16.顰蹙のクラウト・ロック講座
〜無意味なようで意味付けなら幾らでも可能な音楽〜
「顰蹙講座」第2回目である。
まさか前回の「顰蹙のカンタベリー講座」を書いた時点で次があるとは思わなかったので書かなかったが、ひょっとすると今後も続くことさえ考えられるので、ここで改めて「顰蹙講座」の前提を書いておかねばなるまい。
この「顰蹙講座」は、毎回「顰蹙の○○講座」というタイトルを採るが、その場合大体にして、私は「○○」というものを知らない。好きではあるが、決して「知っている」なとど言うには顰蹙モノの情報しか持っていない。しかし、敢えてそれを書いてしまうのだ。まったく知らない方にでも興味を持ってもらおう、という意志のもとに、敢えて己れの無知から知を搾り出す講座なのである。
だからこそ「顰蹙講座」であるのだ。
そして無論「ブリティッシュ・ロック」をたった1回の講座で語れるわけがないように「クラウト・ロック」も語り尽くせやしないし、そのうえ私自身の理解力も曖昧であるので、今回は言葉の意味を中心に探っていくこととする。こうして「まずは外郭を探る」ことの意義を見出して頂ければ幸いであり、これを機会に音楽そのものに触れてもらえればさらに嬉しい。
前置きはここで終えよう。
さて、今回は「クラウト・ロック」である。
決して「ジャーマン・ロック」ではないところが曲者である。なぜなら現在の日本に於いて「ジャーマン・ロック」は「ユーロ・ロック」と同じく、言葉の上からはその定義が広く取れるくせに、一部分ばかりが前面に出されている。そう、「プログレ的」な側面ばかりが。そして「プログレ的」ではないロックはそれになかなか含めてもらえないか、プログレたりえる要素を捏造されて「売り物」にされたりする……実際には、ドイツ人がロック音楽を演奏すればそれは「ジャーマン・ロック」となる筈なのだが、プログレを中心に聴いている人間には、どうにもその2語の間に「プログレッシヴ」という言葉が大前提として見え隠れしている傾向があるのだ。
この場合の「プログレッシヴ」とは非常に広義で、そこには実験的要素も、サイケもアヴァンギャルドも含められる。つまりは最近の「プログレというジャンル」すべてを意味するのだ。
それに対して「クラウト・ロック」とは何か?
こちらは明らかに「ジャーマン・プログレッシヴ・ロック」の色合いを持つ言葉だ。そのうえで英米にはカンやファウスト、ノイ! といった、サイケ/アヴァンギャルド色の濃いバンドばかりが紹介され(これは既に英米では「普通」となったシンフォ系を今さら紹介しても売れやしないためだ)、名を知られ、こんにちまでその音楽が残るようになった。そうした音楽ばかりが輸出されていったため、ドイツ即ちサイケでアヴァンギャルドなロック、という誤解が生まれていったのだ。そして残ったそれらをして「クラウト・ロック」と呼ぶようになった。
突き詰めると「クラウト・ロック」とは即ち「ジャーマン・サイケデリック・アヴァンギャルド・ロック」とでも言えるだろう。
だからこそクラフトワークは「クラウト・ロック」とは呼ばれないし、クラウス・シュルツェなどはどちらかと言うと「ジャーマン・ロック」と呼ばれているのではないだろうか。
しかし、そうしたぼんやりとした雰囲気はつかめるが、その内実までは解らない。「ジャーマン/クラウト」をゴチャ混ぜにして使用する、または個人の好みによって使い分けているのが現状だろう。しかしそれは日本だけのことで、英語圏などではドイツ・ロックであれば“German
Rock(Kraut Rock)”と紹介することさえあるのだそうだ。その意味はほぼ同じようである。
さて、日本に於けるジャーマン/クラウトの違いは大体解った。それではその「クラウト・ロック」の語源とは何か?
それを探るうえでは、この言葉を「クラウトロック(1語)」としてとらえるか、それとも「クラウト・ロック(2語)」としてとらえるかが問題だ。
一般的には後者のように「・(ナカグロ)」が付いて2語で書かれているが、その場合であれば何ら問題はない。辞書の定義通り「ドイツのロック」というだけのことだ――が、気を付けねばならないのは、この“Kraut”という英語は侮蔑的な響きがあることだ。日本人がアメリカ人を「アメ公」と呼ぶのと、もしくは逆にアメリカ人が日本人を“Jap”と呼ぶのと同じで、言わば「ドイツ野郎」という訳でもできようか。
つまり極論すれば「価値もないくせにロックなんかやってるドイツ野郎の音楽」という響きがあるのだ。全国共通後にされるべしと叫ばれる英語、それを話す英語圏の人間には、英語こそ言語である、という姿勢が見え隠れする。無論、英語を話す全員がそうであるわけではない。しかし「他の国の言葉なんか知らねえよ」という態度を示す人間が多いことは明白だ。
だからこそ、英語で発展したロック音楽をドイツ人が演ることなど、英語圏の人間からすると価値もない、どうせくだらないものだ、という前提があるのだ。だからこそ「ドイツ野郎の」ロックとなる。
しかしそれはドイツのロックが黎明期であった頃のことで、単なるジャンル付けの一言葉となった現在ではそういった響きはない。「ブリティッシュ・プログレッシヴ・ロック」と同じように「クラウト・ロック」と呼ぶ。それだけのことになっている。
と、ここまでは飽くまで、私の推論である。
しかしその“Kraut”を英語ではなく、ドイツ語としてとらえてみるとどうなるのか?
ドイツ語での“Kraut”は日本語で「香草」と訳され、英語では“Harb”となる。つまりは「香草的ロック音楽」となる――わけではないのだ。ハーブの「葉ッパ」はどんな匂いがするか? 「クスリ」臭いだろう?
クスリ、
そう、マリファナである。
つまり“Kraut Rock”は「ドイツのロック」を意味すると同時に「マリファナやクスリでブッ飛んだロック」の意味を秘めているのだ。
そこへきてナカグロなしの「クラウトロック」とは何か? これはあるクラウト・ロックの曲名であるのだ。キング・クリムゾンがプログレッシヴ・ロックを確立し、ソフト・マシーンがカンタベリー・サウンドの祖となったように、クラウト・ロックにも中核となるグループがあるのだ。
そのひとつが、ファウストである。
ファウストの第4作“IV(オリジナル邦題:廃墟と青空)”は、言わば彼らのピーク期の作品である。今まではまるで整合性のない混沌のように見えて、実は奥深く計算されている初期作品群、そのターニング・ポイントともなる一作だ。それは古巣であるヴュンメを離れ、イギリスはヴァージン・レコードと契約を結んでの第1作であることもあり、それまで以上に整合性が取れている。これは彼らの表現対照がドイツの廃校で鬱蒼とハイになる自分自身から、リリース数さえも契約される世界へ変わったからだろう。つまりは、それまでの3作よりもポップで(と言っても彼らの「ポップ」だから充分にひねくれているが)聴きやすくなっている。そしてそれまでコーディネイターとして影でファウストを引っ張っていた/操っていたウーヴェ・ネッテルベッグが作品発表を巡っての対立によりバンドから離脱し、活動停止に追いやられてしまうという墓碑的作品でもある(後に復活したのは周知の通り)。
その“IV”の1曲目が、まさに“Krautrock”というタイトルであるのだ。
そしてファウストを信奉していた連中はその曲を標榜し、彼らを「クラウト・ロック」と呼んだのだろう。ファウストはクスリとの関連性は薄いようだが、しかし「クスリでブッ飛んだようなロック」であることには違いない。間違いなく、ジャーマン・トリップ音楽の中核である。
そうして、ファウストの「無意味なようで意味付けなら幾らでも可能な1曲」はジャンル名として使われるようになった。
「無意味なようで意味付けなら幾らでも可能な音楽」のジャンル名に。
この「クラウト・ロックの語源」を踏まえて、もうひとつ重要な言葉がある。それは特にノイ! に代表される「ハンマー・ビート」という独特のビートである。
これはよく「頭打ちビートの反復」と説明されるが、それだけでは実際のところ、まったく解らないも同然だ。しかし「ハンマー・ビート」と呼ばれるものを聴いてみると、確かに、共通したものがある。単一のビートを延々と繰り返しドラムが叩いている、ベースが弾いている。そこには卓越したテクニックは必要とされず、オカズやチョッパーも要らない。ただ機械のような正確さだけが要求される……。
人間が機械(リズム・ボックス)のようにビートを刻むこと、
それが「ハンマー・ビート」なのではないだろうか。
これには別の意味合いもあって、その名の通り「ハンマーで頭をガツンとやられたようなビート」という解釈もあるのだが……さて問題だ。ハンマーで頭をガツンとやられたら、どうなるか?
星が飛んで、意識が飛ぶ。
そう、これはトリップ状態を意味してもいるのだ。この場合の「ハンマー」とは飽くまで比喩であって、それがクスリであっても構わない。寧ろクスリでトンでいる状態をハンマーでの衝撃になぞらえた言葉であるのだ。
それを導き出すのが、ランナーズ・ハイにも似たトリップ効果さえある単一ビートの反復。
つまり「ハンマー・ビート」とは「トリップ効果をもたらす可能性のある人造打ち込み」ということにでもなるだろう。
さあ、それらを踏まえて「クラウト・ロック」という名称の生みの親であるファウストに目を向けてみよう。
そもそも、ファウスト――いや、ドイツ語の“Faust”とはどういった意味か? ゲーテの戯曲の主人公の名前? それは確かに正解ではあろうが、ゲーテさえも主人公の名に採った“Faust”そもそもの意味を見よ。
拳、
そして彼らのファースト・アルバムに映し出された手のレントゲン写真は、拳を握っている!
拳とは、闘志を剥き出しにするなど、何らかの自覚的意志の現れである。そして大体にして拳は殴るために握られる。握った拳で頭をハンマーのように殴る……
今、点と点が、線となった。
これらが偶然の一致であったとしても、見逃すには惜しい一致である。
つまりは「クラウト・ロック」とは「トリップの可能性もあるドイツ産サイケ/アヴァンギャルド・ロック音楽」であり、またファウストそのものでもあるのだ。
因みに、音韻が似た“Clout”という単語は「殴る」という意味がある。そこへきてクラスターが頭文字を“K”から“C”に変えたことがある、というのも偶然とはいえ、面白い一致である。
サイケの延長上にあるトリップ性、
そこへ絡まるアヴァンギャルド性、
それらを包括する「クラウト」というひとこと、
さらにトランス効果を倍化させる「ハンマー・ビート」、
これらすべてを含む「クラウト・ロック」、
その本質は「トリップの可能性もあるドイツ産サイケ/アヴァンギャルド・ロック音楽」……
……などといろいろ考えながら、いろいろとシリアスに構えて聴いていたのだが、すべての答えは、意外なところにあった。
ラ・デュッセルドルフの『ヴィヴァ』である。
ここには、一聴して「馬鹿だなぁ!」と思わせる音が詰まっている。とにかくタイトルの通り歌詞は「万歳!」ばかりで、曲調など徹底して能天気なハンマー・ビートだ。飽くまで能天気に、飽くまで明るく。
それだ!
と、私は叫んでしまった。ドイツの連中は、何よりも音楽を「楽しんで」いたのだ。ドラッグであれ、馬鹿さ漂う能天気なビートであれ、機会音の渦であれ……決してシリアスになり過ぎず、ユーモアをもって。またシリアスを極める際にはそのシリアス自体をも楽しんで。今でこそ哲学的だとか瞑想的だとか叫ばれるジャーマン・トリップ音楽なども、だからこそ、当事者達は何も考えずに演奏していただけ、としか言わない/言えないのだ。
楽しくて、何が悪い。
ゲルマンの深い森にあるのは「プログレでなきゃ聴かない」という頑固な、しかし偏狭なスタンスを保っておられる「プログレ馬鹿」であるかどうか、あなたを試す音であるのだ。本当にロックを、音楽を、「楽しんで」聴いているのかどうか。
真剣になり過ぎず、しかし音楽を楽しむ姿勢。
それが、ドイツにはある。
余談となるが、今回の「顰蹙講座」は当サイトの掲示板にてドイツの音楽が話題にのぼった際に、むざむざと捨て置くにはもったいない意見が多数書き込まれたため、それらを基軸に私なりにそれをまとめることにした。貴重な意見をくださった諸氏には感謝の念を表すと共に、やはり顰蹙モノであるこの駄文をお許し願いたい。
いや、「駄文」と言っても、媚びているわけじゃないぞ。
ドイツにミニマルとの接近やシュトックハウゼンの実験性、さらには名プロデューサー、コニー・プランクの功績を書き綴るほどの情報・知識が私になかっただけのことだ。
それらは、私がそれらに対してやはり「顰蹙モノ」程度の情報を得た際にでも書くとしよう。