昔のバイクと僕
〜単なる「足」〜
もともと、僕は原付に乗っていた。
それはもうひと昔以上前の話であって、当時は「走れればいい」というオーマカな前提のもと、とにかく酷使していた。だから凝るようなことはしなかったし、運転も扱いも荒かった。
それはその当時の原付、SUZUKIの「セピア」が、姉のお下がりであり、どーでもいいやとりあえず身分証として免許取っとこ、的な軽いノリで乗ったものだからだ。バイクはタダでもらえたし、お下がりなので乱暴に扱っても誰も自分も文句を言わない。まぁ年の離れた弟がアンパンマンの絵本を譲ってもらったようなもんだ。
で、セピアは予備校時代に乗り始め、初めて警察に捕まったりして(踏切で一時停止するということを知らなかった……)、都内にひとり暮らししても一緒だった。それで大学に通ったりもした。東京都内を無謀に走り回るぜベイベェ、という無鉄砲かつ無企画なひとり走り屋をしていたこともある。朝に練馬を出て都内をぐるっと回ってたまに埼玉に出ちゃったりして夕方に戻ってくるの。何やってたんだかなぁ。まぁ学生ですからね。
だが、セピアは僕にとって「彼女」ではなかった。それはまぁ、当時の僕がバイクより大事な人がいたりとかもあるんだけど、優先順位ではなかなか下の方だったのね。単なる「足」というだけ。ほぼ下僕ですね。だから名前も付けなかったし、点検にも出さずに走り回っていた。
それから最初の就職をして、実家に不用品を送った際に、セピアも送ってしまった。確かに走行距離1万キロ超の中間管理職だったが、クビを切るのは少し早かった気もする。今にして思えば。
で、それからは電車と自転車を使って都内で何年も暮らすのだが、セピアを懐かしがることはなかった。何せ東京ですからね。交通の便もいいし、ひと駅ぐらい歩ける距離だし、近所で用事は足りるし。なんで、自転車「零式改」を愛用し、二度目の就職をして西早稲田に住んだ頃には新宿の中央まで自転車で往復するサイクリング野郎になっていた。当時は自転車で歩道を走っても何ら問題はなかったので、車道は気にならなかった。車やバイクも目に入らず、寧ろ車道も歩道も一緒の道になると「邪魔だな、こいつら」とさえ思ってしまった。
だが一身上の都合により実家に戻ると、庭の柿の木の下にカウルも剥げた無残なネイキッドのセピアの姿があった。乗る者もなく、ただ雨風に晒され、邪魔な置き物と化したかつての愛車。いや、愛車と言えるほど愛していたことはない。単なる足だから、昔風で言えば「アッシーくん」であったのだから。
しかし、胸に悔しいような残念なような、酷いことをしてしまったような複雑な感情を抱いた。これがバイク乗りの抱える「愛車は恋人」という感覚なのだろうか、とも思ったが、愛していないのでセピアは単なる「モノ」として扱われてしまった。そして不要ゴミ回収にさらわれていった。
その頃の僕は荒廃していたので、バイクどころではなかった。
まさか、恋人と思える愛しいバイクに出会えたのは、それより数年後のことである。