邦題を守る会:趣旨


 私はかねてより、CDが再販を重ねていく度に邦題が単純なカタカナ英語表記になってしまうのを憂えていた。なぜかというと、それは最近の映画タイトルにも繋がることになるのだが、ごくごく簡単かつ曖昧に言ってしまえば「味がなくなる」ということだ。
 ここで言う「味」というのは、無論“taste”ではなく、寧ろ“nice feeling”に近いものである。「日本語タイトルの方が何となくいい感じじゃなーい」と軽く言ってしまうのは簡単であるが、余りに直感的過ぎる。

 そこで、それを言い詰めるならば……

(1)どんな邦題であっても、当時の流行やら情勢やらを知ることができる。
(2)それによって、ミュージシャンとその音楽を時代の流れに照らし合わせて考えることができる。
(3)または、安易に流行に乗せて売ろうとしたメーカー側の姿勢というものを認識することができる。
(4)何より、楽曲を聴くうえでのイメージが湧く。
(5)または、単純に、日本語であると理解しやすい。

……などといった理由による。

 さらに噛み砕くことにする。
 英語を公用語としていない一般日本人にとっては、一部の闊達に英語を話せる者でもない限り、英単語の羅列から具体的なイメージを導き出しにくいものである。そのうえ難しい単語であればなおさらのことだ。
 そこに登場したのが「邦題」というものだ。
 これは、曲名を日本語によって書き表すことによってある程度概略的・全体的イメージを植え付け、イメージの具象化を手助けする手段であった。そうして音楽/映画に於ける「邦題」は、英語に対して取っ付きにくかった日本人が西洋文化の一角に触れる手助けとなったのである。
 しかし昨今の外国映画/音楽の「乱造」によって、いちいち邦題を設けることに物理的な無理が生じた。あるいは、ミュージシャンを「アーティスト」と表現する現在に於いては、邦題を与える価値のあるもの/ないものの区別が曖昧になってきた。
 そして気付いてみればいつの間にか、ごくごく一部のミュージシャンを除いて、邦題は死んでしまっていた。

……常々そういったことを考えていたのだが「邦題を守りたい!」としきりに実感したのはKING CRIMSONのライヴ・ベスト盤である『サーカス』がリリースされると同時に、彼らの大名曲にして代表曲“21st Century Schizoid Man”が「21世紀のスキッツォイド・マン」という阿呆らしいタイトルに変更されてしまったことだ。このタイトルには本当に、叶うことならポニーキャニオンに何らかの訴えを起こしたいほど憤りを感じていた(別項参照)。
 それが発端となり、当時の邦題を当サイトに表記し、一時保管所として閲覧可能にすることによって、微力ながらその存続に助力できまいか、と考えた次第である。
 邪推ではあるが、プログレッシヴ・ロック・ファンというものは「何らかの形で」細部にまでこだわる人間が殆どであると思うのだ。その中でも邦題というものは、なかなかのウェイトがあると思われる。しかし、私自身ネット検索を続けてみて、それを網羅したサイトが皆無であることを実感した。

 誰も彼も、機械的なカタカナ表記を好んで良しとしているのだろうか?

 そういった疑念混じりの想いから、ここに「今や失われてしまった邦題」を紹介していく。なお、私がここに記しているものは「カタカナ英語表記などに変わってしまったもの」であって、現在も邦題が守られているものは一部を除いて掲載しない。また、各曲に対して簡素な解説が加えられているが、前述の「21馬鹿(市川哲史氏により浸透したこれは蔑称ではなく、愛するがゆえに呼べるものだ)」のような深い考察を要するものは別項として設け、リンクを張っていく指針である。
「別にカタカナだって構わないよー。曲さえ良ければ何だっていいじゃん」という方は、即座にこのコーナーから退出願いたい。さもなくば、私のエゴイズムが必要以上に嫌味に感じられるであろうからだ。
 また「会」を名乗ってはいるが、それは全体のページ作りの雰囲気保持を考えたうえのことで、別段会員を募っているわけではない。私の意向に賛同できる方は、自分の興味のあるミュージシャンの範疇で構わないから、密かに邦題を守り続けて欲しい。仮に会則を設けるならば、以上である。
 また最後に、お願いとなるが、ここで取り上げられているミュージシャンについて不足している邦題などがあれば、遠慮なく指摘して頂きたい。私は何分「リアル・タイム世代」ではないゆえに、どうしても情報が希薄であり、自分で追い求めた範疇だけでは完全なリカヴァーなどできかねる(私は決して構築できない経験論に対し、最も劣等感を受けてしまう)からだ。

 それでは、一旦前ページに戻った末、それからお好みのミュージシャン(バンド)名を選択して閲覧して頂きたい。