12.「ベスト盤」について考える
〜ビートルズの新ベスト盤をきっかけとして〜
よく音楽仲間や音楽雑誌などで交わされる議論のひとつに「ベスト盤の是非」というものがある。
どんなミュージシャンでも、一定量の楽曲と、パフォーマンスと、支持さえあればベスト盤が生み出される。これはごく当然のことであり、別段論議には値しないことかと思われる。
だが、そこに収録される楽曲に関する物議はとかく行われがちだ。「あの曲が入っていないとミュージシャンの根本にあるスタンスが明確にならない」だとか「売れた曲を並べた商業主義の産物じゃないか」などと。そう、時折ひどくベスト盤を嫌う人などが存在するが、そうした人々は、ベスト盤という存在自体ではなく、その収録曲に対する不満だとか、レコード会社側のスタンスに不満があるのではないか、と私は推察している。及び、ごく当然のことでありながらも、マーケットがシングル志向となっている昨今では無視されがちな「アルバムこそがミュージシャンの具体表現枠たるべし」という思惑もあるだろう。
それゆえに「ベスト盤は嫌いだ」という考えも頷ける。だがそれが即ち「認めない」「存在意義がない」「是非を問う」などという、強調された論調になるのは疑問だ。
なぜなら私自身、ベスト盤というものの恩恵に非常にあずかっている。今までまったく知らなかったミュージシャンについて、少なくとも、一部/全部の歴史をざっと垣間見ることだけは可能なのだから。細部を見ることはできないだろうが、必要最低限度の情報を受け取ることができるのだから、そこからリスナーが興味さえ持てば、アルバムだって買い揃えていくだろう(その気にさせない編集のベスト盤も存在する、という反論はさておき)。
私にとってのそれはビートルズ、スティング、ポリス、ジェネシス、イエスなど多くあり……何と、サイトのメイン素材のひとつであるキング・クリムゾンさえもがそうなのだ。そうなればジョン・ウェットンもそこから出発したことになるので、私のサイトの出発点は、私が初めてキング・クリムゾンの音楽を聴いたベスト盤――『スリープレス〜ザ・コンサイス・キング・クリムゾン』――にあると言っても過言ではなかろう。そのうえボックス・セットから始まったEL&Pや、トリビュート・アルバムから興味を持ったジャパンなどもあるので、そうした「企画モノ」「編集モノ」の効果は侮りがたいものがあるかと思う。特にリリース・アイテムの多いミュージシャンにとっては(しつこいようだが編集の仕方はどうあれ)長い歴史を一枚に凝縮できるので、リスナーを手軽に得られる有益な手段ではないかと思われる。
しかし――と、どうしてもさきほどから括弧書きで加筆しているように、編集の仕方に辟易する場合があるのも事実である。それには「ヒット曲を中心に」「ミュージシャン自身が優れていると思った曲を中心に」「ミュージシャンのターニング・ポイントとして」など、様々なバックグラウンドや、リスナーの好みがあるために仕方のないことだ。本当に「ベスト」な選曲など、存在しないのである。
喩え話をしてみよう。
誰か、クラウス・シュルツェのベスト盤を一枚で、それも個人用にではなく、一般向けに作れるかね?
シュルツェの標榜するロマン主義、つまりバッハに代表されるクラシックであれば、楽曲の形式などで括る方法があるだろう。よくある「ワルツ選集」だとか「平均律クラヴィーア曲集」といったように。だがシュルツェには、それさえも許されない。何せシュルツェといったら、1曲180分(!)なんて曲を作ってしまう化け物だ。ここまでスケールが違えば、ベスト盤の是非を問うなど馬鹿馬鹿しくてやってられなくなるだろう。
だが、ビートルズのベストは誰にでも作れる。新宿駅構内の屋台で売られるような格安ブートまでも。
この差はどこにあるのだろう? 単純に、曲の長さにあるのではない筈だ。
それは「選別基準の有無がいかに存在するか」である。
ビートルズには、シングルがある。テレビがある。作曲者が異なる。アルバムごとに音楽性が極端に違う。全英1位になった曲が多い……など、様々に各人の嗜好を分ける要素が存在する。しかしシュルツェときたらシングルなどないし、音楽性の違いなど一聴しただけで解る筈もない。ましてやメディア露出度も低く、この項を見て初めてその存在を知り、180分の曲という表現に度肝を抜かれた人さえいるだろう。
つまるところ、取っ付きがない。
取っ付く部分が、ビートルズにはたくさんある。だからベスト盤もいろいろな選別基準で編まれるのだ。1位の曲だけを集めたり、シングルだけを集めたり、歴史を閲覧するようにして編んだり……リスナーは、自分の嗜好に合ったものを、そこから選別すればいいだけの話だ。
私の話題にしたいことが、解ってきた方もおられるだろう。
そう、全英1位になったシングル曲だけを集めて話題となった『BEATLES
1』というベスト盤についてだ(注)。
このベスト盤については「ベストではない」という声が多く浴びせられる。私もそれがベスト選曲であるという見解には賛成しないものの、だがそのアルバムについては、否定はしない。なぜなら選曲基準がはっきりしているためにスタンスが明快で、それゆえに売れる理由も解りやすいと、実に解りやすい存在だからだ。
しかしビートル・フリークの多くは、その存在を毛嫌いしている。やはり「ベスト選曲ではない」との意見に集約されるのだが、その論をもう少し解きほぐしてみれば、そこには「シングル=いい曲」「売れた曲=いい曲」という偏見を嫌う傾向が、まず見られる。そのうえで「アルバムにこそいい曲がある」「1位じゃなくてもいい曲が多くある」という反論に結び付いていくのだ。
まあ待て。
そんなことは、誰だって知っている。少なくとも、ビートルズを編集盤でなく、アルバム単位で集めている者にとっては。但しビートルズは、ある種特別な存在なのだ。海外での状況は知らないが、少なくとも日本では、ビートルズに関しては「支持/非支持」のみでバッサリ分かれる。極端に言えば「神様」か「くそくらえ」に。そんな偏った状況では、彼らの解散より後に生を受けた若年層には正確な情報が伝わるわけがない。そのうえ聴いてみようにも、選別基準があり過ぎて、どれにすればいいかも解らない状態だ。個人の評価をあてにすれば前期と後期でまず支持が分かれ「どのアルバムがいいか」と訊くと「どれもいい」と言われる。取っ付きやすそうで実は取っ付きにくい存在、それが若年層にとってのビートルズであるのだ。
そこへ新たに登場した「全英1位のシングル曲」という選別基準。
これは非常に取っ付きやすい。何しろ、現在の日本では間違いなく「売れたシングル曲=いい曲」という傾向或いは偏見が一般層には浸透しているのだから、ビートルズの歴史を閲覧する『赤盤/青盤』よりも、シングルを集めた『パスト・マスターズ』よりも明らかに取っ付きやすい。「なぜあんな選曲のものが売れるのか解らない」と首をかしげる者も少なくないと聞くが、売れるにはそれなりの理由があるものだ。
これがビートルズという存在を知るきっかけとなれば、それはそれで良いではないか。そのうえで今後、『BEATLES
1』のみで得た情報をもってして、ビートルズを語る人間と遭遇した際に、批判なり何なりを加えればいい。それをベスト・アルバム自体に原因があるとするのは、余りに横暴だ。ベスト・アルバムの選曲基準さえ知っていれば、おおらかな心で迎えられるに違いない。
あとは選曲基準に疑問を投げかければいいし、かといって、選曲基準を無視した反論はよした方がいい。己れの洞察力のなさを露呈することになるからね。「あの曲がいいんだ」とあなたが声高に叫ぶそれは、飽くまで個人の意見や見解であって、それは万人に勧めようとするベスト盤にはそぐわないものだ。同様に、万人向けの方針で作られているベストに選者の個人的な見解のものが混じりこんでいれば、それを批判すればいい。確かに「ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー」の入っていないベスト盤など、感情レヴェルでは認めたくないけれども、選曲基準からするとそれは当然、外されるものなのだから。クリムゾンで言えば短縮された「スターレス」だって、ロバート・フリップの選曲と判断のうえで、という基準があるのだからね。
まとめて言えば、ベスト盤はきっかけのひとつである。批判されるべきは「選曲基準に則ったうえでの」収録曲や、レコード会社の方針だと思われる。方針が嫌なら、買わなければいいだけのことだ。「全英1位」という選別基準が好きではないために『BEATLES
1』を買わないままでいる(執筆当時)私のように、ね。何もご丁寧に買ってから文句を言わずともよろしい。
ベスト盤は、それがきっかけとして存在するならまだしも、自己満足の対象として存在するのとは違うのだよ。
……なぜ、私がこんなことを書く気になったのかって?
ビートルズの新ベスト盤だけが原因じゃないだろうって? ははは、鋭い。
そうとも。これには他に意図がある……未だにいるのだよ。「ピンク・フロイドにはいいベスト盤が存在しない(注)」と居丈高に発言する人間が。
フロイドの編集アルバムとしては、公式盤には3枚ある。
入手困難な初期シングル曲を中心にした”RELICS(ピンク・フロイドの道)”、
EMI時代を軽く閲覧しつつ希少曲も含めた“WORKS(ピンク・フロイドの遺産)”、
そして現在日本盤で流通するもののうち、唯一「ベスト盤」との表記がなされている“A
COLLECTION OF GREAT DANCE SONGS(時空の舞踏)”、
これら3枚だ。
このうち、ベスト盤としての認識が高いものは3番目の“A
COLLECTION OF GREAT DANCE SONGS”だろう。これはやはり、現在日本盤が流通しているもののうち、唯一「ベスト」という文字がオビに打たれているせいが大きいと思われる。また原題にも“A
COLLECTION OF”の文字が入っているので、これをベスト盤と呼ばず編集盤と呼ぶのであれば、頑固者か天邪鬼のどちらかだろう。“WORKS”もその原題がベスト盤を意味する場合が多いので、ベストと呼べるだろう。
だがよく「選曲がベストじゃない」と言う者がいるのだな。
ああ、確かに「エコーズ」は名曲だ。だがね、1枚のベスト盤にあれを収録できるかね? 収録時間を考えて「狂ったダイアモンド」を短縮したことに、怒りを表明するリスナーよ。どうせ「エコーズ」を短縮収録しても「原曲の良さが失われている」と叫ぶのだろう? だったらあなたが「一般向けに、販売を前提とした」ベスト盤を46分以内(当時の一般的収録時間)で、自分で作ってみたまえ。その難しさに頭を抱えるだろう。おっと、一般的なのだから、嫌でも売れた曲は入れて当然だぜ?……解るかい、誰にも勧められるベスト盤なんて作ることはできないのだよ。
そんなことを考える暇があれば「狂ったダイアモンド」の編集具合の巧さを、感嘆してみなよ。フロイドがベスト盤を出して時間稼ぎをしなければならなかったバンドの状況を、推察してやりなよ。そのうえで、クリムゾンが「その時代の音楽に合わせた」「全史を閲覧するため数枚組になる」ベストを作っていることを考えてみるといい。
結局は、リスナーの我が儘でしかないんだから。
ベスト盤1枚にすべてを求めるなど、虫のいい話だろう? 1枚しかないんだから、それをきっかけにすればいい。甘い蜜を吸うにはリスクは付き物だ。私は少なくとも、編集された「狂ったダイアモンド」を聴いて「長い」「かったるい」と叫ぶリスナーに「エコーズ」は勧められない。歌詞にバンド(もしくはロジャー・ウォーターズ)からのシド・バレットへの畏敬の念が感じられない者には、『夜明けの口笛吹き』は勧められない。そのリスナー自身の選別基準に、あのベスト・アルバムはなっているのだよ。
そういうことさ。
(*注:リリース状況は執筆当時に基づくものです)