恐るべし山岡家の中毒性
〜うまい以前の問題だ〜
遠くに住んでいる友人が、地元に帰ってくる度にほぼ間違いなくラーメン屋に誘う。
ふたりともうまいラーメンに目がなく、様々なラーメン屋を練り歩いているが、時折、禁断症状のように食いたくなるラーメンがある。無神経にしつこく、遠慮なくクドく、おまけに高カロリー。本来のグルメ嗜好とはまるで真逆に位置するそれこそが、全国展開する「山岡家」である。

味音痴だった頃は、俺はとにかく味の濃いそれが大好きだった。しかしいろいろなラーメンを食っていると、塩の奥深さや醤油のシンプルで難しい調整、味噌のとにかく混ぜて誤魔化してしまえという指針が店により異なるので、「本当にうまいラーメンとは何か」と考えてしまう。
だが、前項で書いたように、味というのはうまいまずい以前に、「自分に合うかどうか」が大切なのだ。
だから山岡家は味音痴の通う店だとよく叩かれる。そういう人は薄味の塩が好きなのであって、決して「それこそがうまい」と決め込んではいけない。文学醤油を好む人もいればミステリー塩を好む人もいて、大衆味噌を好む人も少なくないどころか多いのだ。中には歴史物とんこつや海外ものが好きな人だっている。その好みを押し付けてはいけない。
一見、謙虚なことを書いているようだが、その実俺は自分の味覚には正直だ。人が絶賛するものでも自分に合わなければあっさり却下する。友人もそうだ。我々の口にする「うまい」は「俺にはうまい」であり、「まずい」というのは「本当にまずい」である。傲慢なのだ。
そこへ山岡家。
はっきり言おう。我々は「うまいラーメン」を食いにここを訪れるのではない。
我々は「これでもかと言うほどしつこくてクドくて腹が満足するラーメン的なもの」を求めているのだ。
言わば、濃いラーメンのある種の極北が、山岡家だと思うのだ。客にヘーコラして中途半端な味を作るより、遠慮なく濃くしてしまえという。そこへきて基本メニューが安いのもいい。妙な値段であれば通うことはないだろうが、安いのでついつい食ってしまう。こういう貧乏舌、というより貧乏根性の我々を含む庶民によって山岡家は繁盛している。少し値が張っても繊細な味の鱧の湯引きを好む京都の方には理解できないだろうが、関東人はそんなものだ。だが弁明しておくと俺は鱧もうまいと感じられた。一度しか食ったことはないが。
山岡家の魔力は、実はラーメンそのものではなく「すりおろしにんにく」にある。
我々はこれが馬鹿みたいに好きで、次の日に予定がないと山のように入れる。となると無論、味噌ラーメンだ。山岡家のメインは味噌であり、醤油や塩を頼む客は稀である。実際それらを頼んだ人を、俺は数えるほどしか見たことがない。しかし別の友人によると「塩でもクドい」とのこと。そこまでいくと呆れるぐらい立派だ。
俺も基本は一番安い590円の味噌を頼む。しかし「脂の量」「麺の固さ」「スープの濃さ」が選べるので、いつの間にか「少なめ・固め・濃い目」で定着してしまった。というもの、脂はクド過ぎて味の邪魔をし、麺はどうせ柔らかくなるのだから固めにし、スープはもともと濃いラーメンならとことん濃く、という俺の中の嗜好が定まってしまったのだ。
少しそのまま食し、やがてゆるやかにすりおろしにんにくを大量投入する。さらには辛味噌も混ぜる。
これが俺のスタンダードであり、定番だ。残ったスープにライスを投入したいとも思うのだが、ただでさえ満腹になるヴォリュームであり、高カロリーなので、いつもやめてしまう。それでももったいないのでスープは飲み干す。これ以上食うと飽きると直感しているので、大盛りにはしない。これで充分。基本的に精神が貧しいのだ。
しかし俺にも、新しいスタンダードができた。
それが「辛味噌ラーメン」である。

それも贅沢する時は、ネギと背脂をトッピング。辛さは迷うことなく最高の激辛。それでも辛味が足りずに唐辛子をばんばんかける。無論のことすりおろしにんにくと辛味噌も大量投入する。
まるで馬鹿である。辛ければ何でもいいのか、と言われそうだが、俺にはそれほど辛くない。寧ろこれぐらい辛い方が、濃い味がマックスで味わえるので丁度いいのだ。濃さが売りならとことん濃くしてやろうじゃないか、というのが俺の指針だ。それを叶えてくれるのだから、山岡家はありがたい。ヘンにグルメ志向の気取ったラーメン屋よりすがすがしい。
だが、友人は俺のスープを飲んでみて、「かれえ。馬鹿じゃねえの?」と呆れる。いいのだ。俺がうまければそれでいいのだ。
しかしいつも、食後1時間後に腹をくだしてしまう。
それでもやめられない。
山岡家はうまい・まずい以前に中毒性があり、無性に食いたくなることがある。それにひと役買っているのが何度も出てくるすりおろしにんにくだ。友人いわく「これがなければ山岡家はただのしつこいラーメンだ」とのこと。そう、それがなくては魅力が半減する。いつもは入れない人も一度騙されたと思って投入してみてほしい。まるで価値観が変わってしまう。
しかし、普通の味噌ラーメンに市販のすりおろしにんにくを入れたのとは、味がまるで違う。何度も書いているように、山岡家のそれは味の濃さを極めているからうまく思うのだ。
そして食後は「もうしばらくいいや」と思うのに、少しするとまた食いたくなる。
それこそ、友人のように帰郷してまで。
もはや中毒だ。
「いい」「悪い」は結局、自分の嗜好が決定するものだ。
グルメ番組やランキング番組に踊らされてはいけない。それらは「世間のよしあし」であって、自分とは何ら関係がないのだから。
だから俺は、うまい・まずい以前に山岡家のにんにくを入れた味噌が「好き」だ。
吝嗇家を気取るなら、この店に行く奴はまずいないだろう。
俺はグルメじゃない。
飽くまで「自分にとっていい」ものが「好き」なだけだ。
*後日追記*
その友人が「山岡家が食いたいが体調がよくないので脂ぬきで食ってみる」と言い出した。中毒なのだから体調が悪いなら食うなとは言わない。
しかし友人のもとへ届いたそれは、まったく「ただの濃いラーメン的なもの」であった。
哀しいかな、まったく味がない。山岡家らしさがない。決定的なのには、すりおろしにんにく大先生を投入しても、味がまったく絡まないのだ。かえってにんにくの刺激が厭なかたちで入ってくるのだ。
これには友人も失望し、それから彼は山岡家には以前のように行かなくなった。
矢張、脂は少量でも必要なのだ。味を絡める役割があるのだ。多過ぎるとかえって分離してしまうが、多少の潤滑油がないと圭子の夢は夜でもひらかないのだ。そうなると宇多田ヒカルも生まれていないのだ。何の話だ。
それから久しく、山岡家参拝をしなくなった。だがいつか、24時間営業の悪魔の手が蛍光灯に集まる蛾を誘うこともあるだろう。