携帯なんて大嫌い
〜持ちながらにして、僕が携帯電話を好まないわけ〜
今回は、実に真摯な気持ちで書かせてもらいたい。
もはや持っていることが当然になってしまった感のある携帯電話(以下、多くを「携帯」と略す。本来の意味の「携帯」とは文脈から読み分けて頂きたい)。親しくなった人に「電話番号は?」と訊かれるのは、殆どが「携帯の番号は?」の意味になってしまった。
そんな中で、僕は、どんどん携帯嫌いになっている。
今回は、携帯電話というものを見詰め直したい。あわよくば、これを読まれた方も何かしかを考える機会にして頂きたいものだ。
AC(公共広告機構)のサイトなども、一度ぐらいはご覧頂きたい。誤解なきよう、僕は関係しているわけではないから。
携帯電話の功績
携帯がもたらした功罪は、実に大きい。
功績としては、まずその名の通り電話が携帯可能になったということ。これが言わずと最大のポイントであったのだし、名前の由来なのだから当然のことだ。これにより、不在のため電話に出られないという現象が激減した。職務中だとか作業中など、何かしかの理由さえ必要になってしまいそうなぐらい。
次に、NTTの電話回線が不要になったこと。有意義にネットをするには(速度や自由度の関係で)どうしても必要だが、単純に電話のためであれば携帯の方が手軽で、ひょっとすると安い。契約の面倒加減も少ないし、自由の幅が利く。だからひとり暮らしには必携かも知れないし、通常電話回線はNTT以外の業者では値段が急落しまくっている(とうとう「0円」も出た)。
もうひとつ、モバイル・ツールとしての役目。ネットも見れるしメールも送れる。今や仕事でもない限り、モバイルやノートPCを使っている人は珍しくなるほど高性能になった。有用に使えば会社のピンチさえ救えるに違いない。
だけど「功罪」と記したように、これらはすべて「罪悪」の部分を同時に含んでいるのだ。
携帯電話の罪悪
まず、電話が携帯可能になったこと。これが諸悪の根源であるのだが、その弊害は数え切れないほど多い。街中で公私混同が行われ、人間が密集していて静かにすべきだった場所でも、道徳心のない輩は平気で私的な大声をあげる。これは単純に不快であるし、迷惑だ。電車で仮眠を取ることさえ難しくなってしまう場合もある。さらには携帯可能なので、出ないと「どうして出ないんだ?」と理由を要求される。電車の中など、公的な場所であることは理由にしてもらえない。相手にとっては、それがただの暇潰しながら重大なことであるらしく、いつでもどこでも出てほしいらしい。こうして、電話に出たくない気分の時に、不在を取り繕うことも難しくなった。また不道徳者は、対人関係にある時(買い物の支払い中など)でも当然のように携帯で話している。それは相手にとっては意図的な無視も同然、人間と思わず空気と思うが如く、ごくごく失礼な行為に値する。気の知れた人間と一緒にいる時でも、その人を放っぽらかして携帯の会話に夢中になる、という場面もよく見る。これも意図的な無視で、相手にとって不愉快であると同時に、虚無感をもたらす。それでもその人と普通に付き合える自信は、喩えば僕にはない。
次に、通常電話回線が不要になったこと。これによって手軽に不道徳が手に入るようになった。ひとり暮らしに最適、と前述したが、高い金出して回線を買わなくても電話ができるのだ。それも本体は無料、契約料3,000円だけで。小学生から老人までそれに飛び付き、結果として、不道徳を垂れ流している。また便利と不便は背中合わせとはよく言ったものだが、これにより電話回線の値段が急落し、公衆電話が激減した。景品によく使われるのはテレフォン・カードからクオ・カードに移行した。電話業者、つまりNTTは大きな痛手じゃないのか? 知らないけど。それに自身がDoCoMoを作ったのだが。経済図も大分変わった筈だ。
もうひとつ、モバイル・ツールとしての役目。PCがなくてもネットができるし、電話より安くて済むメールだってできる。こりゃ万々歳、ともいかないのは当然の摂理。コミュニケイションが簡易になり、無駄の多い「あいさつ程度のメール」や「要件を思い付きで送るメール」が増えた。入院する年老いた母親の看病に疲れ果て、帰宅して眠っている夜中、闇をつんざくベルが鳴り、すわ一大事か、と恐る恐る携帯を手に取ったらメール着信。それを読んだら「今見てる深夜番組が面白え!」とか「眠れないよー」なんていうのは甚だ迷惑だ。また、雑多にある要件をまとめて言い渡してくれればいいものを、その時々に思い付いたことばかりチョコマカと送られてはイライラするのも当然。会社の企画でそんなことをしていたら費用が出てしょうがない。「この企画やりましょう」と言った数時間後に「あコレもやろう」ときて「やっぱコレもいいんじゃない」なんて提案する上司や部下は、少なくとも僕は信用できない。送信がお手軽になるのは、イコール内容が薄くなるという当然の図式に乗ってしまっている。きっと使用者自身は気付いている人も少ないのだろうけど。
なぜ禁止できないの?
こうしたことは、ずーっと前々から指摘され続けてきたことだ。
なのに、未だに改善される向きもないというのは、どういうことだ? 電車の中での電話使用を誰も注意できないし、使用者自身はそれで当然だと思っている。拍車をかけるように高性能化する携帯。メールだ写真だ、と進化するのと同時に、道徳観念を退化させていく。もはや、道徳者の方が少ないと言っても過言ではない。
いっそキャンペーンでもやってほしいものだ。車内広告をすべて「携帯使用禁止」のポスターにするだとか、携帯電話メーカーなどが諌めるとか。大体にして車両内に携帯電話の広告があるのも納得がいきかねる。携帯電話使用禁止を訴えるのはその10分の1ほどもない、ごくごく小さいステッカーだけだし、まるで「使ってください」と言わんばかりの状況ではないか。使用禁止を訴える車内アナウンスも特定の駅で数回行われるぐらいで、止めている雰囲気がまるでない。禁じている割には、それに値する行いがない。性行為の後に、風俗の女を説教する以上の間抜けさだ。
大体にして「マナー」なんて甘い言葉を使っているからいけないのだ。いっそ「法として律する」べきではないだろうか。それによる弊害はものすごく多い。ここいらへんで、きちんとした形を作っておかないと不道徳はますます加速するばかりだ。車内での煙草は非常識に認定されているのに(禁煙である筈のホームでの喫煙は堂々とされている場面もよく見るけど……)、なぜ携帯は禁止できないのだ?
煙草と言えば、千代田区で「歩きたばこ禁止法」が適応されるなら「歩き携帯禁止法」や「携帯電話車内使用禁止法」なんてものも作ればいい。結局、その「歩きたばこ禁止法」も守られているとは感じないし、禁じるために街中の灰皿を撤去した結果、ポイ捨てが増えた。こちらも「マナー」とか甘いことを言っているからだ。ちゃんと法律にあるのだから「軽犯罪」を適応して、罰金2万円を徴収すればいい。金が関わればやめるだろうし、そうすることで「マナー」なんてものも取り返せる可能性が出てくるだろう。つまりは、携帯に関してもそういうことだ。
電車のみならず、自動車内での使用も案じられていた。運転しながらの使用のことだ。しかしこれも減る様子などなく、メールなんてものが装備されたせいで、渋滞の暇潰しにもなるので余計に使用されている向きもある。そのうえ馬鹿野郎は、自転車の乗車中にも使う。自転車を運転しながら話すだけではなく、メール使用までも。これが自動車より危険なのは火を見るより明らかだ。なのに、最近はその様子をやたらと見る。ここまで一般常識が欠如しているのはどういうことだ? やはり、あらゆる乗車中の携帯使用を禁じる法を設けるしかないのではないか?
しかし、乗車中のみならず、歩行中の使用も問題だ。話しながら歩くのは、まだいいだろう。忙しい人など、外出時にしか電話できないこともあるだろうから。だが、それと「歩行メール」はまったく別の問題だ。歩きながらメールを読む、あるいは打つ人をよく見かけるだろう? あれだって、衝突や転倒を招く危険な行為だということは誰もが知っている。なのに、横並び歩行と一緒で「きっと相手がよけてくれる」などという甘えや驕りのもとで行われているのが現状だろう。そういう人に限って、その人生をまったく知らないくせに「二宮尊徳」をスケイプゴートとして用いたり、時間節約を言い訳にしたり、何とか自己肯定に励むけれども、はっきり言えば非常識、不道徳の塊だ。歩行中に危険とされる行為は停まって行う、これは言わずとも常識だろう? それも、これは若者ばかりと思われてきたのに、ちょうどその父親あたりの世代まで同様の行いをしている。諌めることもできないのかね? それで肩をぶつけられても、苛立つことしかできないのかね?
無理なことだろうけど、携帯の契約には免許が必要になるなんていうのは面白いだろうね。「マナー1級以上」とか。その段位によって使用可能な携帯電話の種類が増減するだとか。まあ実現不可能だけど、これが実現できれば免許証がなくても身分証明ができたりして。それで悪たれ小僧が高機能の携帯を使うために「表面だけのマナー」を磨くとか……結局は運転免許と同じで、裏講もあれば違法行為もまかり通るのだろうね。
つまりは、法律にしても、無駄ってことかよ!
殺人銃としての携帯電話
これほど僕が恨みを募らせているのは、何も「マナー」とかいう見えないものだけのためじゃない。
はっきり言おう。
携帯電話でも、人は殺せる。特定の人ではあるが。
電車内で空虚にこだまするアナウンスを聞いたことがあるだろう? 「心臓ペースメイカーの誤作動を引き起こしますので使用はおやめください」といったものを。あれは当初、マナーとかいうものを守るためのスケイプゴートとして認識されたきらいが強いが、実際のことなのだ。医療機器は電波によって狂わされるものがあり、それにより、心臓が止まってしまう人がいる。ペースメイカーで叩いてもらわないと鼓動を保てないのに、それを見知らぬ人間に止められてしまう患者。雑談や暇潰しのために心臓を停められてしまう患者。こういった人々は実在するのだ(因みに、筆者は発音上の無駄なこだわりで「ペースメーカー」ではなく「ペースメイカー」としている)。
なのに、健康な大衆は自分の健康に甘んじて「そんな人いないよね」という推測から携帯を使う。その認識は非常に甘えたものであり、同時に危険なものだ。なぜなら、そうした認識を抱くことによって、結果として「差別行為」を行っているも同然だからだ。無意識下で自分達が正常であるとして、彼らを非正常者として認めている。そうなると、心臓を停められたくないのは当然だから、患者達は電波の飛ばない条件下で暮らさざるを得ない。電車にも乗れず、碌に街にだって出られない。必然的に、病院にこもるようになってしまう。携帯電話を使われなければ、正常に暮らせるのに。見た目では解らないため、老人や病人が席を譲ってもらうように事は運ばない。だって、極端に言えば病人の一種であるのだから(気分が悪くなることも多いだろうし)シルバーシートに座っても、そこに安心して座ってさえいられないのだ。隣りに座る、怪我人の若者が(自分にとっては武器ではない)携帯をちらつかせるから……どこか「部落差別」と似た図式を示している。結局は、あれほど問題になっていた部落差別も学習の機会にはならず、大衆はまったく反省していないのだ。自分が「常」であることに胡座を掻いて、そうでない者を隅に追いやり、視線から消したがっている。
ところで、誤解されがちだが、ポータブルCDプレイヤーや携帯ゲーム機のように、電気が内部で作動するために使われるものと携帯は違う。電気で動いて発生した電波が外に、直接放射されるわけだ。つまりペースメイカー使用患者にとっては、空中に心臓停止を命じる波が放出されてしまう。だから同じ電波を使ったものでも、通常の電話や公衆電話は電話線を通じているので放出はされていない。そのため、心臓ペースメイカーが電波により機能が停止(あるいは変調)してしまうことが危ぶまれたのは、携帯電話が隆盛してからだったわけだ。遅い。遅過ぎる。しかし、それを招いたのは不道徳。結局は使用者によるモラルの欠如、つまりは健常者であることの「甘え」や「驕り」が引き金となったわけだ。
だから僕は、電車の中で携帯電話を手に持つ人間をこう呼ぶ。
――「人殺し」と。
それは患者にとって、殺人銃をちらつかされているも同然だからだ。ホルスターにしまう(携帯をバッグやポケットにしまう)こともせず、誤爆しないように安全装置を入れる(携帯の電源を切る)こともせず、すぐに弾丸を発射できるようにトリガーを引き続けているのだから!
日本が平和だなんて、誰が言った? 彼らにとっては、銃が問題になる犯罪大国アメリカよりも危険とも言えるのだ。
「この人殺し!」
何度そう、叫びそうになったか……僕自身は幸いなことに健常者なのだが、心臓ペースメイカー着用のちょっとした知人がいる。出かけることさえままならないその人を思いやると、毎日の通・退勤が怒りに満ちて仕方がないのだ。健常であることに甘え、驕り、結果差別心丸出しにしている人々への怒りで。
暇潰しのネット閲覧で、くだらないメールで、公共に私的な場面を無理矢理嵌め込んだ会話で、ペースメイカー使用患者は隅に追いやられていく。または、殺されていく。しかし殺人者には自覚がない。健常であることに甘え、驕り高ぶる殺人者には。
ひとごろし。
一回でも、死ぬ思いをしてみろ。そう言いたくなる。そうすれば相手の気持ちも解るだろう。
最近では、シェア拡大に伴い地下でも電波が通るケースが多い。電波が届かないほどは深くない地下鉄も多くある。つまりは、ペースメイカー患者はもはや地下鉄にも乗れないということである。「地下だからメールの文章ぐらい作ってもいいでしょ」なんて甘えは許せない。誤爆(不意の着信)の恐れだってあるのだから。「地下鉄は安全だと思ってたのに……お陰で職場に通えず、学校や会社を辞めざるを得なかった」と嘆く患者も多いと聞く。暇潰しのメールのせいで、患者の人生さえ狂わせているんだぞ? 自覚ないだろうけどさ!
人殺しだよ。やっぱり、結果的に。患者の人生から希望を殺している。
あなたが人殺しでないことを証明できる行動は、ただひとつ。
電源を、切りなさい。
酔っ払い運転バス
しかし大衆のみならず、マスコミも健常であることに胡座を掻いている。
呆れた事件がひとつあったのだ。それは酔っ払い運転をしたバスに乗った女子高生が、携帯のメールでその危険な場面を逐一母親に報告し、後で恐怖を示す材料になったとかならないとか。
それを報道したワイドショーは、見るからに悪である「酔っ払い運転手」ばかりを糾弾していた。そして女子高生はヒロインにさえなりそうな雰囲気で話が進められていた。テクノロジーの進歩はすごい、なんて言葉も吐かれていた憶えがある。
ちょっと待ってくれ。
バスも電車と同じで、公共の乗り物だ。つまり携帯メールを投げた時点で、女子高生は「ペースメイカー患者なんていないと思い込む差別者」なわけだし、その行為を誉め称えるキャスターも同じ。おいおい、もはや「車内では携帯電話使用禁止」なんて当然だったマナーとかいうものも、全国的に消されてしまったのかよ!
しかも、だ。それが緊急事態に突入してからであれば話は別。幸いペースメイカー使用患者はいなかったから無事に済んだのだし、恐怖を示す材料になったのも、まあ功績にすることもできだろう。だが、緊急事態ならメールで自分の母親に報告するのではなく、なぜ「警察なり消防なりに電話をかける」ことができないのだ? メールを送信するのだって電波を発信するわけだから、結局は同じこと。リスクが同じであれば、効果の大きいものを選ぶぐらいの思考はできなかったのだろうか? 普段から車内で当然のようにメールを楽しんだ結果が招いた、自己快楽から脱却できない未熟な判断力の産物なのではないか? 誉められたものじゃないだろう。
さらに、この報道には大きな落とし穴がある。女子高生は緊急事態に陥ってからメールでヘルプを求めた(いや、助けを求めているのではなく、内々で報告処理しているだけだ)のではなく、よりによって乗車直後からメール送信しているのだ。母親に届くメールが「これから出発でーす」とか「外の景色がキレー」といった内容から「なんだか様子がおかしいよー」とか「運転手が酔っ払ってる、怖いよー」に変わったのだという。おいおい、つまりは公衆不道徳者なんじゃないか。どうして誰もそれを指摘しないんだ?
あまつさえ、母親である。それが車内から送られているというのに「楽しんできてねー」といった陽気な返信をしたのだそうだ。昨今の親は、我が子の不道徳を咎めることさえできなくなったのか! どうせ甘やかして携帯の料金も払ってやってるんだろう、なんて憶測は怒りに任せた邪推なので省略するが、いかんせん、甘えが過ぎる。驕りに満ちている。
しかも、誰もそれに気付かない。
ワイドショーのスタジオ内が明るい雰囲気なのが、逆に異常だった……。何より不道徳が常識として垂れ流されるのを見るのが、今は怖い。非常識が笑いとなる番組ではなく、常識を訴える筈の番組で、それがなされてしまったのが怖い。
大晦日〜元日の急患
もうひとつ、携帯にまつわる問題がある。
数年前から、大晦日から元日にかけて「しばらくお待ちください」という表示がされるようになったことは、携帯電話の使用者であればご存知だろう。その理由が「新年の挨拶」をするためにかけられる電話や投げられるメールで、回線がパンクしているせいだ、ということも。
危惧したものだ。こんな時に外なんかで緊急事態になったら、連絡はどうするんだろう、と。
すると、実際にあった。それもきわめて重大な事態にして、問題が。
これは医療従事者から聞いた話だ。そのため記憶が曖昧なのだが、大筋は事実であるので、筆者による事実の再構築になっているのはご容赦頂きたい。
ある母子家庭の女の娘がいた。離婚などの家庭の事情もあり、また当時は特別な業者でも回線はまだ高かったので、彼女の家は通常電話回線を持っていない。そうなるとお手軽な携帯電話に手を出すのは仕方のないこと。ただ彼女は、きちんと電話代わりの連絡用にそれを使っていたので、彼女に関する「マナーとかいうもの」の話ではない。
問題は、彼女の母親が心臓の病を患っていることにあった。しかし自宅療養が続き、なんとか平常な暮らしは営めるようにはなったが、彼女は常に心配だった。何度も発作が起こり、病院などに携帯で電話をしたこともあったから。
予測はつくだろう?
よりによって母親が、大晦日から元日になる頃に発作を起こした。慌てふためき、病院に電話をしようとする彼女。しかしそこにある表示は――「しばらくお待ちください」だった!
回線の回復など待っていたら、母は死んでしまう。かといって、家に一般電話回線はない。しかも昨今の携帯の流布により、近くの電話ボックスは軒並みなくなってしまった。手段がない!
しかし機転を利かせた彼女は、幸い起きていた隣家の電話を借りることができた。お陰で母親は間もなく病院に送られ、一命を取りとめたという。しかし隣家が寝ていたら、彼女はどうしただろう? かけられない携帯を手にして呆然と立ち尽くしたのだろうか? 事なきを得たのでその推測はやめにするが、いずれにせよ、くだらない、つまらない、無益な新年の挨拶のせいで、彼女の母親は死にかけたのだ。お手軽なコミュニケイションのせいで。
つまりその瞬間、全国的に人殺しが発生していることになる。極論ではあるが、れっきとした事実だ。
こうした理由や事実をもって、僕は携帯電話が嫌いだ。しかし各種連絡の都合上、持ち続けている。それでも公共に私的な姿を晒すのはごくごく控えているし、あらゆる車内では使わない。電車やバスに乗ったり、多くの人が集まる際(喩えばライヴなど)はなるべく電源を切るし、切り忘れた時に電話がかかってきたとしても、絶対的に出ないことにしている。乗車時の電源の切り忘れは僕の驕りの現れでもあるので、なるべく意識して電源を切るようにしている。
僕は、人殺しなんかにはなりたくないから。
患者達も当然のこと、殺されたくなんてないだろうから。
僕がいつ躰を悪くするか解らないし、そこで悔いたくもない。
ましてや、不道徳を常識にすげ替えたくない。
……本項は、携帯電話を持ちながらにして好まない人間からの、せめてもの意見である。自分のつまらないエゴばかりを押し出すのではなく、他者を思いやる気持ちを持ってほしい。ましてや、その他者が「存在しない」と思い込むなどもってのほかだ。
わかってくれたかい?
この人殺し!