19.自称「マイナー嗜好」の欺瞞
〜恰好付けで音楽を聴かぬよう〜
よく「自分はマイナー嗜好だ」「自分はマニアックだ」と公言する方がおられる。
これに私は、首を傾げたくなる。喩えばプログレであれば、クリムゾンやフロイド、イエスなどの「本流」をわざわざ無視して、その影響の末にあるB級サイケデリック・バンドや名も知らぬシンフォニック・バンドを好むというのだ。
では訊こう。
「あなたが、それらのバンドから受け取ったものは何?」
無論、それがないとは言わないし、その人の音楽的嗜好は否定しない。だがよほどスタンスが違わない限り「本流」の方が得るものが多い、というのは世の常であり、音楽のみならず多くの事象でも当然のことわりである。なぜならマイナーなものの殆どは、メジャーなものからの影響で成り立っているからだ。喩えば初期マリリオンに耽溺するより、まず初期ジェネシスを聴いてみるといい。クリアライトを楽しむばかりでなく、イエスと聴き比べて検証してみるといい。彼らが、そうした本流の影響下にあったことを認めてしまえれば、良かれ悪しかれ楽しみ方も増え、得るものも増大するだろう。
それ以前に、その「マイナー嗜好」の発言には、どうにも本人の音楽的嗜好以前に、知識・情報あるいは自信・認識のなさを覆い隠すスタンスが見え隠れする。本流を知るのは当然のことだから、話題にもならない。なったところで各人のリスニング・スタンスが異なるだけだ。だったら話題にのぼらないマイナーなバンドを持っていた方が「偉そうに/音楽を知っているように」見られるのではないか? という姿勢が。
これを私は、大いに危惧している。空っぽの自分を脚色するために、虚飾ばかりを羽織っているように見えてしまうのだ。しかしそれは勘違いと言わざるを得ない。本流の水、その味を知らずして副流の味を語ることはできないし、できたところで、感想文程度で終わってしまう。樹木の根幹を見ずして、その枝振りや葉ばかりを眺めるのと同じである。
こうした「マイナー嗜好」が、さらに中古盤の高騰を助長するのは周知の事実だろう。ことイタリアもののプログレ、ジャズ・ロックなどはキング・レコードがCD化して再販を重ねる以前には恐ろしい値段が付いていた。アルティ・エ・メスティエリのファーストや、ムゼオ・ローゼンバッハなどが最たる例だろうか。しかし彼らもソフト・マシーンなり何なりの影響下にある。つまりは、その影響源を聴いていないことには、彼らが影響源から何を受信し、取り込み、そして自己の表現としていったのかが解ることはないのだ。
しかし値段というものは絶対的な側面を持っていて、それが高ければ高級なもの、というイメージが付き纏う。そこへきて知る人が少ないという現象が拍車を掛け、それを持っている自分は音楽に対する理解がある、という錯覚をしてしまうのだ。しかも「ジャンルとしてプログレ」であった日には、大層な家宝ともなるだろう。
そんな事情を打開するために、私は、紙ジャケになどこだわらなくともいいから、再販を重ねてほしいのだ。品物がないからこそ値段が高騰するというのは「神の見えざる手」の例を出すまでもなく当然のことであり、品物さえあれば値段は落ち着く。そして正当な評価もできる。無論レーベル間の問題や版権、版元などの都合もあるだろう。しかしそれが解消されない限り「何となく恰好が付くマイナー嗜好」をよしとする人間が溢れるだろう。
ひとつ、面白い話がある。
塾講師をされているある方が、生徒と音楽の話をしたそうだ。すると生徒は、ある日本人DJの名前を挙げ「あの人は世界に10枚ぐらいしかないレア盤を持っていて、それをクラブでかけるからすごい」と発言したのだそうだ。これこそ「何となく恰好が付くマイナー嗜好」及び「高騰化に踊らされる現象」が蔓延している証拠である。低年齢層にまでそれは確実に広まっており、まして中身の演奏部分など評価になっていないのだ。
そういった意味で、私は、昨今のプログレ系統の音楽が再販を重ね、支持層も広がっているのが嬉しい。一時期はマイナーな音楽であり、自身のプライオリティであるかのようにして聴かれたプログレが、ある程度語れる音楽になったことが。確かに選択肢は無限とも思えるほど広がってしまったが、その中から自分の聴きたいものを抽出するのはリスナー自身に委ねられて当然の作業である。「どれを聴いていいか解らない」などという、甘えのもとにある発言だけは、なるべくしないようにしたい。自身にとって未知の領域であるのならば仕方がないが、本来は、流れを自分で読み取って聴きたいものを選択していき、理解度を増していくのが当然であったのだから。
いろいろと聴いていって、そのうえでB級サイケなりフォークなりが好きになるのであれば、それはあなたがちゃんと自分の聴きたい音楽を見付けた証拠だ。しかし、その聴き進む作業を放棄し、最初からマイナー路線を突き進むのとでは、まるで意味が違う。大して聴いていないのに「マイナー嗜好」と自称するのは勝手だが、あなた自身の底の浅さを明らかにするだけだ。生まれて20年も経過していない人間に、老人の人生そのものを否定できる権利などない。「生悟り」を「悟り」であると勘違いしないようにしたいものだ。
だからこそ、考えるほどに不変の「英国五大バンド」は未だもって偉大であり、ビートルズは永劫不変に評価の対象たり得るのだ。
などということを、本文中にあるアルティ・エ・メスティエリのファースト『ティルト』を聴きながら考えてみる。
そして私は、セカンド『明日へのワルツ』の方が好みであるし、演奏力も上であると評価する。
一度、あなたが「マイナー」と標榜するミュージシャンの作品を聴き比べて考えてみるといい。