バイト志願の高校生

〜君達は若過ぎる〜

 葉桜書房の近くには高校があるんだけど、そこの男子高校生がひと月に3人も「バイト募集してませんか?」と訊いてきた。
 今は、いろいろ幅広く知ってる店長に、まっとうな読書家で多方面に興味のあるNさん、きわめて乱読家で無頓着な僕、の3人で実に落ち着いたシフトになっているので、無論「募集してないっす」と断るんだけど、そういう高校生って、みんなBOOK・OFFで働くぐらいの気持で来るみたいなのね。その証拠に、彼らが徘徊するのはコミックの棚だけ。文庫の棚にさえ行かない。どうやら「俺は漫画には詳しいんだけど、どう?」って気分らしいのだが、おいおいである。それなら手塚の文庫や大判コミックの立ち読みでもしてください。君は『ワンピース』とか『バキ』みたいな漫画にしか興味を示していないじゃないか。
 BOOK・OFFは完全マニュアル制だし、チェーン店だから気負いもないよ。でもね、葉桜書房は個人経営で全ジャンルを取り扱う店なのです。それは店を隅から隅まできちんと見て回れば、自然と雰囲気で理解できる筈だ。マニュアルなんて、形式ばかりの発行年数に応じた掛け率の値付け表ぐらいしかない。漫画に文庫に単行本に専門書に実用書に美術書や雑誌(と、成人本ちょっと)まであるからね。それが彼らは、コミックしか眺めない。それで自分の仕事にできると思っている。
 うーむ、である。
 まぁ高校生のこと、近くで楽で興味のある仕事で些細な金稼ぎができればいい、と思っているのかも知れないけど、それにしたって君達は時間的にフル・タイムで働けないではないか(いかんなぁ、こうして文を書くと矢張おっさんになったものだ)。そんな都合のいいバイトなんて、なかなかないのだよ。近くの中華料理屋の夕食時に汗を流す方が、至極まっとうな金の稼ぎ方だろう。
 以前、葉桜書房でもひたすら棚を埋める期間には高校生を雇っていた。それも女子高生、Yちゃんである。となると、偏見極まりない人やその道の人は「ションベン臭ぇ女子高生なんか使えんのか?」と言うかも知れないけど、Yちゃんはいろんなものに興味がある人だった。趣味範囲や話題などから、まだ未熟な感は否めないけど、年齢的にしょうがない。それでも小説も多く読むし、たまに専門書に興味を持ったりして、コミック棚しかうろつかない男子より数段モノを知っている子だった。
 そういう人は、成長する。失敗と成功の懊悩を繰り返す。読書で言えば、つまずきながら多彩なジャンルを読むようになる。映画もきっとドラマ志向なものだけじゃ物足りなくなるだろう。付き合いで言えば愚かな付き合いとか惰性とか発展的な付き合いとかの境界を見られるようになる。っていうのは、一時期なりとも親しく接したYちゃんに対する希望的観測でもあるんだけどね。やさしいなぁ、俺(自嘲 ← これ書きながら酒呑んでますから)。
 でも、コミックしか、それも話題作をザーッとさらうでもなく、自分の好きなもの「だけ」を刹那的に楽しむ人は、自己快楽に溺れ死ぬ。これはコミックだけでなく、小説だってそうだ。西村京太郎しか読まない人はそれ以上の文章の素晴らしさを知らないし、認めようとしない。逆に大正時代の文豪や幻想文学を偏愛する人は、現在の、現時点でのリアルな価値観が作れない。赤川次郎を好きじゃなくても最新作はチェックするぐらいできなきゃいけないのだ。
 なお赤川次郎は、その道の人に「週刊赤川次郎」と揶揄されるぐらい、扱いにわややな存在である。面白いことは認めるけど、価値観が雑誌的なのね。刹那的なのね。ゆえに殆どの古本屋で、最も抱える在庫になるという。そこがミステリー系の強みであり弱点であり、新古書店ならいいけど古本屋では扱いがチト困りモノなんである。だが実際、売れる時は売れる。しかし売っていて何だか微妙な気分になるのも事実。あ、赤川ファンを敵に回しているわけじゃあないよ。かく言う僕だって荻原浩とか奥田英朗とかのわかりやすいものも好きだもん。桐野夏生だって読む(わはは)。実は江國香織も嫌いになれない(ぎゃあっははは)。すべての文章表現に芸術性を求めてはいないよ。ハリウッドやドラマも必要だと思ってるよ。「ごくせん」好きでしたよ。原作は買わないけど。大っ嫌いだけど辻ナントカに需要があるのは認識してるよ。
 閑話休題。
 で、だ。つまりは、「古本屋で働きたい気を起こすぐらいなら、すべてのことに興味を持て!」と言いたいのだよ。そりゃあ僕なんか乱読かつ偏読さらに珍読なので、そう言っておきながらおめぇはどうなんだよ、と言われたら、すんませんまだ修行中です、と謝ってしまうけど(この齢になってまだ修行中って……)、少なくとも、もう終わったドラマ原作の漫画を値上げするのはやめて、昭和初期の新書は店長に「これネットで相場を調べてください」と頼み、Nさんと今後の店の展開をどうするか話し合ったりする。そういうことが、いろんな意味で「フツー」の高校生男子につとまるか、ということだ。
 君達は若いから、無限の可能性に満ちている。だがその実、若いからこそ価値観が熟練した即効性には欠けている。それは青年期たる独特の生悟り時期のもたらす錯覚であり現実だ。若葉は一見美しく映るとも実を結ぶまでかなりの時間を要する。だが当店は即効的な熟した実すら求められぬのが現状だ。なぜならそれなりに熟した実は、既に埋まっているから。
 ってか、張り紙していない時点で「バイト募集してないんだな。チェッ」って思うんじゃないかな。フツー。でも実はNさんは張り紙を外したその日にパート志願に来たツワモノであり、その結果ありがたいのですが(笑)。それとも、すごく暇な時は本を読んでる僕を見て「あれで金になるのか。じゃあ俺もやりたい」と思ったんだろうか。その本でさえ店長の指示により、出版関係ほか仕事に直接的であり間接的であるものを指定されているんだが。大好きな芥川や太宰だけをぼけーっと読んでるだけで金になるんじゃないのよ。無論急に忙しくなることもあるのよ。家に帰ってからも情報媒体をチェックして「6掛けできる漫画や小説はないだろうか」と思うのよ。今、『1Q84』を6掛けにするか5掛けにするかで迷ってるのよ。そろそろ潮時だと思うから。その買い取り値も1割じゃなく2割にしようかと店長と話してるのよ。1割だと渋る人が多そうだから。なかなか入ってこないけどね。
 あ、説明不足になったけど、葉桜書房の販売価格は基本高くて定価の5〜6掛けなのね。ポスカ付きとか中古相場が跳ね上がってるとかはもちっと高くしてるけど。で、買い取りの基準は最高値で1割なのね。これは新古書店を無視した古本屋基準らしい。買い取りが高くて1割というのは自己弁護になっちゃうけど、業界常識なんです。
 そういう、刹那的でも有益な価値観と、長い目での価値観を見出す目を持てるか、ということなのだ。まぁ年齢が僕の半分しかないので仕方ないかも知れないけど、それでも齢を重ねれば自動的に経験値がたまるわけじゃない。多方面にアンテナを張って自分で行動していないと、さまざまな経験値はアップしない。その経験値(知識・情報など)を活用するのが、仕事というものなのだ。そのうえ古本屋にはそういう経験値が高く求められる。完全マニュアル制の新古書店とは違うのだ。
 古本屋は人生の縮図だ。安く有益になるかと思えば、その実、本当に価値のあるものには触れられなかったりする。そうした価値も自分にとっての価値と、一般の価値がある。
 そういう業界に、漫画しか読まない高校生はおさめられないと思ってください。実際、君らが以前にここで書いた「東京国際ブックフェア」に行ったら、まったく興味ない本ばっかりだぜ? 美術書や思想書、経済書まで興味を示さにゃならん。そんぐらいの多面性がなきゃつとまらんのですよ。
 まぁそんなわけで、高校生のバイトは不要っす。
 美術書とか古い歴史書にもフツーに馬鹿安い値付けしちゃいそうだからね。今は落ち着いているのです。幸運にも人材に恵まれたお店に感謝しているのです。働くとなると、「ウチの会社」となるように、仲間意識というか社会性が成り立つものですから。単純に親の庇護でぬくぬくと生きている君らには解らんかも知れんが。まぁじきに解るようになるさ。
 高校生、大学行っておけ! そこで遊びまくっていっさい虚無になってボードレール読め!(笑) それから葉桜書房にバイト志願に来なさい。その頃に葉桜書房があればだが。僕もいるかわからんが。
 まぁ僕は、君らに文句を言いたいのじゃないよ。
 もっと視野を広げ、独自かつ普遍かつ広編的な価値観を見出し、真贋を問う眼を持ち給え、と言っているのだ。そうしてIT企業の社長になりなさいと言っているのだ(わはは)。

 齢を取ると、説教臭くなって仕方がないね。
 まぁそれは、老練という都合のいい言葉で片付けるとする。

 古本屋の店員というのは、店にもよるが、実は選ばれた精鋭である。
 BOOK・OFFなんかはちゃいますよ。あれはチェーン店でマニュアルがあるんで、ちょっと漫画読む程度でも雇ってますから。ここで言う古本屋とは、いわゆる「町の古本屋さん」です。いまは廃れようとしているギリギリの商売。そこに従事する者としてですね、納得がいかないことが続くんですよ。
「従業員募集」
 の張り紙に誘われて応募してくる人が多くいるんですが、おまえナメてねぇか? って人ばっかなんです。
 喩えば、自分の都合のいい時間だけで働きたがる人。
 午後の2時から6時までで週3日、そいで土日は休みとか、勝手な都合を押し付けてくる。おまえなぁ……おまえにはおまえの都合があるかも知れねぇけど、店にも店の都合があるんだよ? 本当はフル・タイムで働ける人が欲しいんだけど、そう書くと応募が減るから書けないんだよ。主婦の小遣い稼ぎ感覚でかかってくんじゃねぇよ。
 喩えば、変に偏った趣味のある人。
 ミステリーが好きなんです〜、と言ってればいいものを、それを文学だと思い込み、何でこんなに値段が安いのか、とか言い出す。もっと価値があるだろう、と。あんたね、相場ってものを知ってるかい? あんたにとってどんなに価値があるものでも、普遍的なものは安くなるんだよ。僕は村上春樹も好きだが、『ノルウェイの森』が高くならないのは納得できる。だって馬鹿みたいに売れたから。まぁ映画化されるからそこそこ上げてもいいかな、とは思うが。でもそういうことが通じない。自分の理想像で論理を展開しようとする。商品を商品として扱えなければ店員はできない。
 喩えば、古本屋なら楽でいいかと思う人。
 その人のなかでは「ボーッとレジの前に突っ立ってたり、座って本でも読んで時間潰しながらお気楽にできるバイト」という絵が大体描かれている。あのな、ナメんじゃねぇよ。古本屋は店主の言いなりになって売れ筋だけ扱う本屋とは違うんだよ。価値あるもの(プレミア品や売れ筋、いろんな意味で微妙に売れそうなもの)とそうでないもの(『パプワくん』やシドニィ・シェルダンなど)を判別できる知識がなくちゃいけないし、本やあらゆるメディアの情報を持っていないと判別できない。売れたら発注するフツーの本屋とは違うんだ。近しい人に「古本屋なら俺にもできそー」みたいなことを言われて、ちょっとイラッとキたよ、正直。値段付ける、棚に並べる、それだけでも知識・情報・センス・才能といろいろ関わってくるんだ。コンビニとは違うのだよ。
 というわけで、つまりは、古本屋というのは新刊を扱うのではないので、売れ筋や定期的に出る商品を判別するのも難しく、知識や情報が要求されるのである。そういったものがない人にはツマラナイだろうし、ヤリガイもないだろうし、魅力的でもないものだ。なのに「楽そう」というイメージが先行して、応募者がいるいる。そういう人らはのうのうと生きてきて知識や情報を察知する能力に欠け、判断力がない人が殆どだ。
 喩えば今、江國香織の『東京タワー』を幾らに設定するか?
 こういうビミョーな命題に応答できないと、つとまらないのである。できるかオメーに。今の売れ線かどうか、映画化からどれだけ価値が発生してるか、それとも価値がなくなってるか、いやでも固定ファンはいるか、コシマキに幾らか価値を出すべきか、そもそもこのコシマキは初版じゃなく映画化のあとだから価値がないのか、リリー・フランキーの『東京タワー』とどう差別化するか……と考えなくてはいけない。
 そりゃね、マニュアルじみたものはありますよ。でもね、僕は手塚の愛蔵版を105円にするほどマニュアル化されてません。価値があると解ってるからね。でもリサーチ力がない人にはそれが解らんだろう。それだけ経験や知識、情報の察知力は必要なのだ。音楽の感覚で言えば、売れ線J-POPやメタルばかり聞き流す奴にゃ解らんだろう。かといってプログレやマニアックなアイドルしか聞かない奴にも解らんだろう。
 だからね、町の古本屋さんでガンガンに働いてる人がいたら、その人は文学を志しながらも生活のために働かざるを得ないという苦境に立たされたようなバックグラウンドを想像してください。それで値段を見て「ああ、解ってるなぁ」とか「解ってないなぁ」とか思ってください。マニュアル化されてしょうがなく値段上がってるのだってるんだしね。
 価値とは結局その人自身に付随するものであり、世間にあるものではない。
 それを実感できるのが、古本屋である。