28.細かな表記に気を配る

〜「常識」を忘れようとしていないだろうか〜

 表記が、曖昧になってきている。
 それもひとつの表記でなく、様々な表記が、だ。
 本稿では、「そこまで言わなくたっていいじゃぁん、俺ら本気じゃねぇから」という薄甘い表現者気取りに対する警句として、それを記していきたい。
 せめて、少しでも、綺麗な日本語を……。


「ナカグロを使うべし」

 最近、ナカグロをあえて使わずスペース空けやそのまま詰める「流行」がある(本文執筆時)。喩えば日本のバンドでも「ラルク アン シエル」「ロードオブメジャー」などが見られる。
 これに私は、言いようのない哀しさを覚える。「常識」だった筈のナカグロが、もはや「古臭い」ものとされてしまっているのだ。
 お陰で、素人三昧のウェブ上を見よ。「ピンクフロイド」「キングクリムゾン」「エマーソンレイクアンドパーマー」「ジャンリュックポンティ」……息苦しいったらありゃしない。
 元来、ナカグロは言葉を「区切る」ためには必須だった。単語間の区切りを示すために必要だった。ところがそれを抜くのがカッコいい、という妙なブームが現在、発生している。
 だが待て。
 喩えば「ジャズ・ロック」では「ジャズ+ロック」という意味合いになり得るが、ナカグロを抜いて「ジャズロック」とするとそれで一単語、ねぇよそんな単語、ということになる。今まであったか? 「プログレッシヴロック」などとだらしなく続ける「紙面」が。あったかも知れないが、それはアマチュアリズムに則った書き口であり、プロフェッショナルな冊子は「・」を配していた(いる)筈だ。
 言葉を区切る、というのは、意味を拾っていくうえでも重要な要素だ。ナカグロを抜いた英文を作ってみよう。
“Johnwetton is progressiverockmusician”
……英語のテストだったらよくても三角、というよりほぼバツである。
 この「ナカグロ抜き」が「音楽の表記上での幼児化」しているように見えるのは、筆者だけだろうか。


「“v”を統一すべし」

 よく、表記統一が成されていないサイトや冊子では、“v”の不統一が見られる。「ブ」とするか、「ヴ」とするかが曖昧なままなのだ。
 喩えば筆者は、それが“v”であるのを尊重して「レヴュー」や「インタヴュー」と表記している。これについては「レビュー」「インタビュー」の方が一般用語なので、それを用いてもよろしいのだが、そうなると「v」の不統一になってしまう。そのため、多少違和感があっても「レヴュー」「インタヴュー」の語彙を使っていきたいと、筆者は考えている。
 しかし、現在のアマチュアリズムにおかされた紙面やウェブ上では、その使い分けを「なんとなく」にしている人物が多い。いっぱしの文章を書きたければ/いっぱしの文章に見せたければ、せめて「ヴ」の統一ぐらいは行っていきたい。そういった意味で、私は雑誌『ストレンジ・デイズ』には好感を持っている。


「それは“v”じゃない」

 日本のあるCDメーカーが、徹底して“of”を「オヴ」とひらいている。
 これは明らかに間違いである。「ヴ」は英語では基本的に“v”に使うのだし、何より“of”は「オブ」とひらくことが定着している。なのになぜか、そのメーカーは「オヴ」をやめないのだ。
 そのせいなのか、最近はおかしな「ヴ」をよく見かけるようになった。
“debut”だから明らかに「ブ」音なのに、「デヴュー」とひらくもの。“tribute”だからやはり「ブ」音なのに、「トリヴュート」とひらくもの。とかく「ヴにしておけば何となくカッコいいじゃん?」という軽いノリで表記が乱されてしまっている。
 ここまで解りやすく言ったのだから、もう私はおかしな「ヴ」を認めない。
 それは本当に「ヴ」なのか?


「人名は商品名になぞらえるべし」

 人名の読みが、人によってマチマチになっていることが多々ある。素直に読めばいいものを、その人なりの「つまらないコダワリ」でもって奇妙な読み方をすることがよくある。
 その中でも、代表格は“David”だろう。これは通常に(=“David”名義商品の流通している最も多いカナひらきに則って)読めば、「デヴィッド」が一般的だろう。ところがそれを、「デイヴィッド」「デービット」など……様々に「うまくないひらき方」をしている人が多い。こと後者の「デービット」など、最後が“d”であるのに「ト」としてしまったりする。これは実際によくあったことで、かのデヴィッド・シルヴィアンも「デヴィット・シルビアン」という謎のひらき方をされていたことがある。
 最も流通している表記に、合わせようではないか。素直に。
 そりゃあ「こっちの方が正しいんだ!」というのであればわかるが、おおよそ勘違いか間違いであることが多い。それにぶっちゃけた話、英語の読みを日本語で表すには限界があるのだからね!
 さて、「デヴィッド」に関して、もうひとつ例がある。
 とある、校正が明らかに手抜きなピンク・フロイドの単行本に、『デヴィッド・ギルモア』というアルバムの紹介があった。しかしその冊子では、“David”を「デイヴィッド」と訳し通す、と宣言までしてしまっているので、「デイヴィッド・ギルモアの『デヴィッド・ギルモア』」というおかしな現象が起こっている。やはり、通称に合わせるのが無難ではないだろうか?


「 「 」と『 』を正確に」

 馬鹿げた、非常に常識的な話だが、何でも二重鍵括弧にしたがる人がいるので……アルバム・タイトルや雑誌名、映画や番組のタイトルなどには『 』を使用する。曲名や人名、台詞、強調部分などには「 」を使う。


「まとめ」

 以上の点をまとめると、以下のような例ができあがる。

× マイルズデービス「カインドオヴブルー」
マイルス・デイヴィス『カインド・オブ・ブルー』

 本稿を、非常に幼稚で馬鹿馬鹿しいと思われる方もおられるだろうが、これらが多く成されていないのが現在の「表現」分野である。ネットを見よ。インディー雑誌を見よ。それら「簡易的表現」ではこれらがまったく貫かれていない。それを嘆くより早く、蔓延しきってしまう前に、これらを言っておきたかった……というのが、私の本音である。
 以上で、「細けぇコト言うなよ爺臭ぇな」という本稿は終わる。