないそれが鳴り響くラジオの合間から、虫の泣き声が聞こえた。どうやら季節は本格的に秋に向かっているらしい。裕美が短い、ごくごく短過ぎる生涯の幕を閉じてしまった秋に向かって。
だが秋は、裕美の命日と共に私と妻の結婚記念日をも含んでいた。私もまだ三十代の前半ぐらいであった頃の運命的な出会い、あるバーでの出会いが今になっても鮮明に思い出される。
当時から、ジャズが隆盛であったバーにはその日も陰鬱な低音と脳天気な高音とが交鎖していた。この手の音楽を知らぬ私には、そういった響きにしか聞き取れなかったのだ。
好きでもないジャズが氾濫するバーにわざわざ訪れたのは、確か友人との待ち合わせに使っていたためと思われる。役所の仕事を終えた私は酒でも交わそうという段になり、残業をこなす友人に言われ、指定されたそのジャズ・バーで待つこととしたのだ。私は待ち合わせ場所をもっと気楽な飲み屋などに変えてほしいと願ったが、ジャズを好む友人は決してそれを変えてはくれなかった。
カクテルも何も知れぬ私はビールばかりを頼み、カウンター席で友人を待っていた。その登場の遅さに苛立たしくなった私は、既にほろ酔い加滅になっていたに相違ない。そしてまた、膀胱がやたらと張って仕方がなかった。何度も用便に向かったが、そのうちに動き回り過ぎたせいか酔いが回って個室に駆け込み、戻してしまった。胃の中のものをすべて吐いてから、壁際に小さな汚物入れがあるのに気付く。狭く不衛生なジャズ・バーのトイレはどうやら男女兼用であるようだ、吐いてから急に酔いがさめ、そんなことまで気付くことができた。
ふと、床に黒い物を見付けた。
何であろう、冷めた興味で首を向けてみると、それは財布であった。一見して安物と判る合成黒革張りのそれは、やけにスマートなデザインのためどうやら女性のものであると思われた。酸性の粘液が粘つく口もとをぺーパーで拭き取り、吐瀉物と共に流す。財布を拾い上げてみると、軽い。まるで罪悪感も覚えず反射の如くそのジッパーを開いてみれば、そこには五百円札が一枚、姿を見せているだけだ。小銭はあってなきが如し、である。
立ち上がり、悪い気もせずに二枚だけ挟まったカードを見てみる。銀行のキャッシュ・カードと、社員証であった。無名印刷会社の名と女の氏名、そして丸顔で黒髪の女の写真がそれぞれ消え入りそうなぐらいに小さく写っていた。
一瞬、私の心に小さな葛藤が起きた。
これしきの金ならば、とぼけてしまっても罪の意識は比較的小さくて済むだろう。それにカードさえ残しておけば、いつでも貯金が引き出せるだろう。たかが五百円札一枚で取り乱したりはしない筈だ――筈だ、とは言ってみたものの、自分が何をもってそう判断しているのか理解しかねた。筈だという言葉を用いるほど、確証が持てない。何より私自身、それより後には五百円札一枚にも執着するようになったのだから。
短い葛藤を繰り返しつつ、私はトイレから出た。そこから短い廊下を経由し、バーのフロアが広がるぎりぎりの場所で店内の様子を探ってみた。
髭のバーテン、演奏が終わったジャズのレコードを取り替える店員、男三人のグループ、笑い合うカップル、黙り合うカップル、ひとりでうつむいた女……ざっと見回したところで、どうやらこの財布の持ち主は三人いる女の誰かであると考えられた。だが奇妙なことには、私が眺めた社員証と同じ顔の女が見当たらなかったのだ。
誰かが財布を忘れたまま、帰ってしまったのだろうか。いや、それはあるまい。それでは会計を済ませることができないではないか。しかし見当たる人物はいない、この大いなる矛盾に、私の中で良心に反駁していた葛藤が苛妙にさめてしまった。
何を、悩んでいるのだ。
私はバーテンに財布を渡し、席に戻った。何を期待し、何を悩んでいたのか。冷静になってみれば、馬鹿馬鹿しいことであった。吐いてしまった後の急に酔いがさめていく感覚が、私の意識を正常に戻してくれたのだ。
私は少しばかり残していたビールを下げてもらい、なかなか現れない友人がまだ苦闘しているであろうオフィスヘ電話でもかけようかと思い立った。そうして席を立ちかけた時、ひとりの女が私に声をかけてきた。
「あのう」
か細い、今にも消え入りそうな声だった。頬がこけ、どこか暗い雰囲気を漂わせている。いや、彼女が他の客と変わっていたのは、そればかりではない。私に頭を下げて言葉を模索するその両の眼には、つい先刻まではそこに満たされていたであろう光の雫、その残骸が少しばかりバーの微量の採光を得て私の眼に姿を落としていたのだ。
「財布を拾って頂いて、ですが、お金がなくて、あの、お礼もできないのですが」
よくよく見てみると、似ていた。私が拾った財布の社員証、そこに写る人物に。
彼女の涙を確認するや否や、どうであろう。私は不断は他人とろくろく話す勇気もないくせに、涙で化粧がすっかり落ちた彼女に話しかけていたのだ。それも殆どからかい半分の気分と、真剣に彼女の涙の理由を知りたい気分とが入り混じり、妙な訳知り顔になっていた。そして彼女に顔を寄せ、心配気な紳士を気取って話しかけてみた。
「どうか、されたのですか」
そこで私は、気付いた。彼女はさきほど、ひとりでうつむいていた女だ。私が彼女に気付けなかったのは、入社当時の彼女を撮影した社員証と違い、涙の彼女は化粧が剥がれ落ち、さらには悩めるためか丸顔が削られたように痩せていたためであるのだ。
すると彼女は、ことのほか予想外なほど私に己が身の上を話し始めた。今まで交際してきた男性が既婚であって急に別れを言い渡されただとか、そうなると職場仲間でもある彼と同じ職場にはやがていたたまれなくなるであろう、といった事柄であった。涙に暮れている割にはその語り口調は実に物静かで、至極落ち着いていた。ただ彼女が混乱の徴候を見せていたのは、初めて会った見知らぬ私に微細に行き渡るほどの話を聞かせたことだ。彼女は――後に私の妻となった彼女は、拾った財布をわざわざ届けてくれることからも私の物腰が信頼感に溢れていたように感じたと語ったが、私にはほんのからかい程度の姿勢も混じっていた筈なのだ。
だが彼女の話が終わる頃には、私は本腰を入れて彼女に慰めの言葉をくれている自分に気が付かされた。そうして数十分後には、余りに遅い友人を放って彼女と一緒にバーを出ていたのだ。髭のバーテンに友人の特徴を簡素に教え、遅過ぎるので帰ったと告げるよう伝えてはおいたのだが。彼女はなけなしの五百円札でカクテルー杯の料金を払おうとしていたので、その様子を見兼ねた私は代わりに払ってやった。彼女は必要以上に礼辞を述べてきたが、そこで彼女を無一文にして帰らせるよりも気が楽であった。
財布とカクテルのお礼がしたいと言われ、私は夜の界隈を抜け、彼女がひとりで暮らす本造の部屋へ案内された。コーヒーを出してくれた彼女は、私にもっと話をしてほしいとのことではあったが、彼女は――臆せず言ってしまえば――私に惚れていたのであろう。最近の若者ならばまだ話は別であろうが、まだ婦女子の貞操が幾分か重要視されていた頃のことである。その大胆さは、彼女が遠い自宅から離れてのひとり暮らしということも手伝って、私にも幾許かの勇気を与えてくれた。勇気、というのは妙な言葉であるが、要するに、私も彼女の大胆さにすっかり惚れ込んでいたということだ。
四畳半に台所という広くもない部屋には、並んだ無数のレコードと古びたレコード・プレイヤーのある様がまず目に入った。と言うよりも、他には小さい洋服箪笥ぐらいしかそこにはなかったのだ。彼女の財布のことを考えると冷蔵庫は高価であろうから、それも無理はない。だが、その寂れた部屋にレコード・プレイヤーというのも妙な話だ。無論それは安くもなく、当時は我が家などにしてみれば裕福な隣家や友人から借りる方を選びたいという高級品のひとつでもあったのだから。
ラッパ型の管を指差してそのことを尋ねれば、数か月分の給料の大半をはたいて購入したのだという。彼女にとってそれは憧れのような、言わば婦人方が、装飾されガラスの箱の向こうでマネキン人形に着せられたドレスを見て溜め息を吐かされる類の品であったという。それからは歌謡曲でもジャズでもクラシックでも、和洋音種も問わず気に入ったものを購入しているとのことだった。
いろいろありますけど、そう言って彼女が取り出したのは、どこか陰のあるような、そして説得力のある顔をした女が映ったドーナツ盤であった。
「今の私は、これを聴きたいの」
甘い声を浴びせながら、私が持つ黄ばんだカップのコーヒーが空になっているのも気付かず彼女はレコードをセットし、針を下ろした。
彼女は膝を抱えて座り、しゃがれ気味の声までレコードを真似て歌い始めた。夜ということもあって、レコードの音量も彼女の声も小さい。狭い部屋にやけに響き渡るそれを、同じように座った私はただ黙って聴くことにした。
暮れて河原に 星ひとつ
宵待草の 花が散る
ふけては風も 泣くそうな
歌が終わり、レコード針が空回りして小さい雑音をぷつぷつと立てていた。彼女はしばらく、それを放ったままで膝を抱えていた。私も何も言わず、座り尽くしていた。
こうして私は――ロマンティックな言い口をわざと施してみるならば――金を盗まずして彼女の心を、盗むことになったのである。
それから我々は交際を始め、やがて私は彼女を妻として娶った。
長い追憶から、ようやく意識が戻った。
古いラジオはまた、古い曲を流している。どうやら昔の音楽の特集が組まれているらしく、私が彼女の部屋で聴いたことのある曲も、何曲か演奏された。
私と妻の馴れ初めは、私の昔からの友人ぐらいにしか教えていない。親の恋愛話を子が語り継ぐという場合もあるのだろうが、私は決してそれをしなかった。父の威厳にこだわっていた私は、己れの弱みを晒け出しているような気がしてそれができなかったのだ。
だが、裕美には別であった。妻が他界して間もない頃、私はまるでおとぎ話でも聞かせやるかのように、私の下賤な心理描写などを差し引いて裕美にそれを聞かせてやった。すると裕美はその物語に酔い嫉れでもするかのように惚けた表情になり、また私の顔をじっと見詰めていた。
「お爺ちゃん、ほんとにお婆ちゃんのこと好きだったんだね」
どこか、残念めいた響きさえ持って、その言葉は私に返された。その際の裕美の視線は、まるで私と出会ったあの夜、その折の妻の視線のようでもあったことを記憶している。
思うに、裕美はある種恋愛的な感情をもって私を慕ってくれていたのだろう。だからこそ私も裕美を一辺倒に可愛がることができたし、愛することができた。まるで甘い恋でもするかのように、裕美と日々を過ごしていたのだ。そして私と妻の馴れ初めを聞いてそれが叶わぬ恋であると自覚し、己れの無カさを密かに嘆きでもしていたのであろう。しかしそのようないじらしい裕美を見るや、またも私の内部から裕美への愛しき思いが溢れて止まらず、必要以上に可愛がってしまうのであった。
それゆえに、裕美が死の直前に私に囁いた言葉が何であったか、それを憶えていないことが非常に悔やまれる。あの折は裕美を助けたい一心で、その裕美自身の言葉に気を配るゆとりもなかった。ともすると、裕美を救いたく思う愛情の余りに、不断は充分に注ぎ込まれる筈の裕美と私の間の愛情のやりとりをも放棄してしまったのではないかと思える。
愛情が、愛情を相殺してしまったのだ。
だが今の私が、それを思い出したところで何になろう。裕美は、既にこの世にいないのだ。そのような記憶の断片が何の役に立つというのであろうか……そういった一種悲観的な思考から、私は半ばその裕美の言葉を思い出すことを拒否していた。すっかり虚無に包まれた私には、それは意味を成さない。
ふと、ラジオに耳が傾いた。
どこかで聴いたことのある、しゃがれ声。
ついさきほどまで思い出してやまなかった絡まる記憶がいっそう渦巻き、そしてまた、鮮明に妻と裕美の肢体がよみがえる。音声として耳に侵入してきた筈の歌が、明確な文字となって私の脳裏に焼き付いてくる。
待てど暮らせど 来ぬ人を
宵待草の やるせなさ
今宵は月も 出ぬそうな
背筋が、びくんと震えた。
再録音であるようだが、妻との出会い、裕美との別れを私にくっきりと記憶させた、あの「宵待草」だった。
今になって、完全に思い出した。あの折、裕美が息絶える寸前、本統にこの世から他界へと旅立つ刹那に、私に囁いた言葉を。
――お爺ちゃん、大好きだからね。
再び全身が、さも音を立てんばかりに震えあがった。今まで冷めていた、いや寧ろ、私が意図的に、かつ強制的に冷ましていたであろう何かが、急に熱を持って全身に染み渡っていく。頬が、燃えるように熱い。知らず知らずのうちに何かが滔々と頬を伝い、強く握り締めた拳の甲に落ち、粉々になって雫を跳ねる。悲しみとも、喜びともつかぬ情感に支配された表情はやはりうまい感情を見出せず、ただ歪んでばかりいる。
気が付けば、私は泣いていた。
私は自分に、泣くことを禁じていたのだ。裕美の死から今の今まで、私は涙を誤魔化して生き続けてきた。己れの感情を殺し、虚無をまとうことで生き延びてきた。言わば無感情を装うことで人生の賢者か何か、高みに望み誰をも見下す人間に自身を祭り上げてしまっていのだ。そうすれば、生きてはいける。何が起ころうとも感情を放棄してしまえば、楽に、生きることができるために。
裕美は恐らく、己が死を予感していたのだろう。だからこそ私に、この世から去る寸前になって純粋な感情を伝えてくれたのだ。ただ、私だけのために言葉を発してくれたのだ。それはどんなに論理的な弁術よりも、私を感動せしめたに相違ない。ただ、ああ、愚かなるかな。私はその言葉を、自分の感情と共に封印してしまったのだ。
涙の粒が、跳ねては私に飛びかかる。
その熱さに、私は裕美の体温を感じた。あの日私の腕の中で冷たくなっていく裕美、その残る僅かな体温を感じながら、涙は止まった。急速に流れ始め、そして急速に止まった。
何もかも、気付くには遅かった。しかし、気付けただけでもましであろう。私は自身の人間たる部分を切り捨てることで人間として存在するという、悲しい術を手に入れていたのだ。だがそれでは、やはり人間ではない。この私ひとりなど、感情さえなけれぱ、ただの猿(ましら)も同然ではないか。
私は裕美に、甚大なる感謝の念を抱いた。人間たる私を人間せしめる裕美に、偉大なる思いを募らせることで精一杯だった。
もし仮に、裕美が生きていれば、
私は恋人や母を思うように、抱き締めることができたであろう。
やがてそのまま、夜の幕が訪れた。
待てど暮らせど来ぬ裕美を、とうに人生の宵を迎えてしまった私は、こうして未だに待ち続けている。曇り空にひとつだけ輝いている星、私の記憶に生き続けている裕美を連想させるその星を見ていると、一陣の風が吹いた。まるで人間が泣くような悲しげな音を立てて、風は庭先の名も知らぬ花、いや――涙の熱さを受け入れ記憶の封印を解いた私はその名を思い出した――月見草、私が裕美の死を悼んで栽培し始め、息子夫婦が育成を続けてくれていたその花弁を数枚、散らして。そして運び去りもすると、音もなくやんだ。
私の涙は、既に枯れている。
今宵は月も、出ていない。
(了)