5.私は「経験論」が嫌いだ!

〜突然届いた失礼なメール〜

 サイトを本格稼動して1ヶ月が過ぎた頃――各種検索サイトに登録され、新訪問者からのメールなどもぼちぼち見受けられた頃――失礼なメールが届いた。
 彼の名は仮にA氏とする。なぜ名前すら書かないかというと、そもそも不愉快極まる内容だったので、すぐに削除してしまったのだ。そして、そのA氏の論旨たるや、まったくの「経験論」でしかなかったのだ。
 以下、思い出し思い出しにて、されど確実な部分のみ、自分の文による再現にて抜粋することにする。以下よりの太字部分がそれに相当する。そこへ私の合いの手を入れた、簡単な語り口を中心とにしよう。

「あなたは偉そうなことをずいぶん書いているけど、結局はリアル・タイムじゃないんだろう? 幾らピンク・フロイドのことを論じても、アフロディーテを体験しないとそのすごさは解らないよ。『対』を誉めてる(これは「アルバムジャケット考」のことらしい)ようじゃ駄目だよ」
 では、あなたはアフロディーテで何を感じたのですか?
 実体験ではない私には、それが祭られた伝説のように感じられます――少なくとも、あなたの文からすると。私は『対』を誉めているつもりはない。ただ、見方を変えれば優秀とも言えるし、面白いアルバムだと言っているのだ。

「クリムゾンだって、行ったのはつい最近のライヴだけだろ? 僕は彼らが最初に日本に来た頃から行ってるから、彼らのすごさはあなた以上に解ってるつもりだよ」
 それでは、文にしてみてください。
 私のように、ミニマリズムとの折衷のひとつでも考えてみてください。体験した、すごかった、だけではその「すごさ」とやらは解りません。それに少なくとも、日本に来る以前のクリムゾンは、あなたも実体験では知らないのですよね? 最も熱かったと言われる時期のことは。

「プログレを問う、なんて偉そうなことをいっておきながら、モーニング娘。のことなんか書いてるし、掲示板で言ってるじゃないか」
 ちゃんと、読みましたか?
 私は、喩えポップスでも根底は音楽であるがゆえ、相通ずるものが存在し、そこにはプログレというものが大きく関わっているということを書いたつもりなのですが……独り善がりでしょうかね?
 それともあなたは、私で言うところの「プログレ馬鹿」なのでしょうか?
 そもそも、掲示板という存在をあなたは知っているのですか? 掲示板とは、本来なら見知らぬままで終わってしまった筈の人々を共通の話題でもって結び付けることのできるものです。あなたのように、メールで書き殴るのとはわけが違います。
 だからこそ、掲示板に書かずに、送りっ放しで私に迷惑をかけただけで済むメールでもって反論したのでしょうけどね。

 これらの論点をもって、私は、A氏の私に対する批判を「不当」であるとしたい。
 なぜなら、それらは当サイトをしっかりと読むことによって、自ずと知れるであろうことだからだ。
「サイトを全部読んでから意見しろというのはエゴイズムではないのか?」
 という見解もあるだろう。しかし、それは言い換えるならば、キング・クリムゾンという存在を『クリムゾン・キングの宮殿』や『太陽と戦慄』のみで語ることにも似ている。またジョン・ウェットンを、クリムゾン期のみで論じることにも、ロジャー・ウォーターズがリーダーでなかった頃のフロイドの存在自体を認めないことにも。
 さらに喩えるならば、何も太宰治は『人間失格』しか書いていないわけではないのだ。芥川龍之介と『羅生門』、ジャン・リュック・ゴダールと『勝手にしやがれ』も然りだ。
 つまりは、一部分のみで自己判断し、全体を知った気分でいるということは非常に危険である、ということだ。
 これはプログレと言われる音楽にも共通することだろう。だからこそ、ここに記したのだ。余りにも、雑誌などに祭られる「黄金時代」を中心として陳腐な論評を展開する輩が多い。そのうえ、そういった連中の殆どの切り札が「経験論」であるのだ。
「それでも、リアルタイムじゃないんだろう?」
 そう言われれば、音楽など論ずることのできる人間はひとりもいない。
 現代音楽のルーツである民族舞踊から何から、あなたはすべて熟知しているとでも言うのかね? すべてを「体験した」と言えるのかね? 言えまい。だからこそ「追体験」という言葉があるのだよ。すべてが「経験論」で構築されているのならば、再販など必要ない。ましてや、あなたより年下の人間は存在すら皆無である。
 これらは、私の感情論で済むべき問題ではなく、音楽を愛する者にとって心がけねばならぬものだと考えている。だからこそ、ここに文章にした。A氏が単なる「感情論」の使い手であればメールを返信しないだけで気分は落ち着いたが、それが「経験論」であるがゆえに許せず、こうした考えを記すに至った、ということだ。
 そういった意味では、A氏にはとても感謝しているよ。私が以前から感じていた劣等感を、与えることによって解消してくれたのだから!

「経験論は、適度に用いれば有意義であるが、自らの体験を吐くことにより優越感を得んとする想いが作用してしまい、誤用してしまうことが多い」

 そう、教えてくれたのだからね!

(素直に言えよ。あんたは、こんなポップスさえ論じられる阿呆な文章書きに劣等感を受けたのだろう?――この一文は感情論であるがゆえ、無視して頂きたい。だが、書かずにはいられなかったという意図を、独り善がりながら汲み取って頂きたい……)

 蛇足となるが――A氏は、私のサイトの『音楽のある風景』をひとつも読んでいなかったようだ。「私は音楽を聴いて楽しむタイプの人間だから、そこからヒントを得た小説なんか読まないんだよ。結局オリジナルには勝てないんだからね」との意を示す文があったと記憶する。
 私は、文章にこそ自分の表現の核を有しているつもりである。それを無視されたあげく、否定ばかりされたのでは、納得などいく筈もない。彼の論旨をもってすれば、友人の絵画展を見て楽曲がインスパイアされたムソルグスキーの「展覧会の絵」も駄作なのだろう。ましてや、EL&Pのそれをや。

 これも、利便と共に蔓延してしまう、インターネットというものの弊害であろうか……。