岩波文庫をどう思いますか

〜権威と流行〜

 岩波文庫といえば、文庫では一種の権威的存在になっている。
 というのも、日本文学で言えば他社の文庫が表記を今では現代仮名遣いに直し、現代人にも読みやすいようアプローチしているのに対し、岩波文庫は旧仮名遣いのまま通している。これはオリジナルの表記を改めることで作者の意図が「誤訳」され、改作されてしまうことを防ぐとともに、読者にとっては雰囲気をそのままに味わえる利点がある。もちろん読みづらいのは承知のうえで、岩波文庫を求める人は多い。
 さらに岩波文庫は、新潮や角川が売れそうにないため、出さなかったり重版しないマイナー作家の作品も数多く出している。だから隠れた名作と呼ばれるものは、岩波文庫に多い。徳冨蘆花のようにある程度有名であっても売れないと判断されるものは、他の出版社ではまるで出さない。しかし岩波文庫は学術的な目標を掲げてそれに焦点をあてたラインナップを売りにしている。評価が定着しているものなら、売れ線無視で突っ走ったあげく誰かしか購入する人はいるのだ。
 そのため岩波は、文庫に限らず「売れ線」や「現代作家」を殆ど扱わない。単行本では幾らか扱うものの、文庫では皆無だ。それよりも学問や芸術に視点を絞り、手軽な文庫にありがちな通俗本や娯楽本は扱わない。そのうえ原則的に(出版社在庫切れはあるものの)絶版にはしない。
 だから文学に限らず、思想・科学など幅広く学術的に岩波文庫を愛読している人は多い。流されがちな現代のもろい価値観より、評価の確立した名作・名著を絶やさず伝え続け、そうした作品を求める人には権威的存在になっている。そもそもが「より多くの人々が手軽に学術的な著作を読めるようになることを目的として創刊された日本初の文庫本シリーズ」であるからして、自然と古典的価値を持つ書物を刊行するようになったのだ。
 岩波文庫がそんな強硬な態度に出られるのは、それが売れなかったら返品できる他の文庫と違い、返品のきかない「買い切り」という商法を採っているからだ。他社の文庫は委託販売ゆえに発注しても人気があると数が確保できなかったり逆に思うように売れなくてダブついたりすることがままあるが、岩波は人気の本を扱うわけではないのでリアルな数字で入ってくる。そして原則、返本はできない。
 お気付きだろうか。岩波文庫の巻末には、だから近刊や話題作の広告がない。流行前提の刹那本を売りさばいて小銭を稼がずとも、確実に購買者が望めるから。広告はあっても広辞苑ぐらいだ。
 古本で言えば、商品を手早くさばくことが第一のBOOK・OFFでさえ、店によるものの岩波文庫は105円コーナーには並べない店が多い。同じく安売りしないちくま文庫と一緒に並べている店もある。さすがに消費税導入前のやつなんかはそうでもないみたいだけど。
 いろいろな作品をむさぼり読む人にとっては、実際その本がどの出版社のものかは余り問題にしないかも知れない。しかし岩波文庫は古本では他社に較べて絶対数が少ない。資料的な側面も強く、読み棄てたり飽きたりするものではないので、処分する人が少ないからだ。授業のテキストに使って、書き込みだらけで処分されたものもあるが、それは教育者が岩波の権威にすがり、学生は使い終わったら売ってしまうという価値観の違いをあらわしているようにも思う。と同時に、テキストにも使えるほどの権威があるという証拠だ。
 でも、岩波文庫を「時代遅れ」となじる人も少なくない。今の時代に合った、リアルな作品を読ませてくれよ! という。
 というのも、価値観が今じゃないのが問題なのだ。幾ら不朽の名作とは言っても、いまどき方法序説にのっとって良識を推量するような人はいないに等しいのだ。価値はあれども古いのだ。それより勝間なんとかの薦める価値ある本とやらを読み棄てて、最新ミステリーを読んだ方が今の風潮に乗っていけるのだ。
 なので、
 古本として扱うのに、ちょと困る。
 だってさ、時代小説の方が確実に出るんだもの。かといって岩波を最安値で売り叩くのも1冊1冊に価値を見出す古本屋としては難だし、権威的に思ってる人がいることはいるんで叩き売りはしたくない。だって僕なら買うもの。はい、権威に弱いっすね。というか無理に仮名遣いを改めて読みやすくするのよりオリジナルらしくていいっす。青空文庫みたいな。じゃあそっち読めよ。でも文庫というフォーマットになっているのが(以下本フェチのたわごとなので略)
 ともかく。
 岩波文庫は、古本屋にとってもある種の「権威」である。なので、特別扱いしている古本屋も少なくない。初版再販はあたりまえとして、カヴァーの有無からパラフィンにオビ、色指定に印字形式まで問うてくる。うーむマニア泣かせ。
 そのため岩波文庫が多数置いてある古本屋は、マニアの間では重要視されている。ちくま文庫や講談社学術文庫、現代教養文庫と並んで需要がある。神田神保町まで求め歩く人もいるのだ。そうでもしないと読めない古典の名作などがあるのだ。そういうものは刹那的な読み棄てラヴ・ストーリーにはない味わいがあるのだ。そういうものを好む人が、確実に存在するのだ。
 というのは、割と古本屋視点の話なのじゃないかと思う。だって今時『サイラス・マーナー』とか読む人いないもの。面白いけど古いもん。ただでさえヘミングウェイですら古臭いとか言われるのに、古典なんか現代人には必要ないっしょ(キムタク風に)。っていうのが実情なんじゃないかなぁ。
 だから、岩波文庫に権威を感じるのはもはや古い人間の証のような気がするんですね。だって新潮でもっと読みやすい中古105円の文庫があるし。ジャケ(←表紙とかカヴァーって言えよ)違うだけだし。解説なんて読まないし。って人が多くなったんじゃないかなぁ。
 でもね、他社では出ていない葛西善蔵を岩波文庫で読み直して、改めて「ええなあ」と思ったんですよ。こんなつまらない(失礼。いい意味でですよ!)私小説は決して売れないから、新潮や間違っても角川や集英社では出さないだろうな、と。そんな文学的欲求まで満たしてくれるのは、やっぱりチカラある証拠なんじゃないかなあ、って。
 だから僕は、岩波文庫を積極的に支持するわけではないけど、必要であり存在していてほしいと願います。
 みんながみんな、流行かつ感動のラヴ・ストーリーばかり読みたいわけじゃないのだよ。
 だからね、
 岩波文庫が安売りされてたら、迷わず買っちゃいましょう! セドリ上等な古本屋的にそれはOKです。現代の価値観に追従している新古書店からせしめてください。で、手に入らなかったら素直に注文しましょう。安く買える以前に読めるかどうかが、岩波フリークの価値観なのだから。
 幸田露伴『五重塔』の岩波版の読みづらさを知ってくれ。俺ぁ何度投げ出したかわからんぞ。

 とまあ、
 岩波さんは何だかんだ言って、一部の支持者により人気なのでまだまだ大丈夫でしょう。
 古い価値観を振りかざす人は未だにいるわけだし……って俺か?