17.私が「街かどの歌うたいモドキ」を嫌う理由
〜根底にある「依存」による「甘え」〜
最近、だいぶん下火になってきたかと思えば、それでもしつこく流行っている「街かどの歌うたいモドキ」――私は、それをひどく嫌悪する。
ドキュメント・バラエティ番組で脚光を浴びた「Something
ELse」に始まり、やがて現れた「ゆず」によって決定的になったその流行、それには様々な「腑に落ちない嫌悪感」が存在する。いや、メジャー・シーンで活躍する彼らは問題ではないのだ。それだけの技量なり何なりを、それなりに持ってはいるのだろうから。
問題は、それに憧れ、真似て街かどで歌う連中だ。
「ストリート・ミュージシャン」とは都合のいい言葉であって、現実には、彼らは先人の真似をしているだけに過ぎない。いや、もっと言い詰めれば、「ゆず」の真似をしているだけに過ぎない。もはやボブ・ディランがギターの神様と言われる時代は終わってしまったのだ。
楽曲群も、他ミュージシャンの「面白いと思うところ」を抽出し、余りを自分で埋めたものばかりだ。それを「影響」と言い、「パクり」であることは決して認めない。
まずこうして、オリジナリティがない。
さらに彼らは「愛」と「夢」からくる「希望」ばかりを歌っている。信じていれば、頑張ればいつか報われるものなんだ、と……。様々な「街かどの歌うたいモドキ」がいるが、その歌詞はすべて一緒だ。大意はまったくもって、それだけでしかない。私の敬愛するSIONのように「残飯つついて暮らしてた」だの「畜生、ブッ殺せ」だのという歌詞は出てきやしない。よくできた仮想の夢世界ばかりを描き、まるで現実感がない。理想郷ばかりを夢見て、そこに佇んでいるかのように。
また彼らは、一着数万円のシャツを着て、ヴィンテージ・ジーンズを履いて、テクもないのに高級なギターを抱えている。とにかく目立ちたいから必ず人の多いところでしか演奏せず、雨が降れば現れず、またいつも終電までには「家」に帰る。帰って親から叱られても「俺はアーティストになる」などと言う。そんな連中が大半である。彼らが「希望の歌」をうたうのだ。
そう、リアリティもないのだ。
そんな連中が「愛」とやらを歌う。
スネかじりが「夢」の説教をする。
依存者が聴衆に「希望」を与えてくれるのだそうだ。
これらは、まったくもって「感情移入」に他ならない。聴衆は彼らの歌に、常に自分を投影する。頑張っても報われない自分を、その報われない理由が自分にあることを棚に上げ、悲劇の主人公になぞらえるのだ。まるで泣くことを前提に「感動大作!」と銘打たれた映画を借りるように。
聴衆は、ポジティヴになりたがっている。しかしひとりではその方法も解らず、ましてや方法を探そうともせず、ただ歌詞に心酔し、涙する――本当はひとりで歩けるのに、歩けない振りをして、背中を押してもらいたがっているのだ。
根底にあるのは「依存」と、それによる「甘え」だ。
パフォーマーもその歌詞もその聴衆も、すべてが他者に依存している。そうして「ポジティヴ=善」という解りやすい誤解のもとに、依存をよしとする。常に依存しているから、絶望など歌詞にできない。
もしポジティヴなものがすべて奪われたら、彼らはどうするのだろうか?
ネガティヴな歌詞や曲のひとつを、書けるのだろうか?
まあ、書けたところで相変わらず「僕が」「君を」「僕らは」などという、定型文ばかりが曲を覆うのだろう。そして「愛」や「恋」という言葉が必ず出現する。一度はそれらを用いずに書いてみてほしいものだが……。だからこそ、誰の歌でも、どんな歌でも、すべて同じに聞こえてしまう。誰かに似たフレーズに、誰もが書く歌詞。「日常の風景」ばかりを書くことしか能のないソング・ライター。「歌の非日常性」をまったく認識していないパフォーマー。
言い詰めれば、お前の話を俺に聞かせても解んねえよ、ということになる。
結局は、すべてが自己満足に落ち着いてしまっているのだ。殆ど中学生のクラブや部活と同じ程度である。
まあ仕方がない。人生経験も音楽知識も未熟なパフォーマーが、やはり未熟な聴衆に依存することを前提に書く歌には、クオリティさえもないのだから。
いや、寧ろこう表現しておこうか。
彼らは「歌を書」くのではなく「歌で掻」いている。
私の好きなデヴィッド・シルヴィアンやデヴィッド・ボウイ、さらに言えばジム・モリスンなども、確かにナルシシストではあった。自己陶酔はしていたし、自慰的行為もしただろう。しかし彼らのそれは「上昇するための」「創作に向けた」などの、ポジティヴな意味が備わっている。だのに、連中のナルシシズムは、単純な自己陶酔に終わる。生産性がなく、ただ泣き濡れて自分を好きになるだけ。未熟な自我を肥大させるだけだ。
パフォーマーの自慰的行為を眺め、自分を慰める聴衆。
マスターベイションに次ぐマスターベイション。
それを駅前で見せられても、通行の邪魔になるだけだ。
奨励している場合じゃないと思うのだがね、柏市長?
……ところで、
あんたの言う「愛」って何だい?
醒めた人間には、お決まりの言葉じゃ説得力さえもないぜ。
ああしかし、今回の文章は、自己嫌悪の対象だ。