シド・バレット:シドとロジャー
〜天才と秀才〜
シド・バレットがリーダー権と共にロジャー・ウォーターズによこしたもの。それは「天才になれない秀才の劣等感」である。
シド脱退後のバンドはロジャーが牽引し、シドの影響下にあるアルバムや楽曲を多数製作しているのは周知の通りだ。『狂気』での狂人のイメージ、『炎(あなたがここにいてほしい)』全体のコンセプト、『ザ・ウォール』の映画を中心とした主人公「ピンク」の描写、ソロになってからライヴ中にシドの登場するPVを流す……などなど、様々な部分でロジャーはシドからの影響を露わにしている。
「天才と狂人は紙一重」という言葉があるが、まさにそれを体現することになってしまったシド。彼に比べられるだけの才は、ロジャーには確かにあった。しかし、それはギラギラしと妖しく輝く「天才」ではなく、飽くまで構築的な、破滅の美しさには敵わない「秀才」だった。
フロイド結成前、学生時代にシドは絵画を学び、ロジャーは建築を学んだ。この出発点の違いが、既に彼らの決定的な違いなのではないだろうか。破滅の美学に限りなく近い美術学生のシドと、楽曲さえも建築学を機軸としたロジャー。その違いは、初期から楽曲という形で現れていまいか? シドは自分の内在世界を描くために作曲していたのに対し、ロジャーは自分の思い描く世界を構築していった。タッチは似ていることがあっても、ふたりの作曲方法は根幹がまるで違っていた筈だ。
つまりシドには、絶大な美学性があった。一方のロジャーには哲学性はあれど美学性に欠ける。構築的であるがゆえ、退廃的になれない。そして時として、退廃は美学と同居する。それをいつしか、ロジャーは劣等感として請け負ってしまったのではないだろうか? 建築学に基づいて「神秘」のような曲を作ったところで、それは芸術にこそなるものの、美学たりえない。視覚的な、カラフルなサイケ感を抽出したシドの作風に対し、ロジャーはまず思想ありきだった。
だがロジャーは自分のできる手法で作曲を続け、やがて『狂気』という完全構築物を作り上げた。そこで、彼の武器であった建築学は、ひとつの終着を見せた。後に残ったのは、今まで隠し抱いていた劣等感の爆発。どんなに美しく構築しようとも、シドの破滅寸前の美しさには敵わない。今まで亡霊のようにつきまとい、もはや恐怖の対象となってしまったシド……それを振り払う必要が、ロジャーにはあった。そこで彼は『炎(あなたがここにいてほしい)』を製作した。ここでようやく「狂ったダイアモンド」「あなたがここにいてほしい」という形となった具体的な例示でもって、彼はシドの生霊を消滅させることができたのだ。
その後も、シドを主人公のモデルに仕立てた『ザ・ウォール』や、ソロ・ツアーでの演出にシドのVTRを流すなど、まるで諧謔的にシドからの影響を見せたロジャー。彼は、そうまでしてでもこの天才に近付きたかったのだ。秀才として生まれてしまった自分を嘆き、天才の見せる美しさに魅せられていたのだ。
天才になれない秀才、ロジャー・ウォーターズ。
一方、天才であるがゆえに狂気の世界へ向かったシド・バレット。
このふたりとその楽曲を、今一度比較し直してみてほしい。そこには破滅の美学を体現するシドと、構築美の賜物を武器とするロジャーの違いが現れているのだから。ことソロ・ワークでの比較は、アイディア一発のシドとコンセプトありきのロジャーとでの比較となるので、彼ら自身の気質がよく現れており、非常に興味深い。またフロイド時代の名作の数々が、シドの影響力とロジャーの手腕とが成した結晶であることも忘れてはならない。