アルバム・ジャケットを考える
〜UMMAGUMMA〜


最初に、言っておきたいことがある。
もしも「自分はフェミニストである」などという大いなる勘違い、隠れた差別者がいらっしゃるなら、そういった方はここから早急にご退室願いたい。そういった「モテたいために女を優先する」「ありもしないジェントルさを醸し出すために椅子を引く」ような方にとっては、このページは不快以外の何物でもないだろうから。同時に、飽くまで男女の身体的特徴を語っているにもかかわらず、性的表現であるとして不快感を覚える方も、ご退室頂きたい。それはつまり、保健体育の授業を行っただけで教師をセクハラ呼ばわりするような、フェミニストの延長にある気質だ。
本項では、アルバム・ジャケットそのものからのみイメージを捻出するのではなく、そのタイトル、さらには2枚組という形態も含め、様々な方向から考察してみたい。そうでもしないと、このアルバム内容の実験色が醸し出されたような抽象性の強いジャケット写真から、安直な考え――抽象画観賞時に陥りやすい「精神論」など――に身を委ねてしまいかねないからだ。それを踏まえたうえで、敢えて詳しく楽曲と比較しないことも述べておく。
さらには、『鬱』以降3度目の「胎内表現」となることを断っておきたい。無理強いして別の変わった考え方をすることもできたが、それよりも、いっそのこと同じテーマの別表現であるとしてしまった方が比較ができて面白い、そう考えてのことである。
私にとってフロイドは、余りにも「生命」を感じさせるものである、ということになろうか……。
さて、まずはタイトルについてから始めよう。
皆さん、何らかの書物などでご存知かも知れないが、この“UMMAGUMMA”という語は、純粋な英語ではない。一種のスラングで、それは“SEX”と同義であるようだ。
この語について、Hawkeyeさんから以下のアドヴァイスを戴くことができた。
「ケンブリッジ時代にニックが使ってたスラングです。英国の友人に聞いたところ、非パブリックスクール系のハイ・スクールでは結構あたりまえのスラングとのことでした」
そう、スラングもスラング、非公立の学友が交わすほどの、一般からすると珍しい語であるのだ。
その意味するところが、所謂「性交」であることに、まず留意頂きたい。
ところで、あなたがお持ちの『ウマグマ』にはCDが何枚入っているだろうか?
そう、2枚だ。それもスタジオとライヴという、さながら一対になるスタンスでの組み合わせが、そこには封じ込められている筈だ(CDの技術が進歩すれば、じきに1枚に収められてしまうのだろうか? いや、それはないだろう)。
一対となるふたつの性交、
ここまで言えば、勘のいい方なら私が記述したがっている内容に見当が付くだろう。そう、それらの要素すべてが噛み合って、このアルバムは男女を表しているのだ。そう考えれば、タイトルにふたつの“UMMA”が“G”を挟み、対称となっているのがたやすく理解できる。シンメトリーであるそれは、男と女を示していると考えられまいか? それは“UMMA”+“G”+“UMMA”であるとすれば「人間と人間」となり、男女を人間という大きなくくりでとらえ、対照させていることになる。“UMMA”+“GUMMA”であれば、“G”が付くのが男女どちらかは解りかねるが「男と女」もしくは「女と男」となる。つまり、同じ人間であっても些細な違い(G)があり、それをもって男女を分けているのだ、と考えることができる。こういった数種のとらえ方がある場合は、選択は個人の自由だ(私はこのふたつであれば、後者を選ぶとしよう)。
では、どちらが男でどちらが女なのか?
それを片方に限らせず、双方とも考察していこう。
[case1:女と男]
まずは、Disc-1が女、Disc-2が男であると仮定した場合。
これは私が、最初に思い描いたことであった。ライヴというのは「記録」であり「過去」である。それは過去の思い出に縋ることが多い女であると、仮定したのだ。それに対して、スタジオ盤は実験的なことばかりを試みている。まるで無謀を勇気と勘違いする男のように。
こう考えた場合、面白い点がある。それは2枚のCDの規格番号と、実際のジャケット、ポスターなどの関係だ。
番号から言うと、先にあるのは女ディスクであるDisc-1だ。しかしLP時のジャケットや、現在流通しているCDでも、緑色の箱でパッケージングされた小窓から顔を覗かせているのはDisc-2、男ディスクだ。さらに言うなら、CDに付属のポスターもそちらのデザインである。
こういった要素が、まるで中途半端なフェミニズムの台頭する現代を予見するかのようで面白いのだ。女は自分達の権力を欲し、男より前に出ている(規格番号)。しかし実質的な支配権(ジャケット)は男にある。メンバーが映っているのも、男ディスクである。口やかましい女を何かの形で優先させておけば、形だけは平等となるのだ。
だが、ポスターは男ディスクのものである。
こういった均衡が、面白く感じられたのだ。
[case2:男と女]
だが、私のその考えは、ジャケットを改めて眺め直すや否や、一転した。
Disc-1のジャケットに並ぶドラム・セットを中心としたオブジェ、これが何であるのか?――それは余りにも、男性器に似ている。
それらの先端は、微妙に菱形になっている。その部分が亀頭となり、大きなフロア・タムとスタッフが対になっている部分は睾丸となる。それらがまったく左右対称になっているかというと、スタッフが違うためそういうことにもならない。そう、男性器は微妙に左右対称ではないのと同様に。それらが道路、外の空間に配置されているのは、男性器が欲望を放出する側、つまり精液を外へ出す側であるからだ。
では、Disc-2はどうか? 無論それは、女性器となる。
奥へ奥へと連続する窓、それは子宮へ向かう膣だ。椅子に座るメンバーは、生まれ来る子供の姿を現している。それらが場所により異なるのは、彼ら4人のうち誰が生まれるか、現在では決められていないという状態を示す。
その証拠は、椅子の足に絡まるコードだ。

これが何を示しているのか? 椅子に座っているメンバーが生を授かる人間だと仮定すると、答えはごくごく簡単なことである。
臍の緒だ。
椅子に座り、生を受けることが決定した人間は、この臍の緒を辿って現世へ姿を現すのだ。
では、そのそばにあるふたつの物体は何であるのか?

映画『ジジ』のサウンドトラックLPと、大きなビンに詰められたポプリのような、ドライフラワーのようなもの。
これらは何であろう? 私が考えるに、これらは椅子に座る前――受精前――の精子と卵子である。『鬱』の項でもそういった喩えを用いているが、こちらの方がそれに当て嵌めやすい。ビンは卵子であり、LPはその主演女優の頭部イラスト周辺の形状が酷似しているように、精子である。『鬱』の項ではそれらをドラマティカルに表すことに試みたが、本項では、飽くまで受精という仕組みを地味にとらえたうえで、このような結論に達した。
それらがひとつとなり、ひとりの人間が生まれるのだ。
そして、これら2枚がひとつになって“UMMAGUMMA”は構成されている。それはどちらも欠くことができない。“UMMAGUMMA”とは“SEX”であり、通常それには男女それぞれひとりずつが必要なのだから。
そう考えれば、本作のタイトルが“UMMAGUMMA”であるのも頷ける。
どちらのディスクを好むかによって、男女のどちらが好きであるのか、それを示すことになる。それを男女どちらかを選ぶかは自由である。
喩えば本論では、どちらかと言われればDisc-1,2をそれぞれ男、女ととらえている。そのうえで私は、Disc-2を好んでいる。だが評価はするが、至上の楽しみとしているわけではない。寧ろパフォーマンスはDisc-1の方が優秀であると考えている。
こういうことを考えれば、まるでくだらない占いのようであり非常に下世話な喩えではあるが、男女に対するスタイルのようなものが計り知れるのかも知れない。
飽くまで、仮定ではあるが。
また蛇足となるが、CDで用いられている緑色の箱が、ウォーターズが椅子に座っているショットをくり貫いているところが、まるで「フロイド=ウォーターズ」という風評を示すかのようで薄気味悪くもある。