ロジャー・ウォーターズ私論:その現在と未来

〜『ベスト〜flickering flame』考〜

「はじめに:ロジャーの現在」

 私は、ここでロジャー・ウォーターズという人物を考え直してみることにした。
 フロイド過去作品の整理、念願の全世界ソロ・ツアー、30年振りの来日、それに次ぐベスト盤発売……これらが立て続けに行われた世紀末から新世紀の間、そこにできた明確な区切りは、それをして「現在の彼」を改めて見詰め直すのにも良い機会であると思われるためだ。
 ことの始まりは『ザ・ウォール・ライヴ』の発売にさかのぼる。一見、もはや彼との関係性が薄いように見られるその遅れてきたライヴ・アルバムには、発売に際してある交渉が行われたとされる。フロイド側はそのリリースを許可した一方で、ロジャーは引き換えの条件を課した。
「法的にライヴ録音を許されなかったフロイドの楽曲の録音使用許可」
 である。 
 つまりは、裁判沙汰の末にデイヴ・フロイドに録音の権利を奪われたピンク・フロイド時代の楽曲、それを自由にせよということだ。それは許可され、彼は沈黙を破っての全世界ツアーを開始する。一方のデイヴ側は、ライヴ披露の際にロジャーがペンをふるったフロイド曲は使用料を払うことを課せられ続けたままだが、ロジャーは策士さながらの交渉で、まったくの自由を得ることができたのだ。
 そうして発売されたのが、初のソロ・ライヴ・アルバムとDVDの『イン・ザ・フレッシュ』。
 これに同調するかのように企画が持ち上がり、実現したのが、初の「全面公式」ベスト盤『エコーズ〜啓示』。
 その機運に乗って、実現したのが日本でのロジャー・ウォーターズのソロ・ライヴ。
 さらに復活の波に乗って初のソロ・ベスト盤『ベスト〜flickering flame』の発売。
 このように、それらは微妙な関係性を持って現在まで発展してきた。一見すると、ロジャーの『ザ・ウォール・ライヴ』に端を発する策略のように思われるかも知れないが、彼は傑作なのに不評で迎えられた『死滅遊戯』発表から、ようやくにして歓迎されるようになったソロ・ツアーの実現まで、10年近くの沈黙を要してきたのだ。念願叶った勢いが続いた、と見るのが冷静な見解だろう(彼と、そのレコード会社の相互利益を考えて)。
 その、ひとつの勢いの終着点と見ていいだろう初のソロ・ベスト・アルバム『ベスト〜flickering flame』を、ここでは特にクローズ・アップすることにしよう。それが彼の集大成であり、「ピンクの虚像(或いは巨像)」に押し潰されてしまいがちなソロでの彼を理解するに充分な資料であるのだから。それに不可要素を加えて考えることで、彼の現在を見詰めることができるだろう。

「ロジャーとフロイド」

 さて、本作『ベスト〜flickering flame』について、まず言うべきことがひとつ。その名義上、当然のことである筈なのだが、それを守れないリスナーが余りに多いので、最初に釘を差しておかなければならない。
「このベストに、ピンク・フロイドを求めないでくれ」
 これはどういうことかというと、やはりロジャー・ウォーターズという人間を「もとフロイドのリーダー」という目でしか見られない人間が多い。だがそういう者に限って「ソロになったら駄目だね」などと偉そうに発言するのも事実である。ロジャー自身はその「ピンクの虚像」に何度も戦いを挑み、その度に自分の抱くコンプレックス(実は、これこそがフロイド時代の創作エネルギーでもあった)を解消し、確実に前に進んできた。なのにリスナーの多くは彼のソロ作にもフロイドの影を求め、それが見られないのでデイヴ主導の「懐古主義フロイド」を崇め、しかし「プログレッシヴではなくなった」などと身勝手なことを言い出す……。
 こうなると、ロジャーのソロ・ワーク不振と、デイヴ・フロイドの低迷は、およそリスナーに原因があるのではないだろうか? という考え方ができる。過去の栄光を求めつつ、しかし創作欲求豊かなロジャーがいないといけないと言い、かといってロジャーのソロ作を熱心に聴くわけでもない。それは彼のソロ作にはフロイドの影を払拭しようとする傾向が見られるからであり、だからこそリスナーはいつまでも過去の栄光でもってフロイドを語る。しかし過去の栄光を求めつつも……という永久矛盾に、リスナーの一部は確実に陥っているのだ。
 その典型的な例として「ロジャーがフロイドにカム・バックしてほしい」という意見がある。
 これこそ、その矛盾の集約だ。ロジャーとフロイドとの現状を把握できていないにもかかわらず、過去の栄光ばかりを見詰めている、甘い幻想ではないだろうか。それとも、それでも無理をして『ファイナル・カット』をまた作れとでも言うのだろうか。
 そんな者にこそ、現状を把握するために『ベスト〜flickering flame』を聴いてほしい。いや、フロイドとロジャーの「現在」を語りたいのであれば、聴かねばならない。現状を把握できない幻想など、もはや現在のロジャーにも、フロイドにも迷惑な話でしかないからだ。
 上記の理由をもって、まず、私は幻想主義を受け入れないこととする。これは、酒の席で「フロイド再結成でもできればねえ」と言うのなら話は別だが、本気でそれについて言及する人間が後を絶たないためである。
 それでは、ロジャーにとって祝うべき初のベスト・アルバムとなる『ベスト〜flickering flame』を軸として、彼の現在を見詰めていこう。

「ふたつのベスト」

 折りしも『ベスト〜flickering flame』の前年には「黄金期ピンク・フロイド4人全員が初めて関与したオフィシャル・ベスト」としての『エコーズ〜啓示』が発売されていた。その直後にロジャーのベストが発売されるというのも、まるで『鬱』と『RADIO K.A.O.S.』の争いを見るようだが、今回の発売に際して、そのようなバックグラウンドはない。冒頭に記したように、時期が折り重なった「必然的な偶然」によるものだ。
 だが『エコーズ〜啓示』には、よく言われるようにロジャーの意見は余り尊重されていない。寧ろフロイド側、いや確実に言えばデヴィッド・ギルモアの意見が最も尊重されていた。それはシドの曲が多く含まれていたことからも読み取れるし(別項参照)、彼の主導を匂わせるロジャーの発言も多く存在する。だが現在のフロイドはデイヴ主導であるのだし、それでもフロイド史を俯瞰できる選曲になっていたので、それほど文句はないだろう。
 だが両者とも、リスナーや評論家の勝手な物言いから「コンセプト・ベスト・アルバム」と呼ばれた。
 私はこの呼び名に、若干の賛同を示しながら首を掲げる。なぜなら、フロイドのそれはアルバム自体にコンセプト色は少なく、ピンク・フロイドの歴史を俯瞰する、ということがコンセプトとなっていた。そのため、作品自体がコンセプト・アルバムであるというよりも、ピンク・フロイドという存在がコンセプチュアルであったことの証になっている筈だ。それに対してロジャーのそれは、明らかにロジャー自身による強い想念のもと厳選された曲で構成され、そこでひとつの流れを形成していた。そこにロジャー・ウォーターズという人間をコンセプチュアルに俯瞰する姿勢はない。つまりは、作品自体がコンセプチュアルな流れになるように組み込まれている。
 だからこそ、両者は似たように語られるものの、その趣はまったく違う。
 そのうえで、過去の栄光ばかりを求められるので、それをどうしても引っ張り続けなければならないフロイドと違い、代表曲さえもだいぶ削って構成されたロジャーのベストは、主張が強く見られる。シングル曲は網羅しなければならなかったため、全編をメドレー的に構成してでも流れを調整しなければならなかった前者。対するはセールス不振を逆に武器として、流れに沿わなければシングル曲さえも削った後者。それをもって、両方とも「コンセプト・ベスト・アルバム」として同軸で語るのは暴力的な論であり、前述の「ロジャー・カム・バック幻想」を抱いたリスナーの欺瞞でさえある。
 だからこそ『エコーズ〜啓示』は、デザインやメドレーの具合ばかりが話題になり、内容については余り触れられなかった。どうしても「今さら」の感があるのだ。そういったギミック的な部分以外は意外性が少なく、主張もない。だが『ベスト〜flickering flame』には、凝ったパッケージ・デザインや凝ったエディットはない。若干のメドレー部分はあるものの、それも流れを整えるために必要最低限度のものに収まっている……つまりは、ロジャーは虚飾を省いているのだ。それに踊らされることになった現在のフロイドを揶揄してか、それとも単に生産性(=これがフロイドより売れないのは確かだ)の問題で凝らなかっただけの話なのかは解らないが。


『ベスト〜flickering flame』

 では、まさしく「コンセプト・ベスト・アルバム」と呼ぶに相応しい『ベスト〜flickering flame(以下、楽曲述懐部分では「本作」と呼ぶ)』は、何をもってそう呼べるのだろうか? それを考えてみよう。
 なお、収録曲の殆どの出典はオリジナル・アルバムより。シングル・ヴァージョンなどの珍しいテイクは採用されていないが、3曲ほど未発表のものを挟んでいる。それらを全編メドレー的に構成させており、クロス・フェイドなど何らかの形で繋がっている。

01.天国への扉
 本作はまず、意外な選曲と言えるカヴァーで幕を開ける。
 ここでまず、リスナーは違和感を受けるか納得するだろう。前者は主に「ピンクの虚像」を本作に求めた者。つまりは「ロジャー・ウォーターズ=ピンク・フロイド黄金期のリーダー」という語彙に踊らされて本作を耳にした者は、その虚像が感じられず、実像の小ささに首をかしげる筈だ。一方の後者は、彼のソロ・ワークをきちんと追い、考え、さらには最近の彼の傾向を幸運にも把握できた者。そのための参考資料として先の日本公演や、ライヴ・アルバム『イン・ザ・フレッシュ』は役立てた筈だ。それを参考にする時点で、それらに「ピンクの虚像」を求めていれば前者になってしまうだろう。楽しむと理解するというのは別次元の話なので、それを同居させてロジャーの理解者を気取ってはいけない(これは筆者自身にも言えることだ)。
 この曲は言うまでもなく、ボブ・ディランの代表曲のひとつ。様々なミュージシャンがカヴァーし、ディラン自身も、自身の活動30周年記念ライヴ(“THE 30TH ANNIVERSARY CONCERT CELEBRATION”収録)で参加者全員合唱曲としたことから、代表曲と認識していることは間違いない。ロジャー・ウォーターズとエリック・クラプトンという、一見噛み合わないように見える人間を一時期結び付けていた要因として、ディランの存在を考えることもできるだろう。それほどにこの曲の影響力は強い、というだけのことだ。
 ただ、そんな「有名曲」を、ロジャーがわざわざ取り上げたというところに現在の彼が見える。フロイド症候群とでも言える虚飾を廃し、等身大の自分を表現することができるようになった現在にして、銃を手に取ることもやめたという曲を穏やかにカヴァーするところに。つまり本作は「フロイド黄金期のリーダーのベスト」ではなく「ロジャー・ウォーターズという一人間のベスト」であることを冒頭のこの曲で宣言している。これを読み取ることさえできれば、後は流れに任せて楽しめるだろう。
 既発曲が多い本作の中でも、未発表曲のひとつ。シンプルなアコースティック・ギターと女声コーラスが折り合って、素朴ながら胸に染み渡る出来となっている。

02.トゥー・マッチ・ロープ
 ようやく現れたロジャー自身の曲は、お世辞にも代表曲や有名曲とは言えない曲だった。シングルでもなく、オリジナル収録アルバム『死滅遊戯』の中核曲でもない。だがメッセージ性ではどの曲にも負けず劣らず、ロジャーが追い続けてきた「戦争の現実」を最も顕著に表わしている一曲でもある……ロジャーは、前曲の導入から一気に、それも冒頭部分に自分の創作の中核部分を晒してきたのだ。そのため「これより先、ロジャーの世界」という関門をくぐった者を、さらに選別する一曲となった。
 曲の冒頭から、効果音が『ファイナル・カット』のホロフォニック効果さながらに響き、リスナーは急速にロジャーの世界に引き込まれる。或いは、拒絶反応を示す。リスナーが「ピンクの虚像」を求めるのであれば、ここでその欲求は否定されるだろう。そうでなければ、続く曲でもってロジャー・ウォーターズという人間を安堵の視線で見詰められるかも知れない。

03.流れが変わる時〜ライヴ・エイドが終わって〜
 この『RADIO K.A.O.S.』収録曲は、ひと頃のライヴでは必ず最後に演奏されていた。彼のソロ・ライヴから90年の『ザ・ウォール・イン・ベルリン』まで……だが、本作ではその曲は前半に早くも出てしまう。今までは「この世界が変わりつつある(=希望の光が見えそうだ)」というしめくくりをされていたのが、冒頭でそれを宣言されてしまう。
 そう、つまり、流れは「変わった」のだ。ベルリンの壁崩壊を記念した『ザ・ウォール』のライヴと共に、ライヴ・エイドは「とうに終わった」のだ。
 これは、ロジャーの心境や状況の変化を表す曲順だと思われる。今までは肯定的なことを言おうとしながらも、どうしても戦争の惨状、醜い現実ばかりを訴えなければならなかった。何より彼自身、物事に肯定的になれなかった。しかしソロ・ライヴが行われ、そのライヴ盤もリリースでき、沈黙からの復活を果たした……彼自身の流れが、変わったのだ。希望は与えられるものではなく、自ら作るべきものであると悟ったかのように。
 そして流れが変わった先に見出したものは、彼なりの「完全真理」だったということになる。

04.完全真理:パート I & II
 続いて、その歓声さえもメドレーのための効果音として使ってしまうという技巧を見せたこの曲は、オリジナル収録『死滅遊戯』では分離していた2パートがメドレーに再構築された『イン・ザ・フレッシュ』収録のライヴ・ヴァージョンが採用されている。そしてそこに訴えられるものは、私には一概に「これだ!」とは言えない。歌詞を読み、各々その世界から読み取るのがいいだろう。
 この曲について、ライヴ・ヴァージョンを採用したのは正解だったと言える。ライヴならではの勇壮なコーラス・アレンジと、女声ヴォーカル、そして歓声をあげる観客などからのエネルギーがオリジナルより数段優れている。
 当初、輸入盤(赤い紙ケース入り仕様と中身のみのものがあり)ではこのライヴ・ヴァージョンが丸ごとに、スタジオ・ヴァージョンの2パートが収録される予定だった。結果としては同じ選曲におさまったようだ。

05.三つの望み
 絶大なエネルギーの余波(歓声)を残しつつ、やはりメドレー的にせり上がってくるこの曲は、同じく『死滅遊戯』からの収録。当該作が、その売り上げに比べていかに優れた作品であったかを実感させてくれる。そこで歌われる「三つの望み」が、現在のロジャーには叶っているからだ。
 まず「レバノンでみんなが幸せになればいい」というのは、その「レバノン」は現地よりも、そういった惨状の意であるのではないかと私は思う。よって現実的には叶っていないだろう。だがそれを「現状打開」とすれば、彼にとっては、叶っている部分が多くあるのも今まで述懐した通りだ。
 次に「誰かがこの歌を作るのを手伝ってくれるといい」というのは最も解りやすく、最も実現した願い。仲間が欲しいということだ。但し馴れ合うのではなく、理解し合うための。多くの充実したサポート・メンバーに囲まれた現在の彼は、もはやこの望みを達成していると言えるだろう。
 最後に「おれが若い時におやじが死ななければよかった」というのは、もはや叶わぬ夢であるが、形を変えて実現された。つまりはファザー・コンプレックスからの解消。創作の鍵として常に存在してきた父親の虚像を、彼はフロイドを封じること、並びに『ザ・ウォール・イン・ベルリン』で実現させた(GOLD WAX記載の拙論を参照)。
 このようにロジャーと彼を取り巻く環境は、着実に流れが変わっている。だからこそ本作では、「流れが変わる時〜ライヴ・エイドが終わって〜」を3曲目という位置に配置できたのだ。
 さらに憶測するならば……それらは順に「現実」「愛」「希望」という、本作を貫くワードに置き換えられないだろうか? 詳しくはこれより読み進み、総括部分を参照してほしい。

06.5:06AM ストレンジャーの瞳
 幻想に満ちたファースト・ソロ『ヒッチハイクの賛否両論』から唯一の収録曲。当時はその夢幻世界の一ピースとして配されていたに過ぎないが、今にしてその意味が変わってきている。テイクも同じであるのだから歌詞も同じなのは当然だが、そこに表わされた言葉が今にして違う意味となり、現実味を帯びている。
「それらの中で僕には見えた、きみの瞳の中に輝く希望の灯が……」
 このワン・フレーズにそれは顕著だ。オリジナル・アルバムでは架空のフィルムのワン・シーンでしかなく、一時に見えただけに過ぎなかった光が、本作では確実に見えている。それは本作の実質的なタイトル曲である「フリッカーリング・フレイム」と相俟って……。

07.誰がそんな情報を必要としているんだい?
『RADIO K.A.O.S.』収録時のこの曲は、辛辣な現実だった。確実なものしか信じない、幻想なんか糞喰らえ、という歌詞は彼にフロイド幻想を抱く者にとって痛手だったに違いない。だがそれはひとつの真理であり、本作収録にあたって流れもスムーズになった前曲を受け、つまりは「確実な希望の光だけを信じる」という意味に取ることができる。それは場合によっては金かも知れない。だが、夢想に浸ってばかりのフロイド信者をやんわりと批判するにはもってこいの曲とも言える。それが前曲と組み合わされたことで、ますますそのとらえ方が豊かに広がっている。

08.イーチ・スモール・キャンドル
 新曲として披露され、『イン・ザ・フレッシュ』の目玉であったこの曲を、ライヴ盤そのままに収録。この曲こそが、現在のロジャーの思想を表わすに最も相応しい。それはこの曲が「流れが変わった」ことを示し、また「三つの願いが叶った」ことを意味し、「自由を示す揺れる炎」へと導くためのロウソクのともし火であるからだ。
 ロウソクの炎は相変わらず、凄惨な現実を照らしていた。しかしロウソクの炎はヒーターの熱と違い、強者も弱者も無関係にあたためてくれる。そこにあるのは「平等」、しかし無意味な並列ではなく、人間として平等の権利。生きる権利……小さいながらもそれは、確実に燃える。そのまま燃え尽きるのではなく、揺れる炎となるべくして。

09.フリッカーリング・フレイム
 前曲から続いて新曲となる、「ニュー・デモ」と補足されたこの曲は、一部の日本公演でも披露された「愛と自由についての歌」のスタジオ・デモ。現在はオリジナル・アルバム未収録であり、その表記からして次回作に収録される予定なのだろうか? だとすればこの曲を中核として、穏やかな希望の曲に満ちた優秀作になるに違いない。そう信じたい。
 ライヴで披露されたヴァージョンと異なり、ごくごくシンプルなアコースティック・デモ。ライヴのそれを思い描いて聴いた方は、恐らく驚くぐらいにシンプルであり、また、驚くぐらいにロジャーの歌唱法が変わっている曲だ――それは言うなれば、ボブ・ディランにも似た、くぐもったヴォーカル。本作のイントロ曲となったのが「天国への扉」のカヴァーであることといい、その接近が実に気になる。競演という意味ではなく、ロジャーがディランの活動やスタイルに何かを見出したのではないか、という邪推が湧いてくる。装飾を欠かさなかった今までの曲に比べ、素朴なデモを堂々と披露してしまう最近の楽曲……ロジャーは、虚飾をやめたのだ。必要最低限の飾りがあればいい。行間ばかりを読ませる意味深な音など、もはや要らない。現実を見詰め、受け入れ、そしてそれを改善することこそが彼には重要であるのだ。
 そのために必要なもの、それが愛。
「僕のエゴが、僕の邪魔をするのをやめて、僕にとってかけがえのない愛に意識を集中するとき、そのとき僕は、自由になるだろう」
 そこまで進むためには、もうひとつ、揺らめく炎を越えなければいけない。それは一種の試練。希望のともし火が増大し、希望ばかりが溢れることも現実逃避であると認識しなければならない試練。それを越えるには愛が必要であり、超えた先には愛がある。
 この曲は、人類に希求を訴える佳曲となるためのデモ・ヴァージョンであると宣言する。

10.タワーズ・オブ・フェイス
 ここで、またも有名曲ではないものの、重要曲といえる曲が現れる。ロジャーと当時のバンドが参加したサントラ盤『風が吹くとき』からの選曲であるこの曲は、フロイド黄金期を語るうえでの重要なひとりでもあるクレア・トリーさえ参加している。そこで歌われる世界の趣旨は、聖地には踏み込むことが許されないというもの。だが具体例を挙げられた聖地とはひとつのキー・ワードでしかなく、誰にでも不可侵たる聖なる領域は存在する。そこへ自らのエゴでもって侵入することは許されないながらも、そこを聖地としたままでは誰もそこへは近付けない。
 その均衡が、今となっては意味も姿も変わってしまった「世界貿易センター」という言葉でもって表現されているのは数奇なる偶然だろうか。

11.ラジオ・ウェイヴ
 終幕部分にしてこの『RADIO K.A.O.S.』を代表するナンバーが現れるのは意外かも知れない。だが、ロジャーは最後に明るい希望を配してくれたのだ。収録作では冒頭に配置されたことから、悲劇の序章という意味合いさえ含んでいた楽曲だが、本作ではそれを終幕に配置することでもって純粋な希望(但し厳しい現実を含む)に変えている。それが歌詞によく現れている。
「希望に満ちたラジオ・ウェイヴ」
「厳しい現実のラジオ・ウェイヴ」
 これを同時に受け入れ、求めることが必要なのだと、本作の配置は教えてくれる。

12.ロスト・ボーイズ・コーリング
 本作はそのまま、明るい未来を提示して終わっても良かった。だがアルバム未収録のデモ・ヴァージョンがここに公表された『海の上のピアニスト』収録曲は、ヴァン・ヘイレンのギターもないシンプルなその響きでもって、前曲のように現実と希望とを同時に訴える。大人に置き去りにされた少年、何かに怯えながらも成長し、ようやく迎えられた少年――父を失い、コンプレックスと戦い続けたロジャーは、ようやくにして世界に迎えられたのだ。
 だが、父親が死んでしまったという現実は残る。残されたのは過ぎゆく時間のみ。
 それでも、そこに意味や希望を見出すことは、もはや今のロジャーにはできる筈だ。そしてここまで通して聴くことのできた、彼の意志を受け取ったリスナーにも……。

 かくして本作は、希望を求め続け、やがてそれを得ることもでき、しかして現実と戦い続けるロジャーと、彼の世界の住人を描いた「愛と希望に向かうコンセプト・ベスト・アルバム」と言える。それを耳と文字から受け取ったリスナーに、ぼんやりとでも伝わっていれば幸いである。
 一時期のノスタルジーとして消化されてしまったフロイドのベストより、さすがに歴史は浅いものの味わいは深く、人によっては永遠のバイブルとなる傑作だ。


「おわりに:愛と希望」

 この「愛と希望に向かうコンセプト・ベスト・アルバム」は、ロジャーのソロ活動のひとつの集大成として編まれている。その選曲といい、コンセプチュアルな構成といい、一般的ベスト盤の概念から見ると幾分地味ではあるが、世界は広い。単にシングル・ヒットを並べただけのベスト盤とは雲泥の味わいがある。
 最近作『死滅遊戯』のシングルとなった「神話」や、中核曲の「死滅遊戯」、さらにはライヴ代表曲の「奇蹟」や「勇気ある撤退」を放ってでも「トゥー・マッチ・ロープ」や「三つの望み」といった地味な曲を選んだのは英断と言える。流れを阻むならばシングルや代表曲など関係ない。まず初めにコンセプトありき、という姿勢を徹底した、ロジャーの意地と誇りさえ垣間見れる内容となっている。
 オリジナル・タイトル表記に“Volume 1”とあるのも、彼の意志の現れだ。俺はこうしてベストを出したことで立ち止まりはしない、次に進むんだ、という屈強な意志の(または飽くまで便宜上の、幻想を廃した綴りとして)。
 これをもって彼は、次に、どこへ進むのだろう?
 これは個人的希望となってしまうのだが、本作で見せた「愛と希望に向かう」スタンスを貫き、傑作を作り上げてほしい。地味だって構わない。売れなくてもいい。今まで、悲観的な歌詞が目立った彼が、ソロ活動では次第に希求的な歌を作り続けてきたことの成果を見せてほしい。穏やかな愛に包まれてほしい。作品にも、ロジャーにも……
 現実を見詰めよ。
 但し、希望だけは失うな。
 そのためには愛が必要だ。
 これこそ、このコンセプト・ベスト・アルバムに表現された、愛と希望に満ちた現実へと向かうための一手段である。



flickering frame:The Solo Years Volume 1 ベスト〜flickering flame
1. Knockin' On Heaven's Door 天国への扉
2. Too Much Rope トゥー・マッチ・ロープ
3. The Tide Is Turning 流れが変わる時〜ライヴ・エイドが終わって〜
4. Perfect Sense part I & II 完全真理:パート I & II
5. Three Wishes 三つの望み
6. 5.06am (Every Stranger's Eyes) 5.06AM ストレンジャーの瞳
7. Who Needs Information 誰がそんな情報を必要としてるんだい?
8. Each Small Candle イーチ・スモール・キャンドル
9. Flickering Flame (new demo) フリッカーリング・フレイム(ニュー・デモ)
10. Towers Of Faith タワーズ・オブ・フェイス
11. Radio Waves ラジオ・ウェイヴス
12. Lost Boys Calling (original demo) ロスト・ボーイズ・コーリング(オリジナル・デモ)

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