ピンク・フロイド:現在まで

〜デヴィッド・ギルモア時代〜

 弁護士や裁判や言い合いが続く中、デヴィッド・ギルモア主導となった新たなピンク・フロイドは、87年9月7日に“A MOMENTARY LAPSE OF REASON(鬱)”を発表。当初はアルバム冒頭のインスト曲から“Signs Of Life(生命の動向)”と名付けられる予定だったが、「生命の動向など見当たらないじゃないか」という皮肉が浴びせられることを考え、変更されたのだという。これをロジャーは「きわめて精巧に作られたピンク・フロイドの偽者」と評価したうえで、レコーディングはデイヴとセッション・ミュージシャンが殆ど担当し、ニックとリックはほんの一部しか参加していないと批判した。デイヴは当初それを否定したが、後年、それが事実であったと認めている。しかしチャートにはさしたる影響がないばかりか、逆に話題の要素になったのだろうか、全英・全米ともに3位という、リーダー不在と叫ばれる復活にしてはかなりの好成績を収めた。なお、英国での発売権は本作より従来のハーヴェストから、親会社のEMIに移っている。さらにはソロ・アルバムのプロデュースをボブ・エズリンに頼んだものの、デイヴと共同プロデュースとなっていたフロイドとの作業が忙しいため断られたことも、ロジャーの怒りの対象となったという。
 アルバム発売に伴い、9月から12月にかけて合計60回もの北米ツアーが行われており、ロジャーの訴訟を退けるかのように過去の代表曲が多々演奏される。このツアーにあたってロジャーは各地のプロモーターに圧力をかけ、公演の開催を阻止すべく暗躍したとも伝えられているが、結局のところ、新生フロイドの公演は大成功に終わる。その前後、9月発売の“Learning To Fly(幻の翼)”と12月発売の“On The Turning Away”の両シングルも幾らかその手助けをしていたのに違いない。
 ここでようやく、ロジャーとデイヴの間での同意書署名が行われ、ようやく法廷論争が事実上の終結を見せる。デヴィッド・ギルモア側はピンク・フロイドの名のもとでの活動が認められる代わりに、ロジャーが考案した「空飛ぶ豚」ほかの様々なアイディア、及び“THE WALL”に関するコンセプトなどに対して、今後は印税を払うように命じられる。さらには、様々なロジャー作曲の楽曲を使用する際にも使用料を支払う必要があることとなった。
 それでも、翌88年もフロイドは好調だった。1月から合計20回のニュージーランド〜オーストラリア公演を開催し、3月には日本、4月から再び北米と回り続け、5月23日にはもう1枚“One Slip(理性喪失)”をシングル・カット。8月19日から23日の間に行われたニューヨークでの計5回の公演では、ライヴ・アルバムを発売すべく録音、及び収録が行われた。
 それをベスト・チョイス編集し、若干の映像を加えたものが11月21日発売の“DELICATE SOUND OF THUNDER(光〜パーフェクト・ライヴ!)”である。このフロイド初の公式ライヴ・アルバムはチャートよりも、同月26日にソユーズ7号に乗って地球から出発した宇宙飛行士がカセット・テープを携えたことで有名となる。前年のツアーの際、Tシャツに書かれていたスローガンの“The First Band In Space”が現実のものとなったのだ!
 翌89年6月5日にそのビデオ版がリリースされてからは、フロイドは個人での活動に再び戻る。特にデイヴは今までの鬱憤を晴らすかのようなすさまじい勢いで、実に多種多様なミュージシャンと共演する。ニックと、裁判の都合で正式メンバーではなかったものの、その期限が切れてライヴ・アルバムからメンバーにクレジットされたリックにとっては、寧ろリハビリ的な側面が強かったとニックが語っている。
 90年でもそれは同傾向だが、6月30日に催されたネブワース・フェスティバルにフロイドは出演し、8月6日に発売されたその日の模様を収めたオムニバス・ライヴ・アルバム“KNEBWORTH-THE ALBUM”では、もはやデイヴ・アレンジが馴染みとなった“Comfortably Numb”と“Run Like Hell”が収録される。10月にはデビュー前に録音された“Interstellar Overdrive(星空のドライヴ)”のフル・レンジ・ヴァージョンと、長尺の未発表インスト“Nick's Boogie(ニックのブギー)”を収録し直したドキュメンタリー・フィルム“TONITE LET'S ALL MAKE LOVE IN LONDON”のサウンド・トラック・アルバムが再販。92年11月9日には過去の作品から9枚がセレクトされたボックス・セット“SHINE ON”が限定発売(後に再販)。93年3月24日には“THE DARK SIDE OF THE MOON(狂気)”の発売20周年を記念した特殊限定CDが発売されるなど、バンドとしての活動はせずとも、過去の作品の復活などによりフロイドは話題を振り撒いていく。その中にはデイヴとニックが参加したカー・レースのVTR発売にあたってBGMを全面担当し、インスト曲を多く書き下ろしたビデオ“LA CARRERA PANAMERICANA(道〜カレラ・パンアメリカーナ)”もある。92年発売のため、新曲は次のアルバムに収録されるのではないかという噂もあったが、それはフロイドも当初からBGMとして作っていたようで(アルバム向けの曲ではない)、使用されなかった。
 やがて94年3月30日、アルバム“THE DIVISION BELL(対)”を発表。プロデュースは前作に続き、デイヴとボブ・エズリンである。LP、CD、MT、MDとではジャケット・デザインが微妙に異なったり、世界一の大きさを誇る飛行船がプロモーションの一貫として英米の上空に飛ばされるなど、さっそく話題となった。
 アルバムのリリースに併せたツアーも同日から開始され、7月18日まで60回の北米公演を行う。その初日、ファースト・アルバムの冒頭曲にして、シド作の“Astoronomy Domine(天の支配)”が披露され、ファンを驚かせた。
 その前後には5月16日に“Take It Back”のシングルが、10月4日には“High Hopes(運命の鐘) / Keep Talking”の両A面シングルが発売される。さらには7月15日のデトロイト公演から19年振りに“THE DARK SIDE OF THE MOON(狂気)”の全曲が再現、披露されることも話題となった。
 このツアー状況をまとめたライヴ・アルバム“P・U・L・S・E”を95年6月2日に発表。初回プレスのみ赤い発光ダイオードが埋め込まれた特殊パッケージで発売される。ストーム・ソーガソンのデザインがアートワークのみならず、ボックス・デザインにまで及んだ好例となる。また映像版もほぼ同時に発売された。
 以後、オランダのみライヴ・ヴァージョンの“Wish You Were Here(あなたがここにいてほしい)”がシングル・カットされたり、各種編集盤やトリビュート盤の続出、さらには全アルバムのデジタル・リマスタリングでの再発に、アメリカでの全アルバムの権利がEMIに渡るなど、バンド自体の活動は停止したままなのにもかかわらず、フロイドは相変わらず話題を振り撒き続けている。
 その中で最も輝かしい成果を、最後に、期待も込めて記しておこう。
 フロイドは、2005年7月に行われたアフリカ救済イヴェント「ライヴ・エイト」にて、4人組として一夜限りの復活を果たした。デイヴとロジャーの軋轢が噂される中、これは大きな進展である。あるいは、フロイドなりの「終止符」を打ったのかも知れない。
 あとは、時を待ってほしい。
 フロイドの様々な問題が、時をもってして解決してきたように。
 それに見合う何かを、彼らは、常に与えてきたのだから……。


 これまでの4項に亘る概略は、“P・U・L・S・E”日本盤VTR付属の公式バイオグラフィーに基づいたうえで、主に以下の資料より、筆者が信頼に値すると判断した情報をピックアップした情報を基にしています。

『ピンク・フロイド全曲解説』
アンディ・マベット著/山崎智之訳
発行:バーン・コーポレーション/発売:シンコー・ミュージック

『THE DIG(1995年11月/第3号)』
特集「The 30 Years Of Pink Floyd」
シンコー・ミュージック