携帯電話との果てしなき戦い:09

〜人の杖を蹴る男〜

 以下の会話と説明は、私が相対した男との実話である。
 エゴイストと嘘吐き、どちらが正当であるか、それは読者の判断に任せたい。

「優先席では携帯電話の電源を切ってくれないか」
「……(無言で渋々携帯をたたむ)」
「電源を、切ってくれないか」
「……(無言で渋々電源を切る)」
 男は携帯電話を手に持ったままにしている。
「携帯電話はしまってくれないか」
「……いちいちうるせえなぁ」
「しまってくれ。見るだけでおかしくなる」
「うるせえ」
 男は私の杖を蹴り始めた。
「刃物をちらつかされて怖がらないことはないだろう? しまってくれ」
「うるせえ」
 男は私の杖を蹴る。
「なぜそんなに蹴るんだ」
「おめえがうるせえからだよ」
「なぜうるさく言ってるかといったら、あなたが間違っているからだ」
「うるせえ」
「どっちが間違ってるんだ?」
「うるせえ、電源切ったら関係ねえだろうが」
 杖を蹴る男。揺らぐ私の体。
「見ているだけで不整脈が起こるんだ。しまってくれ」
「うるせえ、逆向いてろ」
 杖を蹴る男。杖を落としてしまう私。拾ってくれたのは見知らぬ周囲の人だった。
「これだけ蹴られたんじゃ、お返ししていいのかな?」
「うるせえ、二倍返しにしてやるよ」
 何度でも男は杖を蹴る。
「私が弱者だから、そんなに強気なのかい?」
「うるせえ、弱者を盾にすんな」
 何度でも男は杖を蹴る。
「差別者」
「うるせえ」
 何度でも男は杖を蹴る。
 じきに私は息が荒くなり、その場に倒れそうになった。
「それで社会人か……」
「うるせえっつてんだろ」
 再び蹴りによる杖の落下。再び拾ってくれる見知らぬ人。
「こちら、座ってはいかがですか」
「ごめん、携帯で人殺しする差別者の正面なんて座りたくないんだ」
 やがて私の降りる駅に到着する列車。
 男は、最後まで携帯電話をしまってはくれなかった。
「バイバイ、差別者くん」
 こんな朝の出来事に、私は、哀しいどころか情けない気分でいっぱいになった。

 男の理論は「うるせえ」のみだった。
 こんな「電車」に、私はいつまで乗り続けなくてはいけないのだろうか。
 奇しくも社内には「東京メトロはより快適な乗車を……」というアナウンスがこだましていた。

 やはり弱者は、弱者としてしか生かされないのかい?