1.消費される音楽
〜対して、昔の音楽が最も評価される『プログレ』なるジャンル〜
殆どのポップ・ミュージックは、消費されている。
その証拠として、J-POPリスナーの殆どは昔の「歌謡曲」と言われていた頃の曲を聞けば、
「なーんか古臭いよねー」
となり、自称パンクの殆どは、セックス・ピストルズを今にして聞けば、
「刺激が足りねえ! 今のパンクの方が激しいぜ!」
となる(なるほどここには「パンクというジャンル」を作り上げたピストルズへのリスペクトやその状況を知る姿勢はないんだな)。
テクノやダンスなら「今風の音じゃないね」と見向きもされず、その中でも自称DJは原曲の良さを殺し「今風」のアレンジを勝手に加えるだろう。
近年流行していた「ニューR&B」とやらは原点であるR&Bの良さをやはり殺し、ブルースの叙情性を殆ど取り払ってリズムを強調している。
曖昧に「ロック」とくくられるものも、きちんと売れる昔のCDといえばビートルズやローリング・ストーンズといった「ロック史に名を刻む大御所」ばかりで、他は喩えば、UKロックと言えば今のブリット・ロック(ポップ)ばかり。こうなると、昔の音楽がよく聞かれるジャンルというのは、おっちゃんが昔を懐かしんで聴くブルースか、「ロックンロール=ロカビリー」だと思い込んでいる若僧か、未だにエルヴィス・プレスリー狂いのモミアゲぐらいである。
そこへきて、プログレである。ああ長い前フリだった。
プログレは逆に、昔の曲ほど敬愛され、評価されるという傾向が強い。中には「ジャンルとしてのプログレ」を嫌い、現在活躍中のミュージシャンを「プログレッシヴではない」と言う者も多い。実は筆者もそれに近いのだが、最近の「プログレというジャンル」は「プログレ」「プログレ的」「プログレっぽい」「広義の意味でプログレ」などというように、ジャンル内で細分化していると思うのだ。
喩えば、プログレ四天王や一時期のジェネシス、ジェスロ・タルなどは間違いなく「プログレ」である。
だがポップ・ミュージックに大接近したエイジアや、ポンプ・ロックというジャンルにも入るマリリオン、キング・クリムゾンへのリスペクトから自分の音楽を作るアネクドテンなどは「プログレ的」である。音がクリムゾン「っぽい」だけの美狂乱や、現在活動中のジャパニーズものの殆どや、メロトロンが入ってるという理由だけでプログレに入れられたもの、さらにはプログレ・ブームに煽られて何となくジャンル入りしてしまったムーディー・ブルースなどは「プログレっぽい」ものと思う。
それでもって厄介なのが、ジャンル的にはプログレじゃないんだが、イーノ大先生やフリップ翁が関わっていたから、というようにプログレ畑の人物が参加したものや、プログレからテクノやパンクのイノヴェイターとなったものなどは「広義の意味でプログレ」とされるべきで、本来はプログレ人が参加する前に呼ばれていたジャンルや、彼らが作った新ジャンルであったテクノやパンクに入るものだろう。
そのうえソフト・マシーンを筆頭になぜか地方単位でくくられている「カンタベリー」だとか、イーノ大先生が提唱した「アンビエント」という、「プログレから派生したジャンル」があるからややこしい。しかもこのままじゃあテーマが「消費される音楽」なくていきなり「プログレとは何か?」になってるじゃないか。ええい話を戻そう。
昔の音楽ほど重要視される、
それはプログレという「一時逃れのため作っただけだったのに形式として定着してしまった」ジャンルには、仕方のないことであるとは思う。が、それを単純に「オヤジがノスタルジー浸ってるだけじゃん」って否定する帽子かぶった若僧や、そんな若僧に擦り寄ってセコイ商売してるDJモドキなんてのがいっぱいいる。
あなたがたの支持する音楽の多く、ダンスやテクノは、ひょっとすると、プログレが生んだジャンルなのだよ。クラフトワークという集団を知ってるかい? 彼らはプログレ畑で語られることの多い存在だが、私は、彼らを「テクノという当時の新ジャンル」のイノヴェイター(というよりフロンティア)であると考えている。彼らや、その同時代に活躍した人間達が新しい音を追求した結果、テクノというジャンルが生まれたのだ。現在のテクノには、それへの再評価もなしに「コピーに次ぐコピー」が蔓延している。または、クラフトワークやノイ!などは「ルーツとしてインタヴューの際に紹介することで自分達へのリスペクトを得る手段」として存在している。何だか、インテリにかぶれたインテリアにもなれない人間みたいだぞ。
ヒップホップは黒人文化と絡むからさすがに違うけど、いずれにせよ、それらの殆どが1ヶ月もしないで1枚500円コーナーに並んでるって事実を知ってるかい?(以前アルバイトで中古CDを担当していて、その扱いに困ってましたね私は) 同じ黒人音楽のレゲエだって一時期の小さなブームが過ぎれば、同じ扱いだ。なぜなら「レゲエというジャンル」のコピーを繰り返す連中がシーンの中心となってしまったから。
こういったことが「音楽を消費した」結果であるのだ。
まあ、彼らにとってはその刹那性がたまらないのだろう。流行の波に乗れば、自分がイケてると勘違いできるから。振り返ってみれば、あとに残るのは浪費という名の波の残骸だけだけなのだが。「聞」けば「聞」くほど聴覚体験は高められるかも知れないが、それに反比例して精神性はガタ落ちしている筈だ。放送禁止用語を使うだけの幼稚な過激さだとか、暴力とクスリでしかハイになれない精神性を持ったパフォーマーの作った音楽は、それを「聞」く人間も同化させていくだろうから。
プログレには、「音の暴力」がある。
プログレには、「音による深いトリップ」がある。
プログレには、そういったものを用いて「精神性を高める」ことができる。
少なくとも、ヒップホップやダンスの曲を「聞」いて死の意味を真剣に考える者は皆無だろう。またせいぜい、あつらわれた程度に書かれた歌詞をやかましく叫ぶ程度だろう。そこにある言葉に宿るのは意味ではなく、飽くまで、リズムだけなのだから。「その時だけ楽しけりゃそれでいいじゃーん」というパフォーマーとリスナーが相互し合って、「音楽にもなっていないリズム・ボックスのカタマリ」を音楽だと言い張って、数千年前から続いてきた「音楽というもの」の質を下げているのだ。そのリズムっていうのも、精神的分析をしてみればきっと単純労働中に起こるワーキング・ハイのようなもので、単調なことの繰り返しを楽しんでいるに過ぎないのだろうがね。
リズムしか武器がないんだから、7拍子とか5拍子とかそれをふんだんに交えた変拍子でもやってみやがれ、と思うのだが、それはできないし、やろうともしないし「それでも好きなんだからいいだろうが」と逆上するだけなんだよなぁ。そのくせこっちの言うことはぜんぶ否定するし。まったく、ジェントルじゃないね。
売れたモン勝ち、
流行ったモン勝ち、
それが彼ら唯一の理論なのだから、仕方ないか。
プログレだって音に何だかんだ理由付けて神棚に祭ってるんだから、似た者同士だしね。
ただ双方共に言えることは、自分の音楽を好むばかりに研究なり追及なりの真摯な姿勢を忘れて、自分が好んでいると標榜するジャンルばかりを聴いている傾向が強いこと。そうしていくことで、どんどん視界は狭くなっていく。
私は別段、プログレ以外の音楽を非難しているわけではない。
良いものを様々な基準でもって選別し、吸収していくべきである、ということだ。
では最後に、私が聴く邦楽のうちひとつである“ends(エンズ)”というソロ・ユニットで活動している、遠藤遼一氏の発言を記して本項を終わることにする。
自分は『いい音楽の条件ってなんですか』というこの手の質問にはきまって部屋の空気を変えてくれる音楽と答えるようにしてる。あなたにも経験ありませんか? CDにレーザーを当てた瞬間から別世界が広がり、部屋の空気が変わったように感じた経験が? 最近の音楽の傾向として日常に対してどれだけ密接に結び付けられるかというのがあると思う。それは共感だったり親近感だったりするんだろうけど、そんなものは俺に言わせれば『クソ』。他人と自分が同じであることで傷をなめあうような行為に思えます。そのくせ、海外旅行のパンフレットには『日常から解き放たれあなただけの一時を』なんて事が書いてあって、いったい日本人は何を求めてるんだろう?縛られる事なのか、解放されることなのか、、、と思う。
ends(遠藤遼一)の公式サイト掲載メッセージより引用(原文まま)