抗鬱日誌

〜鬱病の人に対するには〜

 もし仮に、あなたが健康であって、鬱病の友人や知人、仲間などを有していたら、どう接すればいいのか?
 これは、きちんと知っておくべきことだと思います。でないと、鬱病患者の病状を強めてしまうことをしかねないからです。

 一番大切なのは、彼らと「普通に接すること」です。

 鬱病は、気を遣う、繊細なタイプの人が多く罹ってしまうもの。だから変に気を遣われると「あぁ、自分のせいで気を遣ってもらってしまっている」と自分のせいにして、余計に落ち込んでしまうのです。かといって突き放したりすると、「自分が悪いからそうされたんだ」とやはり、自分の内側に働きかけます。何でも内側に封じ込め、鬱を進行させてしまうのです。
 そんなものは思い込みだから気にすんじゃねえよ女の腐ったのみてぇに! と言える人は、鬱病にはならないでしょう。そうした強制的な精神論が通じない「鬱状態」が「鬱病」です。要は、鬱病患者は感情の振幅がちょっと大きい、と思えばよいかも知れません。
 関与する時には関与する必要のある分だけ関与し、それ以上や以下には関与しない。関与しない時には、遠くから見守るような気遣いぐらいはしてあげる。それが鬱病患者への最も適した接し方になると思います。
 これって、気遣いのある人からすれば、普段の人の接し方と何も変わらないことですよね。
 そういう心がけのできる人も、同様に「気を遣う人」なので、鬱病には注意です。逆に、人に気を遣わず自分勝手な人は鬱病にはなりません。

 仕事面でも、「あいつは鬱病だからこれは無理だろう」といった気遣いは無用。そんなことは、その人の可能性を狭めることになってしまいますし、何より病状を悪化させます。
 鬱病に罹るのは繊細で気遣いのある人ですから、事務や計算、校正といった細部を見る業務などには逆に向いていたりするのです。寧ろ、明確な目標を持たせることは、それを越えるために自分と向き合う必要がありますので、鬱病の改善に繋がりもします。
 喩え話をしましょう。
 最愛の恋人を失い、しかし吹っ切れたように振る舞う友人が居たとします。あなたはその人に、どう接しますか?
「特に気を遣っているように見せず、できるだけ普通に」接するでしょう?
 それと、同じことです。当人にとっては、普段通りでいいんです。いや逆に、普段通りでないと、すぐに違和感を抱くのです。
「彼は恋人を失って失意にあるから、この仕事を預けるのはよそう」
 というのは、おかしなことでしょう?
「彼は失意にあるから、仕事をこなすことでそれを乗り越えてもらおう」
 というチャンスを与えられるとも思えませんか?

 また、鬱状態になると、自分ひとりで閉じこもっていたい割には、時折ひどく人に依存したくなります。
 誰かとやたら話したくなったり、一緒に食事をしたくなったり、呑みに誘ってみたり。電話の送信履歴を見て「こんな人まで!?」という人にも電話をかけていたことに気付いたりします。
 つまり、不安であるがゆえに「刹那の安定」を欲しがるのです。その場限りの、安心できる何かを。
 それを嫌う筆者には、皮肉なことですが……。