bottle tracks

〜tRace elements 1stアルバム〜


(COCD-9253)

 セッションやスタジオ・ミュージシャンとしての立場が確立されてしまっているメンバーが多いため、定期的な活動が少し困難な状態にあった際、maxとryotaroの2名のみで「最小限(ながら最大限)」の表現を目指して組まれたバンド内ユニット。楽器はアコースティック・ギターとアコーディオンのみ、というシンプルなスタンスが強みとなって「全国行脚」的なライヴが精力的に行え、またmaxの歌にある魅力をいっそう強く引き出す契機となった。アルバム制作に先駆けて行われてきた各地のライヴではelementsナンバーのセルフ・カヴァーを中心としていたが、本作ではその殆どがこのユニットによるオリジナル曲。それらをバンド・ヴァージョンでライヴ演奏するなどの展開も期待される。


01. free
 本作はこの冒頭曲で、まずtRace elementsの「雛型」が提示される。これを聴いて抱いた印象が、彼らの音楽を未聴のリスナーは、この曲がおおよそtRace elementsそのもののイメージになる筈だ。そしてそれは妥当でもある。この曲がtRace elementsの最も普遍的な表現形式と呼んでいいだろう――それは「どこでも演奏できる強み」を体現しているという意味で。たおやかなギターと儚いアコーディオン、その絡みが最もよく現れた(楽器がそれだけで付加要素がない)この曲をして、安心してイメージを委ね、本作を聴くことができる。そうして歌われるのは、elements本体から歌い続けてきた「自由」。それを体現するためのひとつの手段として、tRace elementsという構成は有用であったに違いない。但し、ここで歌われる「自由」は「ジプシー的な自由」であるので、人によっては「自由」というよりは「孤独(或いは孤高)」に見えるだろう。それを説くでもなく述べる歌詞は本作中でも味わい深く、またやはり、trace elementsの具現化でもあると言えるだろう。

02. What's going on
 オリジナルはマーヴィン・ゲイによる有名曲にして、本作唯一の(外部)カヴァー曲。普段のレゲエ調の曲の向こうにボブ・マーリィが見えるのと同じく、これはmaxからの敬愛の表れである。原曲ほどダンサブルではなく、しかし沖縄音楽に使用される「三線」がリズミカルに響くことで原曲の魅力でもあったリズムを保っている(なお、maxは以前から沖縄の風土や音楽を好み、折につけ赴いている)。maxの歌唱はマーヴィン・ゲイより低く、掠れ声であるため、基本的にヴォーカル・ラインは(オクターヴを低めてはあるものの)同じ筈なのに、バックの演奏と相俟って別物に聞こえるから不思議だ。敬愛の念が曲を磨いたのか、本作中でも出色の出来。ともすると、(日本人で)この曲を初めて聴く者には、楽曲のリズム概念が時代的にディスコテックなものだった原曲よりも、日本的に解釈されたこちらの方が馴染みやすいのではないだろうか? この曲のディスコ性を強めたカヴァーは世に多くあるが、こうした東洋的なアプローチで(しかもリズムの有用性を切り捨てずに)カヴァーできるというのは素晴らしい。

03. milkman
 本作中、最も装飾された曲。狂想的な雰囲気が映画音楽のような佇まいを見せており、エフェクトの向こうに情感を込めたヴォーカルとサーカス小屋のようなアコーディオンは、マーチング・ドラムと相俟って個人観ではフェリーニ映画を連想する。収録前よりライヴ披露もされていたが、幾分フリー・フォームの色があったそちらよりシンプルに締まっており、特にアコーディオンが闊達に滑っている。maxのヴォーカルには部分部分イコライジングされており、時にはノイジーに響き、また時にはエコーがかかる。なお、当初のタイトルは「World Tougest Milkman」だった。穏やかな本作では数少ない、危うさに包まれた佳曲。歌詞も物語仕立てで面白い。

04. (not even) a tragedy
 冒頭こそ沖縄音楽を連想させる笛の音が鳴るが、本体はシンプルなギター・アルペジオ主体の楽曲。やがてアコーディオンが主になり、 各楽器と絡む控え目なヴァイオリンがアコーディオンに触発されたかのようにジプシー的な雰囲気(喩えば、ジャンゴ・ラインハルトの脇にいるステファン・グラッペリの音を想像せよ)を醸し出しているのが面白く、またそれはtRace elementsの本質のひとつを表した音でもあるようにきこえる。「喜劇とも悲劇とも言い難い」と語られる歌詞は前曲に続いて物語的なもので、セバスチャン・フィリップ・ジョセフ・スノークという若い貴族の人生顛末を描いている。

05. killing time
 1曲目と並び、tRace elementsの基本姿勢を最も表している1曲。ギターの染み入るような音色と、儚く歌われる“killing time”という語がやたら沁み込む。最も音数の少ない楽曲と、短く抽象的な歌詞にあるように、この曲こそが「最小にして最大」の体現化であると思われる。そのため、リスナーの想像力が介入する部分が本作中では最も大きい。

06. london bridge is burning down
 9曲目と共に、elements楽曲のセルフ・カヴァー。「L.B.B.D.」と略されているものが基本だった『singular sky』収録のオリジナルと比べると、冒頭からして琴を思わせる音階のギターで始まり、クラブ志向だった原曲からは想像できないほど歌としての輪郭を強調した歌曲に昇華された。ヴァース部分はよく聴けば「8 + 8 + 8 + 8 + 4」拍子で、決して単調ではないのにじっくり聴き入ることができる。だが本作のこの曲はmaxが爪弾いていたデモ段階のものを再現したものであって「L.B.B.D.」と誕生が前後し、こちらが原曲に近いものになる。そうして略称ではない具体的な曲名をメイン・タイトルに戻したことに、楽曲としての自信が表れているかのようだ。後半には機関車の駆動音や汽笛などの効果音が入り、それがせり上がった後にエレクトリック・ギターを掻き乱すようなノイズ音が入って次曲に繋がる。

07. hey sister
 前曲からの掻き乱すノイズを後ろに響かせながらギターが響き、内省的なヴァイオリンが被っていく。終盤ではアコーディオンが演奏の主軸になり、やがて“hey sister”という呼びかけを繰り返しながら歌詞は次第に深刻なものなっていき、唐突にその声が切れて曲が終わってしまうのが印象的。まるで求めた救いが与えられなかったかのようで……

08. r.i.p
 ただひたすら、たおやかな曲。ここではギターはなく、鍵盤音が曲展開を先導し、アコーディオンも敢えて前へ出ず、各種効果音が被せられることでサウンドトラック的なイメージを湧かせる。タイトルや、歌詞中にある「戦争の犬」といった単語に見られるように、鎮魂の意味が潜んでいるように感じられる。

09. marguerite
 6曲目と共に、elements楽曲のセルフ・カヴァー。こちらも歌に重点が置かれており、『another day, another year』に収録されたオリジナルに比べると装飾が省かれ、パーカッション類や間奏部分もシンプルにまとまっている。特に中間部のアクティヴな間奏が削られたことが大きな要因となり、レゲエの影響をおよそ感じさせない素朴な仕上がり。elements本体とtRace elementsとを直接結び付けた、本作中最大の功績を誇る曲。

10. be my sister
 跳ねるようなギター(個人観ではグランド・ファンク・レイルロード「クローサー・トゥ・ホーム」冒頭を連想)から始まる、ギターを主軸とした誠実な弾き語りで、時折ギターを意図的に歪めて響かせて「自然体」を見せているのが印象的。「妹になってくれ」と懇願する歌詞は、ある種の愛の表現と言える。かといって「妹幻想」のように「守りたい」と願うのではなく、逆に「守ってほしい」という意が込められているのが逆算的で面白い。そうして最後に“That's folk”というmaxの冗談めいた呟きが響き、本作はしおらしく幕を閉じる……

11. sneakers
……わけではないのだ。
 こう続くと、最後は前曲のようなシンプルなナンバーや、憂愁や希望で終わるのがアコースティック主体で構成されたアルバムの常であるが、そういかないのがelements人脈。本作からすると異端以外の何者でもないこの曲が最後に配置されている。レゲエのビートを軸として、アコーディオンとギターのみならず、本作では使用の少ないエレクトロニクス音響が絡んでくる(特に打ち込みはこの曲だけだろう)。若干前衛性を見せる曲に乗る歌も時折会話じみたものになり、総体的にとても奇妙な曲になっている。或いはこうした曲と比較することで、普段のelementsの命題のひとつでもある「肉体的なビート」の力を思い出すことができるかも知れない。
 前曲で終わっておけば「普通にいいアルバム」で終われる本作も、この曲が収録されることで意外性を残し「うまくまとめるべき」という、一種のミュージシャン・エゴを払拭してくれる。喩えば解りやすいのは、ザ・ビートルズによる『アビィ・ロード』が「ジ・エンド」で終わらないのと同じだ。maxの弁によると、この曲は「ボーナス・トラック的にとらえてほしい」とのこと。
 スニーカーに支配された世界を描く歌詞もメッセージ的でありながらどこか抽象的だが、見逃せない一節を最後に含んでいる。実質的前作となるelements本体の『BEAT-ITUDE』が「手を解き放て!」と叫んだ「The Hand That Will Be Freed」で幕を閉じていたのに対し、本作は「足を解放させろ! 心を解放させろ!」という言葉で締めくくられるのだ。これもひとつの「自由の具現化」だ。