はじめに:筆者のスタンス
〜3種類のプログレ〜
「プログレ」とひとことにしても、その鑑賞法は人により異なる。それによってリスナーの表現スタンスや、追い求めていく対象も変わっていく。
以下の3タイプがその主たる例であろう。
1.「音響派」
こと原音に近いものを追求したり、快適さを求めたりと、音の状態にこだわる人々。私などはこの特質が非常に欠けていて、音の違いを聴き比べるなどヴァージョン違いやライヴ盤の音質程度でしかできない。それを、この人々はプレス違いなど細かい点で聴き分けられるのだから驚異的である。イーノがアンビエントにこだわったのは、彼自身が音響派なのではないかと思う。
2.「トリップ派」
少ないようでいて無自覚のうち、誰もが体験しているであろう音楽による陶酔感を追及する人々。音響派とも繋がるところがあり、いかに「気持ちいい音」を探すか、あるいは「音による気持ちいい状態」を作るかを求めていく。カンタベリー音楽やジャーマン・ロックなどはこの傾向が強いのではなかろうか。一時期のフロイドなどもそうであるかも知れない。安易にドラッグに手を出す者も多いのだが……。
3.「思想派」
厄介なのがこれだ。歌詞から文学性だの哲学性だのを読み取り(または無理に捻り出し)、プログレを神棚に上げる人々(場合によってはギターの音ひとつにも意味合いを求めることもある)。ロバート・フリップ信者などにそれは顕著であろう。大概はその行為が尊いと信じて疑わず、音の違いなど気にもしない。
私がどれに所属するかと訊かれれば、極端な話、どこにも属していないのだが、特質は一応「思想派」に多く注がれているかと思う(一時期トリップ感にこだわっていた頃もあったが)。
しかし、呆れられる前に言っておきたいのは、私はその行為が「生悟り」でしかないと自覚していることだ。私は、幾ら曲の高尚さを訴えたところで、それは「曲が生み出した影響力」の一結果でしかないということを認識している。いるだろう? ロバート・フリップを神と信じて疑わない輩が。そういった行為はフリップが嫌がっているにもかかわらず――何度、彼がキング・クリムゾンがプログレという範疇で語られるのを否定してきたことか!
そんな「ていたらく」であるがゆえに、様々な候補を作った中から当サイトには「KENの生悟り」というタイトルを採用した。よって、このサイトに記されていることは、私の考えていることを提唱しているだけでしかなく、その考察を強要しているわけではない、ということを念頭に置いてから読んでいって頂きたい。それが方法論のひとつに感じられず、強制じみて聞こえたならば――あなたは「自覚していない生悟り」なのかも知れない。自分自身や、自分の考えを必要以上にプライドで塗り固め、それを絶対として疑わないか、私ごときの文に劣等感を受けてしまったか……それは高慢/卑屈のいずれにせよ“complex”でしかないのだ。せめて、私の言うことを笑い飛ばせるぐらいの余裕でもないと、当サイトはあなたにとっても、私にとっても害となりかねない。
こうでも書いておかないと、恐らく苦情メールが絶えないだろう。便利と不便はいつになっても表裏一体のものである。